家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
  • 08«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • »10
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


あっさりして胃にやさしい(栄養もあり)、じゃが芋のスープ
2014年12月04日 (木) | 編集 |
12月に入ったら、とたんに寒くなりました。
昼間も寒くなり、外に行くには冬物のコートが必要な時期です。
今日は、温まるスープの作り方を紹介します。

きのうの夜、撮影。
これが、完成したスープです。
F1000334ミキサーで作ったスープ1 20141204

~作り方~

18センチの鍋を用意します。 ↓だいたい、このくらいの大きさです。
F1000335ミキサーで作ったスープ2 20141204

・材料
■鶏肉150グラムくらい(今回は、モモ肉です)
(お好みで、豚肉や牛肉でも)
■じゃが芋
F1000336ミキサーで作ったスープ3 20141204
じゃが芋は、 ↑ このくらいの大きさのを、4個使いました。
普通の大きさのを3個、でも良いかもしれません。
■人参(1本の半分)
■玉ねぎ中玉約1個
■洋風だしの素(コンソメの素、のようなやつです。
今回は、「マギーブイヨン」を1.5個分使いました)

・作ります
鍋に約1リットルの水を入れ、火をかけます。
いきなり、生のモモ肉をドボン、と入れます。
生肉を煮立たせる間に、じゃが芋人参玉ねぎを切ります。
じゃが芋は小さかったので、そのまま、鍋にドボン、です。
人参と玉ねぎも、大きさ関係なくザクザクと適当に切り、鍋に入れます。

その間にも、もう、煮立ってきましたか?
沸騰したら、約15分間、弱火で煮ます。
アクが出たら、取り除いた方がおいしいかも。

鶏モモ肉以外の具を、ボールか皿に出して、温度を下げます。
生ぬるいくらいに温度が下がったら、
具をジューサーミキサーにかけ(2回くらいに分けて)、ドロドロにします。
(じゃが芋に粘り気が出るので、汁をやや大目に)
で、そのドロドロを鍋に戻します。
鶏モモ肉は、そのままでも、一緒にミキサーにかけても、
どちらでも、お好みで。
胃腸が弱っていたり、歯が悪い、という場合は全部ミキサーでも。
ここで、もしも牛乳があったら少し入れると、味にまろやかさが出ます。
入れなくても、オッケーです。
このままだと味が薄いので…塩とこしょうで味付けします。
2,3分煮込み、出来上がりです。
熱いうちに食べると、おいしいです。


余談ですが、スープといえば、料理研究家の辰巳芳子さんです。
辰巳さんのスープはおそらく、今回の私のように手抜きではなく、
かなり手間ひまかかっています。
辰巳さん、ウィキペディアによると1924年12月1日に誕生、ということです。
90歳になられたのですね。
本当にどうでもいいことなのですが、志村けんのギャグに出てくるキャラクターで、
ゴルフのキャディーもしていた、「ひいちゃん」(名前は「ひとみ」ちゃん、らしい)が、
辰巳芳子さんに似ている・・・いえ、辰巳さんがひいちゃんに似ている、というか。
そう思ってしまいます。(本当にどうでもいいことでしたが、私はひいちゃん好きです)

============================

下の写真は、この前購入した、ミルサーつきのジューサーです。
りんごを切って、飲むヨーグルトを少し入れました。
F1000337ミキサーで作ったスープ4 20141204

-----------------------

記事に書きたい気になることがあるのですが、
最近少し体調を崩してしまい、元気が戻りにくく、一休みです。
もう少ししたら、また書けるでしょうか。



LINEを使いこなす
2014年12月01日 (月) | 編集 |
こんにちは。
そんなに経っていないつもりが、この前の更新からずいぶん間が開いてしまいました。

この前(といっても、もう4週間ほど前だと思いますが)、ツイッターで、「LINEへの書き込みが原因で、高校生(女子)が自殺か」というニュースを見かけました。
起きてしまったのか・・と思いました。
この高校生が自殺したのは昨年8月ということですが、[ LINEで「ざまあみろ」と書き込みされたことにより男性高校生が自殺未遂 ]
というニュースもありました。

高校生くらいの年代の自殺というと、古いですが私が思い出してしまうのは、あるアイドル歌手の飛び降り自殺です。その時には、後追い自殺が続きました。私も同年代だったので、アイドル歌手の自殺はとてもショックでした。4月でした。私自身も、(何か特別なことがあったというわけでもないのに)心がとても不安定な時期でした。
そういうことを思うと、LINEと自殺について、(いくら個人ブログの記事といっても)「センセーショナルに」取り上げない方がよいと思うので、淡々と書きます・・。

とはいっても、私に子どもがいたとしたらもうその年代になっているので、「LINEアプリが原因で自殺」とは想像を絶します。それこそ大昔の、自宅にしか電話がなく家族に取り次いでもらうという時代ではないのを実感します。

そこで、
最近あった、「これぞ、LINEの使い方だろう」という、感心したできごとを紹介します。

というのは、私の夫のLINEの使い方です。

夫はいくつかのLINEサークルを使っているようです。
この前(といっても、もう1ヶ月半くらい前か)、なにやら、ぶつぶつと言いながら作業していました。「LINE?また新しいのを何かつくってるの?」と私は聞きました。すると、この前のエントリに書いた夫の友人のことでした。
「そう・・友達ね、そんなに付き合いなかった人も含めて、病気のこと話したら『(病気に)なったの知らなかった』とか言ってびっくりするやつが多くてさ、ただ、あいつ(夫の友達)の一番仲がいい奴からのメールもらっても、いちいち回さなきゃならないから、それに読んだかどうかも分からんじゃん。とにかく、友達の状態をみんなに知らせるのにLINEサークルをつくった」
という。
夫の友達の病気は難しい病気です。容態がいつどうなるかも分からない。
私はLINEの話を聞いて、・・・病院にそんなにお見舞いに行っても、本人も疲れてしまうかもしれない。でも、会えない人も含めて友達の状態を把握しておくだけでも、みんなが心の中で応援できるのでは・・・。
そんな風に思いました。
(心の準備ができていなくて、本人に会えない時は、夫が、「あいつは今忙しいらしくて、なかなか来られないとか言っていたよ」と、友人たちの様子を伝えるようです)
私は夫に、
「それはいいことだね。素晴らしい(本当にこう言いました)。よく考えたね」と言いました。
夫は、「いやぁ…まあ・・ふふっ」と笑っていましたが。


「LINEでのいじめが原因で自殺か、」という報道は、その後に知りました。
「いじめに使われてしまうというのは聞いたことがあるけど…悲しいな・・」と思いました。
言葉がありません。
だから、夫のような使い方が本来なのではないか、と知らせたかったです。

夫は他には、地域のボランティア活動や趣味のバイク、元いた会社のメンバーなど、LINEサークルを使っているようです。
LINEの利点は、
「メールと違って、相手がメッセージを読んだか読んでいないか、分かる」ことだと思いました。
連絡をするなら、きちんと伝わっていないとなりません。
私のように約1ヶ月以上も前にいとこから「ありがとう」メールが来たのにそのまま・・(返信の機会を逸してしまった)(いとことはまた、そのうちに連絡する機会があるから、いいだろう…)というのだと、具体的な数字の入ったやり取りなら(極めて重要な内容は除く)、伝わっていないと面倒です。
夫は、「『既読』になってるから、ああ伝わったなって分かる」と言いました。
でも、違う意味で面倒なのは、どうやらその「既読」機能らしいですね。
「既読無視」というのがあるらしく、報道によるとLINEを使うのは中高生では女子生徒の方が多いらしいですが、そのくらいの年代となると、大昔では「○○ちゃんが私とは違う友達と話していた」という内容なのでしょうが、(だから構造的にはLINEも他のSNSも同じだろう)、自分が承認されているかどうか、が、ネットだけの友人ならともかくリアルと結びついてしまうと、精神的にかなりの負担になってしまう子もいるのではないか、と思いました。

私は、そういう、「自分への承認がどうのこうの」とか「あの人が私のことをあんなふうに言ってた」のようなのは、SNSなら実感としては少し分かる気もしますが、
LINEは連絡網としてなら効率的で優れているので、「LINEは道具」だと割り切った方がいいと思います。「SNSも道具」かな。日本以外ではLINEのようなものは、「カカオトーク」などがあるようですね。

もう一つ。ツイッターでも感じたことですが、同じようなことです。
震災後に感じたのは、(ネットの)拡散力です。ツイッターのおかげで、原発の情報や放射能情報、そして最近では今年2月の記録的な大雪の情報が伝わってきました。日中戦争や第二次大戦時の表に出ない記録なども知ることができました。
なので、ツイッターは拡散力を活かせば、為政者や強者に対抗するかなりの武器になり得ると思うのですが、議論をした挙句に「この人とは合わない(例えば、脱原発や貧困を何とかしたいなど同方向を向いているのに)」と、繋がりを絶ってしまうことやそれに続いてしまう人が出るのが、残念です。
(もちろん、ツイッターでは「ブロック」や「リムーブ」、機能としてあるのだから使うのは自由、というのを大前提として)
日本は…「人との些細な違い」(というのかな、「個性」ではなくて)を気にしがちです。私たちに同調できない人はなるべく来ないで、となると、同じ方向を向きつつ反発し合い分裂・・・となってしまう・・。そんなのは、もったいないです。
「自分とはちょっと違う意見だわ」と思っても、「そうかそういう考えもあるのか」程度にして(ただし、あまりにも違ってきてしまった人は(私はどちらかというと曖昧な性格ですが)ツイッターの「フォロー」を外すこともあります。または、180度自分と違う人をフォローすることも)、
「排除」ではなく、情報を多く共有し合えば、有意義に使えると思います。せっかくのネット時代です。
ネットは、道具としては優れている面があると思います。
使いようで、ナイフのように、うっかり指を切ったり手に刺されば痛いし(ましてや人の心を傷つけることさえ(これは自分自身も気をつけないといけない))、ただ、りんごを切るのにナイフや包丁を使うと便利です。一度に、りんごを8つに割ることができる器具もあります。ジューサーミキサーも便利です。(すみません話がやや逸れました)

長文失礼いたしました。



本音は
2014年11月22日 (土) | 編集 |
この前、生協の「放射能関係のお知らせ」のチラシを見ながら、
夫に話しかけました。

私:「最近さー、『家庭でできる放射能対策』というのが入るようになったさ」
  「『①誰でも被曝する可能性があると認識する』とかね、『②生まれもった免疫力を保つ』とかさ、・・要するに食品検査ばっかりに頼らないで体力を鍛えろ、ということかな。」

夫:「・・・。オレたちの甥っ子姪っ子たちにさ、食べ物に気をつけろ、っていうのは分かるさ・・。
  けどさ、オレはもう、あと20年も生きれればいい。」

私:「えっ・・・」

思ってもいなかった答えでした。
夫がそういうことを言うのを聞いたのは、初めてでした。

その後、
夫:「友達のお見舞いに行ってさ、そう思ったよ・・。
  いろいろ考えないで、生きたいって。」
と・・。そんなような答えでした。

夫の友人は今、闘病中です。
あまり具合が良くありません。
ほぼ同年代の人です。
私は、返す言葉がありませんでした。
夫の気持ちがよく分かりました。

十数年前に、二人で岩手、宮城を旅行したことがありました。
気仙沼で、港でとれたてのかつおを食べたり、岩手でも、美味しいものを食べたり。
その頃は食品の放射能汚染など気にもしていません。
原発事故が起きるとは思っていませんでした。

今日、ツイッターで見かけたつぶやきに、
『(主に)家族のご飯を作る(と一般にされている)お母さん達が真っ先に放射能汚染に反応したのは当然だったのかな~?なんて考えるわけです。』という、
つぶやきがありました。
それはよく分かります。
もちろん放射性物質にも気を配らなければ、なのですが、
夫の心の中から出た言葉は重かったです。
(夫は私に批判的に言ったわけではなく、
入院中の友人の姿を見て、そう思ったのだと思います)
生きているから食べることができる、わけで・・。
普段ほとんど弱音を吐かない人なので、その言葉は重かったです。


========================

11月3日に干した渋柿を、きのう、芯が軟らかくなったので手でもみました。
父が私に、
「青森に送るのか」と聞きました。
「青森?」
「おまえはよく青森に手紙を出しているから。」と父。
(あさこはうすさんへのハガキを出すのは、いつも父に頼んでいます)
私は、
「青森の人は会った事はないけど、青森でJパワーっていう会社が原発建設していて、
原発完成予定地の中にその人の家があってさ。
福島で爆発したのにね。まだ原発つくろうとしてるから。
その人は建設に反対してて。私は応援してるの」
と、父に話しました。
「そうだな。あんなになっちゃったのに、
まだ原発なんてまずいな」
・・・そんな会話をしました。

これからも、一人で考えたり、
一人でもできる原発反対表明はしていこうと思います。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。


「善」のブランド---「宮崎駿」なのか (辺見庸氏のブログを読んでみて)
2014年11月16日 (日) | 編集 |
きのう4~5日ぶりに、辺見庸ブログを読みました。
辺見さんのあるひと言で、私は「ん?」と思いました。

辺見庸ブログ:
日録1―8 私事片々 2014/11/11~(2014/11/12の記事)
の中で辺見庸さんは、

========================ここから一部転載。

ただたんに在るだけの現実世界に、人間がただたんに在るだけというのは、おもえば、バカげている。ただたんに在るだけというのは、じつは酷薄なのである。ただたんに在るだけの現実世界には、仔細にみれば、なにか危ういものが刻々闌けてきている。それにたいし、ただ無害であるだけの(そう主観的におもいこんでいる)人間存在というのは、むしろ酷薄で冷酷であり、ほんとうはすこしも無害ではありえないのだ。ただたんに在るだけの民は、けっして無辜ではない。だんじて。無害で善なる民は、存在として、酷薄で冷酷なのだ。〈ひどく卑しいもの〉にこそ、みいだすべき自己存在のヒントがある。唐突だが、この点で、わたしは宮崎駿をいとう。その延長線上で、『時間』の「わたし」=堀田善衛のありようをしばしばいぶかる。〈悪〉の、〈善〉とみまがう多重構造が描ききれていないか、描くのを避けているかのようだ。結果、ニッポンはすくわれる。かれらは善の顔をした〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉であり、存在論的には〈ひどく卑しいもの〉よりも、より卑しいのではないか。妻子が日本兵に強姦され惨殺されたというのに、血の復讐ではなく、さかしげに「新しい価値」をかたり、マタイ受難曲を想う中国人の「わたし」というインテリは、たんに被害者をじにんする者または〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉であるがゆえに、〈ひどく卑しいもの〉なのであって、〈知的〉善面がだんだん鼻もちならなくなる。

======================転載ここまで。(太字部分は私による)

辺見さんはブログで、堀田善衛という人の作品:「時間」について語っています。
私は堀田さんの作品を読んだこともないのですが、
辺見さんの言う、〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉や、〈ひどく卑しいもの〉
はおおよそ分かるような気がしました。
私自身はおそらく、〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉に属するでしょう。

そして本題です。
辺見さんは文中で、「唐突だが、この点で、わたしは宮崎駿をいとう。」
と書いているのですが、確かに、唐突でした・・・。
このコラムの終わりのほうで、
宮崎駿ていどの口あたりのよい〈正義〉で、闌けてくるこの卑しさと戦えるか。
(※注:「闌(た)けて」=【闌ける】=まっ盛りになる。また、盛りを幾らか過ぎる。)
とも、書いています。
さらに、コラムの終わりのほう、抜粋。(色つき文字)
戦うからには、市民的安全圏をも戦線にするくらいの覚悟がなくてなにができるというのか。戦うからにはこちらも相応に傷つくしかない。このクニの卑しさはそうまで闌けてきている。どんどん悪擦れしてきている。
これを読むと、単純に「では、武器(本物の武器・兵器)を持ったり、空爆されることも覚悟で、ということ?」と辺見さんが考えていると思ってしまうが、このクニの卑しさはそうまで闌けてきている。どんどん悪擦れしてきている。(下線は私)というように、そのくらい酷いということを辺見さんは言いたいのだと思います。

そういう辺見さんからすると、宮崎駿さん映画というのは、映画に政治的メッセージ(環境破壊への警鐘・戦争反対)が隠れているように思えるのですが、それが"生っちょろく"見えるのでしょうか。


では、私は、宮崎駿さんのアニメ映画をどのように思っているかといいますと、
例えば、「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」は難しい。
(私が宮崎駿さんのアニメに、そんなに興味を持っていないせいもある)
そうはいっても、面白いと感じる作品もあります。
「魔女の宅急便」は、"少女の成長"だとか、評論家みたいな人は言っていますが、(そういう小難しいことは置いておいて)主人公の女の子は、あの男の子と友達になれてよかったと思いました。
また、何がテーマなのは分からないですが、絵と音楽が美しくて好きなのは、
「千と千尋の神隠し」です。
水の上を走る電車、女中さんたちが雑魚寝する寝室・・・窓が開け放たれた青い空・・
言葉では言い表せないですが、懐かしさで胸が締め付けられそうになる感覚。
忘れていた。「カリオストロの城」もいいですね。
ルパンかっこいいし、銭形警部の名言も!


