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3.10
2012年03月10日 (土) | 編集 |
こんばんは。私が単に見過ごしただけなのかもしれないですが、地上波のテレビでは今日、1945年未明の東京大空襲のことを取り上げているテレビ局は見かけなかったような気がします。

昨日の朝日新聞「声」欄で、「写真版 東京大空襲の記録 (新潮文庫)」を出版した早乙女勝元さんが、大震災の影響で、自ら館長をつとめる東京大空襲・戦災資料センターの来館者が前年に比べ半数も減ってしまった、と危機感を訴えていました。このことは、気になりました。

関連した二つの新聞記事を紹介。
---毎日新聞 2012年3月10日 東京夕刊---
東京大空襲:67年 震災遺児に思い重ね 父母、妹亡くした女性が義援金活動 「悲しみ」越えるため
一部転載。ここから。===================

 米軍の焼夷(しょうい)弾が降り注いだ1945年3月10日未明、当時小学校6年で12歳だった高橋喜美子さん(79)さんは、江東区の自宅近くの小学校の校庭にうずくまり、泣き叫んだ。熱風で火のついた木材が舞い、立つこともできない。「お父さん、お母さん、さようなら」。火の粉が防空ずきんに引火して死を覚悟した時、見知らぬ男性が近くのプールまで手を引いてくれ、命拾いした。翌朝、校庭は黒焦げの遺体で埋め尽くされていた。

 疎開中だった9歳の妹を含む7人家族だった。空襲から逃れようと小学校に向かう途中、6歳と3歳の妹を連れた母ツヤさん(当時44歳)を見失った。3人とはそれ以来会っていない。父虎之助さん(同49歳)と20歳だった兄(70年に死去)は消火活動のため自宅に残ったが、結局自宅は全焼し、2日後に父と兄の3人で江戸川区の親類宅に身を寄せた。虎之助さんは空襲のやけどと持病の悪化が重なり、1カ月半後に急死した。兄は仕事を見つけて親類宅を出た。「突然独りぼっちになった現実が受け止められず、戦争を恨む日々が続いた」という。

 駅や列車の中でいつも母の姿を探し、同じ年ごろの母子を見ると、涙があふれた。

 21歳の時、友人の紹介で知り合った充さん(81)と結婚し、2人の娘をもうけた。「自分のような寂しい思いはさせたくない」と、専業主婦になり、娘2人を短大に進学させた。

 昨年3月11日は自宅で揺れを感じた。津波にのみ込まれた東北地方の様子がテレビに映ると、戦時中の焼け野原と重なった。「たくさんの孤児が出る」と思ったら、いたたまれなくなった。

======================転載ここまで。

---nikkansports.com 2012年3月10日16時45分---
石原都知事が東京大空襲67年「語り継ぐ」
一部転載。ここから。======================

東京都慰霊協会の主催で遺族や秋篠宮ご夫妻ら約320人が参列。石原知事は追悼の辞で「東日本大震災の発生から1年がたつが、依然として幾多の困難が横たわっている。戦争の悲惨さと天災の脅威を語り継ぎ、平和な世界を次世代への財産として引き継いでいかなければいけない」と述べた。

 出征中に新宿区に住んでいた両親が犠牲になったという男性(89)は「いつまでたってもいたたまれない気持ち。一緒に住んでいる家族を失ったことは、空襲も震災も同じだ」と話した。

 都は戦争の惨禍を繰り返さないことを誓って3月10日を「平和の日」と定めており、都庁で記念式典を開催。慰霊堂近くの碑に納められた犠牲者名簿には、昨年新たに判明した223人の氏名が追加された。

==================転載ここまで。

東京大空襲のことは、このブログには、毎年書いています。
忘れてはいけないことだと思っています。

ここから先は、最近の私のブログとツイッターについて、です。




一方で、ここまで書いてきて、やはり記事を消してしまおうかとも考えました。

この前、ケーブルテレビでアメリカ系列局の「3.11特集」で原発のことを放映していて、それを私は夫と一緒に見ていました。
彼は私の何が気に入らないのか、「ブログとかツイッターで原発を止めろとかやめようというのなら、実際に浜岡に行ってみないと、説得力ないんじゃない?」と言いました。

私はその時、あることを思い出しました。
3年くらい前に書いた、自分のブログ記事の「毛皮の実態」についてある女性から、
「あなたの記事に啓蒙されました。知ってよかったです」というような、だいたいそういう主旨の好意的なコメントをもらいました。

しかし、その人に対しては嫌な気分など全く起こらないものの、「啓蒙」という言葉がとても気になり、「私はそんなに上から見下したような言い方で書いていたのだろうか」と振り返り、
それ以来、毛皮についてブログで取り上げることは止め、ツイッターでも、RT(リツイート)することはあっても、自分でわざわざつぶやく・・ということはせずにいました。

ようするに、世の中を「啓蒙」しようとしてこのブログを書いている、と受け取られたかもと思うと居心地悪いというか。(コメントくださった方はそんなつもりで書いてくれたんじゃない、単に「知ってよかった」ということだろう)

夫の話に戻りますが、「じゃあ、私のブログとツイッターを見たことがあるの?」と聞きました。そうしたら、「見たことはない。見たくもない」、と。わけが分からない。
しかし、どうも、私がブログやツイッターで発信することが(特に、「○○に反対する」例:消費税値上げに反対する、など)、「そこまで言うのなら(私が夫に対して話す内容をブログに書いていると、夫は想像している??)、完璧に何から何まで知っていた上で書かないと、説得力がない」ということを言いたいらしい。

私は、実は、「声高に」というのはとても苦手なんですね。
夫に言われたことにより、考えてしまいました。
このブログももしかしたらそう見られているのか?と考えると、一気に書く気が起こらなくなりました。しかし、自分が伝えたいという気持ちは強く残っているので、結局こうしているのですが。
ツイッターでつぶやく気力は、一気に失ってしまいました。
自分でも反省する部分が、多々あるかもしれない、そんなことを思いました。
ツイッターはそのうちまた再開するかもしれません。情報収集のためだけにRTしますが。
今はもう、その他いろいろで疲れてしまいました。

ブログやツイッターのことでそんなに悩んでもしょーがない、これはツールじゃん、
と割り切りつつも、

やっぱね、もしも自分が声高に言ってると見られてたらイヤだなという。

「面白くない」というのは、それでいいのです。

「声高に」、というのは、私のイメージとしては、
『自分が話している言葉が、相手に届いていない』 ということです。
意見の相違は関係ないです。
(ブログを見て、「ここはちょっと違うな」とパッと見て離れる、とか単にそういう意味ではありません)
例えるなら、
政治家の答弁、『がんばろう日本』、うるさいCM、など。


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2012/03/11(日) 01:41:40 | | #[ 編集]
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2012/03/23(金) 15:03:19 | | #[ 編集]
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