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「軽度のKY」な私
2009年05月11日 (月) | 編集 |
「KY」とは一時流行語にもなったが(流行語まではいかなくても、今でもまだ、使われている?)、
『空気の読みすぎ』---【社会を萎縮させる同調圧力】という、2009年4月9日の朝日新聞の、
私の視点×4 というオピニオン面をスクラップしておいたのが気になり、引っ張り出してきた。

(私は自分のことをひそかに スクラップじじい と呼んでいる。なぜじじいかというと、私は「おじさん」に憧れているから。おじさんがタイプ、というわけではなく、自分がおじさんになりたいのである。変?^^
おじさんはどこか、自由な空気を発している。そこにあこがれる・・・私についてのどうでもいい余談)

「空気読めよ」・・・この言葉を、面と向かって言われたことのある人っているだろうか。
私は、そもそも家にずっといるので他人との関わりはすごく少ないということもあるが、今までの人生の中
でも、そうハッキリとは、言われたことはない。
そして、実際の労働の現場、職場などでは、この言葉を使うと、馬鹿というか品性・知性の無い人のように見られてしまいそうだと想像するので、使われてはいないのではないか・・(私の勝手な想像だが)

『空気の読みすぎ』を寄稿していた津田塾大准教授の萱野稔人(かやの・としひと)さんの記事から、
私が気になったところだけ抜粋してみた。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
 いまはコミュニケーション能力が過剰に求められる時代である。・・・・自分の価値を認めてもらうためには高度なコミュニケーション能力が必要とされる。
・・・・組織をまとめあげる、アイデアをだす、交渉する、プレゼンをする、ディスカッションをするといった、高いコミュニケーション能力が必要とされる活動がどうしても物を言う。社会のあり方が、工場中心からコミュニケーション中心へと大きく転換しているのである。
 しかし、コミュニケーション能力が、人びとの価値を決める独占的な尺度になることは、はたして健全なのだろうか。・・・・・
 もちろんコミュニケーション能力も人間の能力の一つではある。だから、それが評価基準の一つになることは当然あっていい。とはいえ、コミュニケーション能力をめぐる過当な競争は、人間関係にひずみをもたらすだろう。・・・・・
 引きこもりまでいかなくても、周りとのコミュニケーションのなかで自分がまともに相手にされなければ、誰だって心を閉ざしてしまい、内にこもりがちになるだろう。コミュニケーション能力をめぐる競争が激しい社会では、それにつまずいてしまった人にとても冷淡だ。
 また、いじめは、子供たちのコミュニケーション能力の欠如から起きているのではなく、逆に、みんなが空気を読みすぎることで生じるストレスのはけ口を特定の人間に向けることで起きている。こうしたストレスや重圧は、子供に限った問題ではない。空気を壊してはならないという圧力は、人びとにコミュニケーション能力をさらに要求するだろう。・・・・
 (下線は私が引きました。)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


「空気読め」っていう言葉、そんなに前からあったわけではないと思う。ここ3~5年くらい?なのかな。
2ちゃんねるで「空気嫁」というのが出てきたときは、私は、「空気嫁」という2ちゃんねるで有名な人のことを指しているのかと思ったら、そうではなかった。
まあ、ネット空間でお遊び的に使われている分にはいいのかもしれないが、
深刻だなぁと思うのは、今の子どもたちだよね・・。私が小学校~高校生だった1977年~1989年は、どの時代にも共通していると思うけど、いろいろなタイプ(性格)の友達がいた。
「同調圧力」みたいのも全然ない、とは言えず、あったと思う。
でも、今みたいに、それこそ過呼吸になりそうなぐらい気を使って空気を読む、という感じではなかったように思う。場違いなことを言ったり、そういう行動があっても一瞬シーンとして、終わり、みたいな感じだったかなぁ。

もう少し書こうと思ったことがあったけれど、時間がなくなってしまった・・。また後で・・。

コメント
この記事へのコメント
ご訪問ありがとうございました。
会社の同僚や友人同士の語らいの場などでは、「同調圧力」が自然に働いてオイルのように空気が潤滑します。
仮にその場の雰囲気を壊すような発言が出て
空気が変わっても、その人の真意を考えることは有益だと思います。
真意が無くて、単に屈折した意見であっても
自分として マジョリティーな場にもなごんで、かつ、同調圧力に屈しない人の言葉にも
耳を傾けられるとするならば、同時に二つのまなざしを向けていられるので、とても鍛錬されます。
2009/05/12(火) 01:53:46 | URL | syuuhou #-[ 編集]
♪syuuhouさん、おはようございます。コメントありがとうございます!^^
同調圧力はある程度必要なんでしょうかねぇ・・思いやりみたいなもので。
「空気読んでよね」といった言葉も、100%悪いものではないと感じます。
「空気」とか、その場の雰囲気って、何人か集まると「支配」する人がいると思います。
私は自分が空気を支配するということなどめったにないですが、自分が空気の支配者になっても、慣れないので居心地悪そう・・と考えました。
(空気・空気・・と言い過ぎると、息を吸い過ぎてげっぷが出そうです^^;)

そうですよねぇ。「同時に二つのまなざしを向けていられるので、とても鍛錬されます」・・・そのように考えられるといいですよね。「空気読め」という言葉は嫌!と突っぱねても同じことをしているようなものだし。その人の真意を考えるというのが、大切なのですよねぇ・・きっと。

(syuuhouさん、コメント欄、大変ですねぇ・・。コメントしたい・・どうしようかなぁと思っていましたが、拍手機能があって良かったです^^)
2009/05/12(火) 05:33:30 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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