私はブログタイトルに<「善」のブランド---「宮崎駿」なのか>と書きましたが、
どのアニメもそういう部分はあるでしょうが、
特に宮崎さんのは「ブランド」みたいになっているなぁ、とは思います。

「ありの~ままの~」の歌詞で有名な、「アナと雪の女王」。
私はアナ雪は見ていないですが、ネットでの感想などを見ていると、ではありますが、
宮崎アニメとアナ雪に通じるのは、「きれいごと」なのかな。
そんな風に感じます。


自分のことばかりですみません。
私が唯一、これは好きだというアニメは、「攻殻機動隊」です。
ストーリーがとても複雑なので理解するには大変でしたが、
連続テレビアニメでは、本編ストーリーとは関係のない「ミニスピンオフ」のような
話があります。
アンドロイドや機械の中に人間の脳が入っている。
その脳が焼き切られれば本当の死になるのですが、
そういうことに関連して悲しい話や、何ともいえない気分になる話もあります。



妹と車で移動 (高速道路で八王子へ)
2014年11月09日 (日) | 編集 |
こんばんは。ブログの内容があまりにも「ごった煮」で申し訳ないです。
他に書きたい重要なことがあるのですが、また次にします。
今回は、妹と、東京の八王子まで行った話です。

まず話はここからですが、9月下旬に、私たちのいとこが、女の子を無事出産しました。
その病院が横浜にあり、妹が、(妹は子供が二人います)
「産んで家に帰ってから誰か人に来られると、けっこう大変なんだよねぇ。
だから、病院に直接、Mちゃん(いとこ)と赤ちゃんに会いに行くほうがいい、
と思うんだけど」と言いました。
私も、確かにそうだなぁと思い、
「じゃあ、横浜まで行こうか、電車で」
ということになり、急だけど妹の都合で電話をくれた翌日に、
横浜の、いとこが入院している病院まで行こう、ということになりました。
電車の時間を調べたり、特急を使ったほうがいいかな、とか、
もうすっかり行く気になっていたら
「そういえば、何ていう病院かも場所も聞いてなかった」と。
あれま、それじゃあまた、Mちゃんに電話して聞いてから教えてね、
と言って妹からの電話を待っていたら、
妹:「お姉ちゃん、明日ダメだわ、行けない」
私:「なんで?都合悪くなった?」
妹:「そうじゃなくてさ、Mちゃんが入院している病院、
家族以外は面会できないんだって」
私:「えええーーっ」
私:(たまには妹と二人で、横浜のどこかでランチなんていいな、
そんな機会はめったにない。出かけるの楽しみ。
なんて思っていたのに・・、と、そっちじゃないでしょ、というところで落ち込む)
私:「まあ、そういうことじゃしょうがないから、Mちゃんが退院してしばらくしたら、
八王子のMちゃんの実家まで会いに行こうか」
という話になりました。

で、それからしばらくしてMちゃんから、「ちょっとの間、八王子に居るよ~」
とのメールが。
Mちゃんの八王子の実家(要するに私の叔母の家です)には、10月下旬のある日、
行って来ました。
妹は、都合で早く帰らないとなりません。私の家からは、行って帰って4時間の予定です。電車とバスを乗り継いでいこうとしていてあれこれ調べたら、「無理」と分かり、車で行くことに(妹の車、妹の運転)。
(車だと酔うし、酔い止め薬飲むと眠くなるな)と思った私は、コーヒーを飲んだりしていました。でも、眠くなるヒマはありませんでした。
高速に入ってから。
妹:「ねえ、今ここ走っていていいの?」
私:「えっ。(えっ!)
ああ、大丈夫。今トラックが追い越して行ったじゃん。左が登坂車線ね。
今走っているのが走行車線。右は追い越し車線だから、ここでいいんだよ」
妹:「わかった~」
と、ずっとこんな調子だったので、眠くなるヒマはありませんでした。
といっても、着くまでは道中まだまだあります。私も妹も方向音痴でどうにもならないのですが、妹の車には、ナビゲーションがついています。よかったです。
(ローカルな話で申し訳ないですが、勝沼インターまでは私が知っているので妹に、「この道でいい」と教えたのですが、信用してくれませんでした。合っているのに)
八王子に車で行くのは久しぶりでした。何年ぶり、くらい。
高速を降りてしばらくすると、視界が開けました。
「相模原まで14キロ」とあったような。
八王子といっても、駅前の都会な八王子と叔母の家の辺りの郊外(なのか、未だによく分からない)、そして相模湖と相模原(市)の区別が今ひとつ、ついていないです。16号線を通りました。
叔母の家は、車のナビゲーション通りに行っていいのかね…と不安になるほど、入り組んで分かりにくい地域です。二人で、「ナビは間違わないよね~」と言いながら、「フヨフヨ」という感じで、
何とか叔母の家に着きました。

叔母とMちゃん、そして、生まれて1ヶ月の赤ちゃん、私たちを大歓迎してくれました。
滞在時間は1時間でしたが、赤ちゃんにも会えて話ができて、楽しかったです。

=========================

これは、9月半ばの写真。
建設中の中部横断自動車道です。
「なかとみ現代工芸美術館」まで、現代ガラス作家展を見に行ってきました。
中富町は山梨県内といっても、自宅から一部高速を使って1時間くらい。遠いです。
道をあらかじめグーグルで調べて行ったものの、なかなか着かない。
「どうしよう~」「この道で合ってるよね~」と一人で叫びながら、運転。

F1000288 建設中の中部横断自動車道 20140917 なかとみへ


すみません、やたら長くなったわりに、何もオチがない。

次の更新は、そんなに開けないで書こうと思います。それではまた。


靖国神社敷地内の「遊就館」は、「秘宝館」または「珍宝館」である。
2014年11月01日 (土) | 編集 |
この前、ツイッター経由で、靖国神社についてのこんなニュースを知りました。

A級戦犯の分祀求め決議=福岡の遺族会、「全国初」(2014/10/28)(全文転載)ここから===============

 福岡県遺族連合会(古賀誠会長)は、靖国神社(東京都千代田区)に合祀(ごうし)されている東条英機元首相らA級戦犯14人の分祀を目指すことを決めた。27日の県戦没者遺族大会で採択した決議に盛り込んだ。同連合会は「全国の遺族会で分祀実現を決議したのは初めてではないか」としている。
 決議は、分祀の理由を「天皇、皇后両陛下、内閣総理大臣、全ての国民に、わだかまりなく靖国神社を参拝していただくため」としている。同連合会は近く、決議文を靖国神社や日本遺族会などに送る。

======================転載ここまで。

私は、下にリンクした方の意見に同意です。
https://twitter.com/akg0011/status/527548405237555200
戦没者が「祀られている」神社が存在することそのものが異常だと思っているので、
「東条英機元首相らA級戦犯14人が分祀」されたとしても、
靖国神社が今の形で(戦死者が神として祀られている)存在する限り、
私はその存在を認めることは出来ません。

以下のリンクは、私が過去に書いた、靖国神社に関する記事です。
参考までに。

靖国神社 2008年08月11日 (月)
靖国神社・続き 2008年08月12日
靖国神社・続き2 2008年08月14日 (木)
靖国神社・遊就館 2008/08/15
靖国神社について2010年08月15日
靖国神社について・2 2010年08月18日
靖国参拝をしなかった総理と閣僚に対する、安倍(晋)ちゃんの言葉 靖国参拝をしなかった総理と閣僚に対する、安倍(晋)ちゃんの言葉2010年08月24日
警察がこんなことをするなんてね・・・私はここで知りました。8月15日の靖国で。2010年08月26日 
~沖縄から問う 靖国裁判~ (テレメンタリー2010)2010年09月04日
『靖国合祀の取り消し認めず 那覇地裁が遺族の訴え棄却』2010年10月26日 
靖国神社についての仙谷官房長官の認識は、理解できる2010年12月28日
国会議員が168人などという大勢で、しかも閣僚も靖国参拝など、もってのほかではないか。 2013年05月19日
【行ってみた】終戦記念日の靖国神社がスゴイ所だった---NAVERまとめより。2013年08月19日

=======================

この中の、④靖国神社・遊就館 2008年08月14日で、
2008年当時に私が書いた内容の一部を、そのままここに転載します。

===============ここから。
・・・・

まあそれはともかく、展示物。
新聞テレビ、ネット等で見聞きしていたので、ああ、こんな感じか・・と思った。
「大展示室」では、当時の飛行機や魚雷、戦車に特攻機が展示してあった。
そういうものに説明書きがあったかどうか、記憶が定かではないけれど、
人間魚雷”回天”は、「これに乗って行ったのか・・」と思うと気が重かった・・。

飯ごうや鉄カブトなど、戦地から収集した物もあった。
錆びていたけれど、生々しかった。

ただ・・パンフレットの最初の文・貴重な史資料が真実を語り継ぐ。に、
違和感を感じた。
(一部)(そのまま)
「・・・近代国家成立のため、わが国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、
皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、
避け得なかった多くの戦いがありました。
それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、
英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館の持つ使命であります。・・・」

・・・・中略・・・・

終戦記念日だからか、大勢の人が来ていたけれど、
みんなどんな事を思いながら、考えながら、あの展示物を見ているのだろう・・と、
私はつい展示物を見ている人をながめてしまった。

=====================ここまで。



2006年8月15日に初めて訪れた遊就館は、
「悲惨だった戦争を伝える場」という感じはあまりしなくて、
一種の「歓喜的」なものが感じられました。
もちろん、戦死者の写真もあって生々しくはあるのだけれど、
人間魚雷の回天などは、無造作にポンと置かれている印象を持ちました。
(私の意訳だが)「こういうのに日本兵が乗って、敵をやっつけたんです」、
のような。
あの時遊就館では、真剣に見入る人もいれば、微笑を浮かべ楽しそうに、
普通の博物館かショッピングモールでも歩くような感じの人、
様々な人がいました。
私は、ただ、重い気分ではあったけれど、「どういう博物館なのだろう」
「どうなっちゃってるんだ、この博物館」とぼんやり思いながら、口を開けて
ポカーンと見て回りました。

「遊就館」という博物館は、とにかく変でした。
河口湖に、おそらく個人が経営していると思われる、日本の名車コレクション館があって、
私はそれを見に行ったことがありますが(2006年より以前と記憶している)、
(オーナーの趣味か、日本の戦闘機「零戦」も展示してあった)
雰囲気はそれに似ています。
何だろう。遊就館とは何だろう。

最近、思い浮かびました。
2000年代初めに、夫の兄夫婦家族と子供も含めて6人で、栃木と群馬を
旅行したことがありました。
その時、道で見かけたのが「珍宝館」という看板の建物。
(参照:「秘宝館」(wikipediaより一部抜粋、転載)
実際には「○○秘宝館」と呼ばれる施設は性風俗に関係する物品を陳列する施設とほぼ同一であり、「秘宝館」という語は主に性や性風俗を扱った施設を婉曲的に指すのに用いられている。)
雰囲気で何となく分かったけれど、一応夫に聞いてみたら、「多分そうだよ」と。
そういえば、今はあるかどうか分からないが、山梨でも国道沿いにありました。

遊就館とは、「秘宝館」(珍宝館)ではないだろうか。

なぜ私はそう思ったのか。
その理由は、先ほども書きましたが、
遊就館には、展示の仕方も含め、一種の「歓喜的」なものを感じたからだ、
とも言えます。
どういう種類の「歓喜」なのか(そもそも「歓喜」という言葉が当てはまるのか)、
表現できないのですが。

