家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
  • 08«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • »10
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


8月3日、二人に対し死刑執行
2012年08月04日 (土) | 編集 |
ロンドンオリンピックの最中なのですが、二人の死刑囚に対し、
死刑が執行されました。

東京新聞:滝法相で初 2人の死刑執行 相模原・京都の殺人など:社会(TOKYO Web)
より、全文転載。
=========================ここから。

2012年8月3日 夕刊

 法務省は三日午前、静岡県三島市で女子短大生に乱暴し殺害した服部純也死刑囚(40)=東京拘置所=と、京都府と相模原市で計二人殺害した松村恭造死刑囚(31)=大阪拘置所=の二人の死刑を執行し、発表した。執行は小川敏夫前法相時の今年三月二十九日以来、約四カ月ぶりで、民主党政権下では三度目。被害者一人での執行は二〇〇八年四月以来。今回の執行で、未執行の確定死刑囚は百三十人になった。

 滝実法相就任後の執行は初めて。六月の就任直後の会見では「司法当局が死刑の裁断を下した以上、度外視した判断はできない」との考えを示していた。

 確定判決によると、服部死刑囚は二〇〇二年一月二十二日、静岡県三島市の路上でアルバイト先から自転車で帰宅途中だった上智短大一年生=当時(19)=を車に連れ込んで監禁し、乱暴。翌日未明、市内の山中で灯油をかけ、ライターで火を付けて殺害したとして、殺人や逮捕監禁、強姦(ごうかん)罪で〇八年三月に最高裁で死刑が確定した。

 松村死刑囚は〇七年一月十六日、京都府長岡京市で伯母=当時(57)=を刺殺し現金約二万円や背広を強奪。七日後の二十三日、相模原市で大叔父=当時(72)=を金属棒で殴り殺害、現金約三千円や携帯電話を奪ったとして、強盗殺人罪で〇八年三月に京都地裁で死刑判決を受けた後、控訴を取り下げ四月に死刑が確定した。

===========================ここまで。

重い気持ちです。

辺見庸・著の「たんば色の覚書 私たちの日常」p63,64より引用。

18 『世界には絞首刑用の鉄鐶(テッカン)をそれと知ってこしらえている工房がまだ存在するのであろうか。

19 世界には絞首刑用の鉄鐶をそれと知ってこしらえている職人が存在するのであろうか。


(※「鐶」・・・旺文社国語辞典には、『①金属製の輪』とあります。)

1ページ遡って。

17 「テッカン」という音も「鐶」という漢字も私は好きではない。音が乾きすぎていて、そのくせ、漢字がずいぶん偉そうなのも気に入らない。呑気な音で手の負えない性悪を隠しているような。だからかえって覚えていたのかもしれない。テッカン=鉄鐶は垂線と深い関係がある。垂線は単純なロープではないのだ。垂線の先端はいうまでもなく輪になっていて、その輪を二つの孔が開いた楕円形の鉄鐶でとめ、輪と頸(くび)にすき間ができないように人の頸の太さに応じて鉄鐶の綱を調節する。輪を人の頸にかけたとき、鉄鐶はぴたりとうなじの一定箇所に密着するのでなければならない。人の音と言葉を闇の中に宙吊りにし、やがては音と言葉を絶つためには、それより上でも下でも左でも右よりでもいけない。その厳密性を想像しない詩と詩人を私はこばむ。私は頸の後ろに密着する鉄鐶の冷たい感触を、自分のうなじに全感覚を集めて想像し続けなくてはならない。国家というものになにか感触があるとするなら、私のうなじにあたる鉄鐶のそれではないか。

私は、辺見さんのこの本を読む数年前に、絞首刑で人体はどうなるかというのを彼の別の著書で読み、それ以来、死刑に対して重く考えるようになってしまった。

要するに、死刑囚は「確実に死ぬようにしなければならない」。
「失敗」があってはならない。


「国家による殺人なのだから、
自分も死刑囚の殺害に手を貸しているようなものだ」といった、死刑制度反対派の人のブログやツイッターなどでの発言に対し、
私はその気持ちに少しでも近づこうとしてみた。
しかし、どうしても、実感がなく、そうはなれない。実感として、感じるのが難しい。

たとえば、「さつき」さんという人の、きのうのつぶやき。
この方は、死刑制度反対派のようです。

■さつき ‏@novluno
「ひとを殺したら償いが必要(ドヤァ)」ってひとからエアリプもらったけど、だから死刑にして殺してるのはわたしでありあなたなんですが、あなたはどう償うんでしょうか???他人ごとすぎ。ドヤ顔してるおまえがひとごろしなんだよ。気持ち悪い…

■さつき ‏@novluno
罪を償えなんて、誰に向かって言えるのか?「市民権」のあるあなたもわたしも、みんなで排除して殺して罪を背負ってる。死刑執行のボタンを押したのはあなたであり、わたしでもある。あなたは今夜眠れますか。


130人の死刑囚がいる。最近は死刑判決が多くなっているので、「死刑しなければどんどん増えていく」のか。それがすでに狂気だ。

自分の大事な人が誰か殺されて、「仇討ち」と称して犯人を殺せば、「殺した」実感はものすごいだろう。しかし私は今は、ツイッターでの「さつき」さんのように潔くは言えない。
自分も死刑囚を殺している一員という自覚を感じるのが難しい。

その代わりに、死刑囚が死ぬ直前の、
首の後ろの、「鉄鐶」の感触はどんな感じか(死刑囚しか感じることのない)、とか、
鉄鐶やロープは次の人に再利用するのか、
ロープだけで、鉄鐶だけ使い回しで、ロープは新調するのか、と、
そっちに気が行ってしまう。

だから結局、人を殺した殺人犯とはいえ、国で殺しているんだよね、犯人を。

「国で」、と書いて、自分が、という意識がない。そこが良くない、おそらく。






全然、つながらないかもしれない、ずれたことを私は考えた。

だったら、自殺は。

あるひとを自殺に追いやったのは、誰だろう。


最初から死にたくて生まれてくる人はいなく、生きている途中で死にたくなる。
「イジメられた」ことを苦にして自殺する若い人のことを報道しているのを見るが、
誰かが、死に追いやった。それは事実である。誰かが、死に追いやった。
「誰か」とは、教室でいじめを見ていた、その他大勢みたいな人たちも入る。


参照:
死刑について---『死刑絶対肯定論』という本。[2](2012年6月6日)



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック