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外務省の「外交資料館」のページより。日中戦争は「自衛」から、とあります。
2014年07月21日 (月) | 編集 |
こんばんは。
作家の辺見庸さんのブログで7月上旬に知ってから、気になっていたことです。
日中戦争のきっかけになった、「盧溝橋事件」について。

辺見庸ブログ「私事片々」
の、
2014年7月8日付の、辺見さんの日記より、一部抜粋、転載します。
=====================ここから。
・ニッポン外務省のホームページをみて仰天した。絶句。みまちがいとおもい、目をこすった。新たな対中戦争がはじまっている。あるいは、日中戦争はいまもまだつづいているのだ。「盧溝橋事件の発生」にかんし外務省はいう。1937当時の外務省ではない。2014年現在の外務省が、である。「昭和12年7月7日、北京郊外で日中間に軍事衝突(盧溝橋事件)が発生しました。日中外交当局は南京で善後処理交渉を行いましたが、事件の責任の所在をめぐって双方の主張は平行線をたどりました。現地では両軍の間に停戦合意が成立しましたが、中国政府は関東軍の山海関集結に対抗して華北方面へ中央軍を北上させたため、17日、日本は中国政府に対して、挑戦的言動を即時停止し、現地解決を妨害しないよう要求しました。これに対し中国側は19日、日中同時撤兵と、現地ではなく中央での解決交渉を求めました。その後、北京周辺で日中間の軍事衝突事件が相次いで発生したため、27日、日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った旨を声明、翌28日、華北駐屯の日本軍は総攻撃を開始し、31日までに北京・天津方面をほぼ制圧しました」。中国による「挑戦的言動」「現地解決を妨害」という事態があり、ゆえに「日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った」「日本軍は総攻撃を開始」云々というロジックは、77年前、すなわち、「大日本帝國」の国号時代とかわってはいない。ここからはニッポンによる中国の侵略、軍事占領、半植民地化という重大な歴史的事実が、ごそっとえぐりとられている。なんということだろう。
======================転載ここまで。

そして、外務省のページ。
外務省外交資料館 特別展示 日中戦争と日本外交

上の外務省のページを見ると、
『日本政府は自衛行動をとるのやむなきに至った旨を声明,』
と書いてあります。
私の感想ですが、
文章の書き方としては、句読点に「、」を用いずに「,」(カンマ)
を使っているのでとても読みにくいし、『自衛行動をとるのやむなきに至った』
という部分が、現在使われている口語体ではなく、
急に文語体の文体になっていて、意味も伝わりにくく感じます。
外務省は、わざと、ぼかしたいのだろうか。そう勘ぐってしまいます。

そして、その言い方というよりも、
「これはどこかの右翼団体か、靖国神社のHPなのだろうか?」
と思ってしまうくらい、盧溝橋事件についてあまりにも「日本目線」で書かれている(「日本外交」なら「日中外交」でもあるべきだが)のが、私は良くないと思いました。
要するに、外務省のこのページはお粗末です。
ただ、お粗末で片付けるには、「歴史認識」ということでは重大です。
戦争はいつも、「自衛のため」という名目で、組織の有力者が始めます。
犠牲になるのは、ほとんど一般市民です。

日本の外務省のHPにこんなことが書かれていることを、辺見庸さんのブログを見なければ、
私は知らないままでいたのではないだろうか。知らない人が多いと思います。


コメント
この記事へのコメント
史料を案内しているだけかと
外交史料館はかなり以前、昭和の時代ですが、調べものがあって何度か訪問したことがあります、ネットも無い時代でした。
今回話題の特別展示の記録ページは展示史料の紹介をしているだけのことで、現外務省の意思・解釈を示しているものと考える必要はないと思います。
「自衛行動をとるのやむなきに至った」という表現は当時の何か公式文書からの引用だと思えます。引用符を使っていないだけかも。

私は現外務省を信頼し擁護するつもりは全く無い、単にWebページの読み方として感じたことを述べました。
史料は公開されるべきであり、それを総合し大局から考察して自らの認識を構築するのは個々人の作業だと思います。
ソースを公開もしない人々が多くて記者クラブが跋扈する地域の歴史は貧しいものです。



2014/07/25(金) 14:09:38 | URL | ictkofu #IDjST/Bo[ 編集]
Re: 史料を案内しているだけかと
ictkofuさん、いつもコメントありがとうございます。

> 今回話題の特別展示の記録ページは展示史料の紹介をしているだけのことで、現外務省の意思・解釈を示しているものと考える必要はないと思います。
> 「自衛行動をとるのやむなきに至った」という表現は当時の何か公式文書からの引用だと思えます。引用符を使っていないだけかも。

確かに、そういう面はあります。
私は外務省のページなど(紙の文書も)見たことはなく、辺見さんの記事で偶然知ったのですが(本当はチェックすべきでしょうが)、
辺見庸さんの著書やブログ記事も、「大げさではないか」と感じることもあり、読むもの全てに同意するわけではないですが、
何というのでしょう・・・
外務省のページのあの文章からは、「ペラッペラな」印象を受けました。
人権意識の無さというか。


> 私は現外務省を信頼し擁護するつもりは全く無い、単にWebページの読み方として感じたことを述べました。

はい。それはありますね・・。
外務省が「事務的に」webページをつくっているのでしょう。
それはそれとして、なのですが。

> 史料は公開されるべきであり、それを総合し大局から考察して自らの認識を構築するのは個々人の作業だと思います。

ですよね。そうですよね・・。
それにしてもねぇ・・外務省は、と、
思ってしまいました。。

ictkofuさん、ありがとうございます!
2014/07/26(土) 16:40:25 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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