秘宝館は(私は見に行ったことはないですが)、
見てもあまり害がなさそうですが(ネットでいろいろ見てみました)、
遊就館は、秘宝館よりももっと、
「見てはいけないものを見た」感じがしました。秘宝館よりも、卑猥な感じ。
回天の展示の仕方や戦闘機の展示の仕方、お土産売り場というものを見た時に、
人間に対しての尊厳や良心(「良心」…ですね)を感じられなかったのです。



余裕のない社会の象徴なのか。--- 「ベビーカー」使用について ---
2014年10月19日 (日) | 編集 |
こんにちは。少し、更新の間隔が開いてしまいました。

今日は、ツイッターがきっかけで知った、「ベビーカー騒動」について、です。
「ベビーカー騒動」という表現はどうかな、と思ったのですが、ネットで誰かが言っていたとおり、込んだ電車内にベビーカーを持ち込むことについてあれこれと論争が起こり、定期的に「炎上」するという現象はあります。
それは残念ながら、相変わらず日本では、子どもは社会全体で育てるものではなく、子育てが親の責任であるという風潮や、家事育児は基本的に女性がするものだという意識が根強いということを表してもいる、と思います。
(または、家事育児に限らず男女を問わず、「介護は家族がするもの」という意識)

ネットサイト:「PRESIDENT Online」の(2014年10月6日(月)付)の、
(女の言い分、男の言い分)「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」
(このページの回答者は、大宮冬洋さん。)

「編集部からの指令」として、
【先日、とある会合で出会ったワーキングマザーがぽつり。
「駅構内でベビーカーを運んでいるとき、助けてくれるのは女性か外国人。妊婦時代に電車で席を譲ってくれたのも女性が多く、男性のなかには私を押しのけて席をとり、爆睡するような人も」……。
彼らはなぜ、困っている女性に手を差し伸べないのでしょうか。】(全文転載)

という、"お題"のような文章があり、
男がベビーカー女子を助けない2つの理由(←こちらの回答者は、佐藤留美さん)
と、女性が書いている記事もあります。
(ネットでは、大宮冬洋さんがかなり批判されていますが、
佐藤留美さんの記事も読むべきだと思いました)

大宮冬洋さんの記事について。

私の感想です。
まず、苦々しく思うのが、PRESIDENT Online スペシャルが名付けたのか、
「ベビーカー女子」という言い方です。
鉄道やカメラを趣味にしている女性を「鉄道女子」「カメラ女子」と名付けているのはテレビ新聞等でよく見ますが(本当はそれも苦々しく思う)、それはまあよいとして、
「ベビーカー女子」って言われても…という感じです。
あと、「日本男子」ですね。「日本男子」と、まとめてしまったところ。
日本在住なのか日本人と言いたいのか知りませんが、男性でも、
おそらく大宮さんのような人ばかりではありませんよ、と思います。

『ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。混雑している街中や電車内に持ち込むのははっきり言って迷惑だと思います。』
って大宮さん、"ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」"ではないですか。
親(大人)が子どもを育てるのだから、大変なら使うのは当たり前だと思います。

まず、乳幼児を連れて外出しなければならない事情の人がいる、そしてそれがいかに大変か、という想像力をまったく欠いています。

例えば、一人の親が二人の乳幼児を連れて(例えば、上は2歳半下は6ヶ月としましょう)ベビーカーで外出する場合、6ヶ月の子をベビーカーに乗せて子どものオムツや着替えや飲料水(いずれも二人分)なども載せて、親自身の荷物(お財布やその他必需品)を持ち、その上で2歳半の子の手を引いて外出しないとならないのです。もしも、2歳半の上の子がぐずったら、抱っこしないとならないかもしれない。2歳半の子どもというと、13~14kgほどあります。
その状態で、電車が込んでるからベビーカー邪魔・・だから畳め、というと、
子どもを二人抱えて(一人は抱くか背負って、もう一人は手を引いて)、ベビーカーを畳んで持たないとならなくなります。電車は揺れているしブレーキもかかるし不安定で、そんなことを想像しただけで、私にはとても無理です。
大宮さんはこういう状態を想像できないのでしょう。

私の妹は子どもが二人いますが、上の子がまだ一人だけの時に、母と妹と姪、私の4人で電車で八王子まで出かけたことを思い出しながら書いていますが、
ベビーカーで親1人で、1人の子連れでさえも外出は大変だ、
と感じました。

大宮さんの記事の3ページ目。内心では「勘弁してくれよ」
が、すごい。(この場合の「すごい」は、良い意味ではないです)
『こんなことを言いつつも、自分に子どもができたりしたら便利なベビーカーを使うようになるかもしれません。ただし、キャリーバッグを引くとき以上に注意するし、周りにも配慮しますよ。混雑した場所や時間帯などはできる限り避けます。』
ということですが、
大宮さんにもしも将来パートナーさんが出来て、子連れで電車に乗って移動しなければならない用事が出来た時、パートナーにも同じことを言うのだろうか。

本題からは少し逸れますが、ネットでは、「大宮さんは炎上狙いでわざと、このテーマを選んだのではないか」と推測する人もいます。私も、それは少し感じました。

=================

人口密度の高い都市部に住んでいると、どうしてもこういう問題(ベビーカー使用など)が出てきてしまいますが(私の住む山梨だとおそらくほとんどの人が、子連れだと車で移動していると推測)、
公共交通機関での移動というと、「妊婦さんマーク」も似たようなことが起きているようです。

