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もしも「仇討ち制度」が復活したら
2012年10月18日 (木) | 編集 |
滝実法務大臣就任中、二回目の死刑執行12/09/28
死刑執行について書いたブログ記事について。12/10/01

これらのブログ記事の、続きを。

いつだったか、死刑制度の話を書いたときに、
「死刑の問題と量刑の問題とがごちゃまぜになっていることが混乱を招いているように思います。」(原文のままです)
というコメントをいただいたことがありますが、
今日は、そういうことはおいておきます。
死刑制度反対(今日は、そのものについては、書きません)の記事を書くと、
他のブログで取り上げている時や、2ちゃんねる等の掲示板でも散見しますが、
必ず出てくるのが、
「もしも自分の家族が殺されたら、犯人を殺したいと思う」
「もし自分が、遺族の立場でだったら、到底許せるものではない」
「もしも遺族ならば、自分でぶっ殺したい」
そんなような言葉です。

そういう気持ちは理解できなくもないのですが、私はやはり、自分自身の家族がそうなってみないと、他人のそういう言葉を見ていても、聞いても、本当の意味では、「そういう気持ちは分からない。いざとなったらそう思うかもしれないけど、『犯人をぶっ殺す』まではいかない」、としか、言いようがないです。

なぜ、「死刑制度の問題」(特に、制度存続に賛成ではなく反対の意見を表明した場合)で、
「もしも自分の遺族が殺されたら・・」というフレーズが出てくるのか、と、
9月28日に記事を書いて、それについていただいたコメントを読んで、その他に掲示板や他の人のブログも見たり、それ以来ずっと、考えてきました。なぜそういう人が多いのか、と。

自分一人で考えていても、ずっと、「もしも自分の家族が」「自分が遺族になった場合」と言う人の気持ちが、理解できないんですね。ずっと、です。考えていました。

一人で考えていても、同じところばかりを廻ってしまいます。

私の話はいつも暗くなりがちで、それに死刑のこととなると、その話題がテレビで流れている状態でもないと、夫には聞きにくい、と思いましたが、きのう、夜ご飯を食べている時に、「一般的に考えて、だよ」という断りを入れて、
自分がブログに書いた、
滝実前法務大臣のブログ記事やそれに続く記事への反応の話をしました。
そして、「ネットの掲示板や質問箱みたいなのでも、『死刑廃止論者の人って、自分の家族が殺されても死刑にしろって言わないのかね』、っていうのが出てくるんだけど・・。それに、『自分だったらぶっ殺す』という人もいるけど、こういうのはどう思う?」と私は夫に話しかけて(夫は、「人を殺せば、死刑でしょ」とよく言います。要するに死刑制度存続派だと私は見ているが)、そこで、思い切って、「大昔の『仇討ち制度』を復活させる」、ってのは、どう?」と、聞いてみました。

夫の、第一声。「仇討ち制度、あった方がいいと思うよ」
私は、とにかく人の意見が聞きたかったので、「うーん、そうか」(死刑制度存続派の夫のことだ、やっぱり、とは思った)と返事をしました。
さらに、夫。「でも、ただの『仇討ち制度賛成』、じゃない」 と言うのです。
私は、「それって、どういうことだろう?」と、さらに聞いてみました。

ここからは、夫が、私に話した内容です。

----------------

仇討ち制度っていうのは、遺族が、家族を殺した犯人を殺す、ってことでしょ。
だから、そういう制度があったら「犯人を殺す権利が与えられた」、ってわけ。
で、犯人を目の前にして、日本刀だののこぎりだの、チェーンソーだの、何でもいいから殺していい、ってことでしょ。
でも、実際にいざ、「さあ、殺していいですよ。権利なんだから」と言われて、殺せる人間っているか?
もしかしたら、被害者に猟奇的なことをしてよほど頭にきた場合は躊躇なく殺す、ってこともあるかもしれないけど、オレは、だいたいの人間は、そんなことは出来ないと思う。
で、殺したら殺したで、今度は、自分が殺人犯と同じ立場になるわけ。
自分はあいつを殺した殺した、ってなって、夜も眠れない日が続くわ。
家族を殺した犯人を自分が殺したはいいけど、今度は罪悪感にさいなまれるようになるんじゃない?自殺する人だっているかもしれん。
そういうことじゃん。
だから、オレは、一度そういう制度を作ってみたらいいと思う。
だからオレは、死刑反対論者が出てきた時にそれに対抗して、「じゃあ自分の家族が殺されても死刑反対なのかよ」とか、反射的に言ってるわけじゃない。
命には命ってそういうこんだろ(ことでしょ)。

