きのうの山梨日日新聞の総合面に、
  --被爆死した米兵3人搭乗--
     【B24爆撃機の機体発見】

という記事が載っていた。
ああ・・聞いたことがある・・確か墜落して捕虜になって、そして原爆が・・

発見されたのは
「広島への原爆投下直前の1945年7月末、現在の広島市佐伯区で墜落した
B24米軍爆撃機『タロア』の機体の一部とみられる金属板2枚」だそうだ。

その、タロアという飛行機にはアメリカ兵3人が乗っていて、
呉港に停泊中の戦艦を爆撃するために、沖縄から広島上空へ飛んだらしい。(新聞から引用)
そして、広島市佐伯区で撃墜された・・・。3人は捕虜に・・。

まさか、仲間である米軍が落とした「新型爆弾」で死ぬとは、
3人とも、思いも寄らなかっただろう。

もし、戦争が終わるもっとずっと前だったら、
撃墜されて日本の捕虜収容所になんて入れられれば、
健康状態を悪くして病気や栄養失調かなんかで死んだかもしれない。
でも、もう少しで戦争も終わるという時だったのに、
捕虜になっても原爆さえアメリカが落とさなければ、
3人は死ななかったかもしれない・・。と思った。
他の米軍捕虜の人たちはどうなったのだろう。生き残った人はいたのだろうか・・。

祖父は、戦地へ2度行かされた。一度目は中国。二度目はニューギニア。
帰ってきて胃潰瘍を悪くして、終戦後2年で死んだ。

祖父の事をいろいろブログに書いてみたい、と思っていた。
でも、…何も詳しく知らない、ということに気づいた。
5年前に亡くなった祖母からも、
「胃潰瘍になってしまい看病が大変だった、おじいさんは戦争で体を壊した」
ということしか、聞いていない。
あるのは写真だけ。
(祖父が持っていた写真で、中国人であろう人が殺されている写真は、
終戦後急いで捨てたらしい。)

私の世代でこれだから、もっとずっと若い世代ではあの戦争自体が、
”歴史の教科書で習うもの=例えば明治維新のような”になってしまうのかな・・。

あの日に広島で直接被爆した人以外にも、後日爆心地に入った人も、
原爆の放射能が原因と思われる白血病やガンになった人や、
それで亡くなった人が大勢いるようだ。最近まで知らなかった。
Secret

TrackBackURL
→http://upishi.blog5.fc2.com/tb.php/327-877ce00a