正しくは、「妊婦さんマーク」ではなく、「マタニティマーク」、ですね。
妊娠していると、初期はお腹が出ていなくて、お腹の中に子どもがいるとは分かりにくいです。さらに流産の危険もあるので、もちろん、外出しないに越したことはないと思いますが、それでも用事があってという時は、電車やバスを使わざるを得ない場合もあると思います。
なので、「私は妊娠しています」ということを乗客に分かってもらうために、マタニティマークをバッグの前面など分かりやすい場所につけて乗車する、というのは私は賛成です。
ところが、です。
世の中は必ずしもそうではない、ということを、ネットで知りました。
例えば、こんな。→妊娠3ヶ月になりました。マタニティマークをもらったので、付けて外出しようとしたら、義母に「なんでつけるの?妊婦だと思ってほしいの?」といわれてしまいました。
これについて、男性の意見も知りたいと思い、一番身近な存在である私の夫に、
意見を聞いてみました。
箇条書きで。
■満員電車ではなく、人数が少ない時には、妊婦さんの座る席がなくても、特に譲らなくてもいいと思う。立っている方が健康にいいから。
■(「『マタニティマーク』は、私は妊婦だから席を譲ってください、といかにも言っているように見える」、というネットの反応には、という私の質問に対し)それは分かる。
■満員電車の時には、マタニティーマークや明らかに妊婦さんの人には、席を譲るべき。
と、答えてくれました。参考までに。
(ちなみに、夫には、ベビーカーのことも聞いてみました。
「親だけの用事でも子どもを家に置いてくるわけにはいかないし、そういう場合は満員電車でベビーカーの人でも大目に見てあげるべき」とのこと)


この、マタニティーマーク問題から考えてしまうことは、
お年寄りに席を譲るかどうか、ということもですね・・。
あと、老若男女問わず、「内部障害」(見た目は元気そうで何ともないように見えるが)を抱えている人がいる場合もあります。
この前、朝日新聞の「声」欄に載っていたのが、
「電車の中で立っているのが大変という場合は、声をかけてほしい」、
という意見です。
確かに・・。
そして、譲る方も席を快く譲る。それが一番いいのかもしれないです。
そして私がもし、マタニティマークをつけている人を電車で見かけたら。
席を譲ろうとして声をかける方も勇気が要るかもしれないですが、
「もしよかったら、どうぞ」と、話しかけてみようと思います。



震災前だった日々
2014年10月09日 (木) | 編集 |
F1000055 2014年冬(1月)
(写真はイメージ。2014年1月15日撮影)

=========================

空き缶(菅)は民主党の票を自民党に流すために選挙演説をしている
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/631.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2010 年 7 月 01 日 21:29:12: twUjz/PjYItws

http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/631.html

==========================

掲示板「阿修羅」に書かれた、4年前の記事です。

政権交代とは何だったのか。
阿修羅の掲示板の管理人は、誰なのだろう。
このブログの管理人は、私です。

「情報に踊らされる」とは文字通りで、そうなってはいけないと、
思っている。
けれど、実際にはどうか。
常にそれを考えながらでないと、です。
…とエラそうなことを言っていますが、
自戒を込めて。

--------------------

次回は、「ベビーカーについて」や、妊婦さんマークのことなど、
書こうと思っています。


古い家電に注意!
2014年10月05日 (日) | 編集 |
こんにちは(こんばんは、かな)。

F1000299 1987年購入のラジカセ、とうとうダメになってしまった。2014 09 26 記念撮影
(9月26日撮影。やっとアップです。
一緒に映っているのは、ぬいぐるみのシロクマくんとワンコさんです^^)

この前は、びっくりしました・・。
というのも、いつもラジオやCDを聴いているCDラジカセ(1987年購入)の
コンセントを入れようとしたところ、プラグが「ブアッ!」と、火を噴いたのです。
一瞬、光が目に焼きつきました。
(左手をちょっとやけど&黒いすすがつきました。怖~(゜д゜;)
コンセントのプラグの部分、銅線が出ているわ、何とかしないと・・
と思って約1年くらい経っただろうか、とにかく劣化していたのですね。
とうとう、その時がきてしまったと思いました。
(コンセントだけを直す以前に、使うことが危険)

思えばこのCDラジカセを買いに行ったのは、甲府駅前の個人電器店。
あの頃は、駅前が今みたいに整備されていなくてゴタゴタしていて・・・
父と母、私と妹の4人で出かけた覚えがあります。
そこでなぜか、妹の小学校2年のときの担任の先生にバッタリ会ったり、
(よくそんなことを覚えているなぁ)
新品だった頃のことも思い出します。

購入20年目くらいか、本体のスイッチのボタンを押しても点いたり点かなかったりして、
スイッチの上に重しを置いて聴いたり、かと思えば急に音が大きくなったり小さくなったり、
ついにはCDを読み込まなくなったので
(今思えば、「CDラジカセさん、ごめん・・」ですが)
かかとで蹴ったり、カメラのレンズのほこりを取る、プシュープシューと空気を送るゴム様の(いま検索しましたが名前が分からない)丸いやつでCDやCDラジカセのほこりを落としたり、
ちょっとまた別のショックを与えてみたり、すると偶然にCDがかかる、という状態でした。

話が逸れてしまいました。

要するに、あまりに年数を経た家電は、危険だということです。
(以前、古くなった電気ストーブで畳を焼いてしまったことがありました。
加熱です。皆さんも気をつけてくださいね)
ドライヤー故障に居合わせたこともあります。
(これは我が家ではなく、私が入院中の時(たいした病気ではないです)、病院所有のドライヤーで髪を乾かそうとしてコンセントを入れたら、「ブワッ」と火が出て・・ドライヤーはダメになったようですが、看護師さんに言いに行ったら「えっ?」みたいな顔をされてまるで私が壊したようになってしまい・・劣化していたのでしょうが、偶然当たってしまったというわけです)

・・・というような話を長々と書いてしまいましたが、
コンセントとコンセントをつなぐ「テーブルタップ」も要注意、古い冷蔵庫も要注意です。
(ツイッターで教えてくれた方いわく、扇風機や「PCの線も注意」だとか)