----------------------

上の夫の話は、「ちょっともう一回ゆっくり言って」とメモを取りながら、
内容はほぼそのまま、私がつなげて書き起こした文章です。
(昔の「仇討ち」に言及している部分が正確ではないかもしれない)

想像以上に、夫が死刑制度について、
私よりもずっと真剣で具体的に考えているなぁ、と、驚きました。

重い話、暗い話ではありますが、避けては通れない、と、
自分では思っています。また、続きを書きます。


コメント
この記事へのコメント
報復の連鎖しか生まれない
 こんにちは。

 仇討ち制度ですか、これはどう見ても江戸時代の習慣でしかないですよ。

 確かに自分の家族や友人が突然命を奪われたりしたら、被害者の遺族に与える精神的な苦痛は計り知れないし、殺人犯に対し「死刑にしろ」って思うのも無理はない。
 ただ加害者をどう裁くのかについては裁判で決めることであって、被害者遺族がどうこう言う余地については被害者参加制度で今置かれている心情や憤りをぶつければいい話なのだ。
 逆に加害者を殺したところで心が晴れるかと言うのはどうしても思わないし、逆に自分も殺人犯として起訴されるのがオチだ。そして今後罪悪感に駆られPTSDに陥ることも無きにしも非ずです。

 自分の家族や友人を奪った殺人犯は許せないからと言う理由で、もし仇討ちに走れば、知っての通りイスラエルとパレスチナのような「報復」でしかないし、もし仇討ち制度を合法化すれば報復の連鎖ばかり出て不毛な社会となるのがオチです。
「目には目を」「やられたらやり返す」的な価値観では、ヤクザやイスラエルとパレスチナの論理でしかない。
2012/10/23(火) 13:48:18 | URL | アジシオ次郎 #-[ 編集]
アジシオ次郎さん、コメントありがとうございます!
☆アジシオ次郎さん、コメントの返信が遅れてしまい、申し訳ないです。

>  自分の家族や友人を奪った殺人犯は許せないからと言う理由で、もし仇討ちに走れば、知っての通りイスラエルとパレスチナのような「報復」でしかないし、もし仇討ち制度を合法化すれば報復の連鎖ばかり出て不毛な社会となるのがオチです。
> 「目には目を」「やられたらやり返す」的な価値観では、ヤクザやイスラエルとパレスチナの論理でしかない。

ですね・・・同意です。
今さら「仇討ち制度」が復活するとは思えないですが、
「犯人には極刑を」と訴える遺族をマスコミ(主にテレビ)が報道する姿勢はよくない、
と私は感じています。
(遺族がそう訴えるのは分かりますが、マスコミが大々的に扱うな、と言いたい。)
殺人に至るには何か原因が必ずあるはずで、それを解決しないまま、
「やられたらやり返す」(殺人犯を死刑にしろ)では、
被害者遺族、殺人犯、両方にとって不幸なのではないでしょうか。

そして、国民がマスコミに扇動されて「死刑にしろ」「しろ」と言う。
「極刑にしてほしい」という遺族が「良い遺族」で、
「犯人を死刑にしないでくれ」、と訴えた遺族は、白い目で見られる。
(記事でも書きましたが、実際にありました)
「被害者の身にもなってみろ」「執行を粛々と(言い方はきれいですが)」
などと言う人はいますが、
それは、「お前にはぜっったいに、更正の機会を与えないからな!」
という、メッセージでもあります。

私がもしも殺人による被害者(死んでしまっていますが)や遺族になったら、
まず、「なぜ殺したのか」を知りたい、と思います。

アジシオ次郎さん、いつもありがとうございます。
2012/10/29(月) 17:19:41 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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