------------------

震災の少し後に書いた、
飲むヨーグルトの作り方が、このブログではよく読まれています。

そして、「あっ、これは役に立つなぁ」と思ったブログがあるのですが、
ミヤコワスレ(という花があります)の植え替えの時期や方法について、
書かれた方がいるのですが、
我が家にはミヤコワスレが植えてあるのですが、ちょっと瀕死の状態・・
植え替えたら、私の植え替えの様子とともに紹介しますね。
(と、ブログに書けば私はミヤコワスレを何とかするだろう)
(すみません、記事が無駄に長くなってしまった)

すみません、訂正です。(10月9日)
この記事で私は、「コンセント」と「プラグ」を混同して書いていますが、
正しくは、≪ラジカセのプラグをコンセントに差し込もうとしたら、火を吹いた≫です!
最初の、
「コンセントを入れようとしたところ、プラグが「ブアッ!」と、火を噴いたのです。」
は、間違っています。
「コンセントとコンセントをつなぐ『テーブルタップ』も要注意」
も、意味不明になってしまう。間違えていました。
参照→プラグとコンセントの違い
「プラグは差し込むやつで、コンセントは差し込まれる方です。」
とあります。こちらの方の言うことが正しいです。



復員兵の話
2014年09月27日 (土) | 編集 |
今回は、先日の記事の最後で、書こうと思うと記した、朝日新聞読者の投稿について、です。私が、読者の戦争証言の連載の中でもっとも忘れられなかった話です。

昭和61年7月~62年2月、朝日新聞4面 テーマ談話室「戦争」連載シリーズをまとめた、
朝日ソノラマ発行・朝日新聞テーマ談話室編者の「戦争---血と涙で綴った証言---上巻」(昭和62年7月31日発行)の、
246~7ページ(紙面では昭和61年10月23日付で掲載)より。投稿者は、当時55歳の神奈川県在住の女性。健在であれば83歳になっています。月日の流れを感じます。
全文は、本を写真に撮って載せました。
クリックすると拡大します。

タイトルは、「娘心を傷つけた『南京の話』」。

F100029朝日新聞 声 戦争1

F1000294 (1)朝日新聞 声 戦争2

F1000295 朝日新聞 声 戦争3

この中から、一部抜粋してここに転載します。ここから============

「・・・30畳くらいの部屋に緑色のカヤをいっぱいにつってゴロ寝です。疲れでウトウトしかけたころ、五、六人の男が酒盛りをはじめました。みな復員兵で、いわゆるプロのやみ屋。それぞれに手柄話が始まりました。
 聞くに耐えない話ですが、中国の娘さんを何人もで暴行し、いったい女の体にどこまで手が入るかということになって、どんどん手を入れていくと、腕の付け根まではいるんだとゲラゲラ笑いながら話しているのです。
 私はバネじかけの人形のようにとび起きてカヤの外にとび出そうとしました。すると母があわてて、そっとしてないと何をされるかわからないと引き止めたので、じっとしていましたが、その間にも、それはどこだ? 南京南京、あそこは一番おもしろかったぞ、やり放題盗み放題だ、とにかく行軍中、兵隊が疲れてなかなか指揮がとれなくなると、上官が、もう少しの辛抱だ、次の町に入ったら何でもやれというのだそうです。」・・・

=============ここまで

「敗戦の年の秋口のことです」と書いてあるとおり、この女性が復員兵から話を聞いたのは戦争が終わってすぐ、の時期です。「私はバネじかけの人形のようにとび起きてカヤの外にとび出そうとしました。」に表れているように、相当なショックを受けたのだろうな、と思いました。
この読者証言の連載を読んでいた私は当時16歳で、「いったい女の体にどこまで手が入るかということになって、・・・」の部分は、被害者の体のことを想像して自分に置き換えてみるととても恐ろしく、この話は、時々なにかのきっかけで思い出しました。(この証言の一週間後の当時25歳の女性の投稿には、「女性の立場から身震いするほどの恐怖感で体をこわばらせました。」という感想があります。また、25歳女性の投稿と並んで、55歳女性証言に対し"反論"めいた投稿も。掲載当時65歳男性(戦地に日本軍として行った人)は、「敗戦にすさんだ生活の中での酒席のワイ談を、決して真実と信じてはならない。」(「私は、前進でそれどころではなかった・・・連日行軍のその日、朝から下痢をして・・・」ということも)、と書いています。ですが、「敗戦にすさんだ生活の中での酒席のワイ談を、決して真実と信じてはならない。」とは言い切れない、と思います。

「日本軍 レイプ」で検索したら、
ニューギニアで 旧日本兵が行った残虐
というページに出会いました。こんなことまで・・という日本軍の残酷・残虐行為。(読むと気分が悪くなるかもしれないですが、私は、これは確かに現実に起こったのだと思いました)
1944年から1945年にかけてのことらしいですが、読んでみると、文中でも筆者が「はたして、この被害の実態が被害者側の証言だけで証明できるのだろうか。」と書いているように、「真実かどうか」「実際にあった事件かどうか」は、証明が難しいかもしれない。でも、証言した現地の人は、確かにいる。
(上のリンクのニューギニアの記事は、1997年10月17日発行の「週刊朝日」らしいです。書いたのは、須藤真理子さんという、2000年の12月に亡くなったジャーナリストのようです。「映像作家の鎌仲ひとみさんが、須藤さんの闘病の日々をNHKの特集番組で撮影なさった」と、こちらのページ→Cafe Lunatique (No.0019) 寮美千子の掲示板 に、須藤さんのことが書かれています。

また、おそらく一般の方のブログですが、
復員兵が帰ってきた 昭20年秋 (2007年2月3日)
という記事を見つけました。
(ブログ:「nozawa22」さま。)勝手ながらリンクさせていただきました。
『昭和二十年の秋だっだろうか。その頃あちこちの家に戦地から父や兄が帰ってきた。』
というはじまりで、復員兵の人の話を書いていらっしゃいます。
戦地から帰ってきた日本軍の兵士ひとりひとりに、
想像も出来ない苦労があったのだな、と思いました。


-----------------


重い話が続きましたが、
次回のブログは、少し趣を変えて。