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「うつ病の真実」という本
2012年03月02日 (金) | 編集 |
うつ病の真実うつ病の真実
(2008/04/23)
野村総一郎

商品詳細を見る


こんにちは。

私は小学5年生くらいから、「自分とは何か」、で悩んできました。
常に、敵が自分なのです。

何年も前の自分の手帳に、妹の本(上にリンクした、「うつ病の真実」)から、
自分が気になる部分を書き写したものが見つかりました。

以下、転載。================

「うつ病の真実」

 第3章の進化生物学からみたうつ病の意味(その2)

複数遺伝子の組み合わせがうつ病を呼ぶ
・・・・・うつ病にかかりやすい人は「几帳面」「真面目」「他人に配慮する」などの正確特徴を持つと言われる。このような性格をもった人は、どう考えても「いい人」である。
どこの組織にもなくてはならない資質であり、社会にとって望ましい性格と断言できよう。
なぜこのような「いい人」がうつ病になるのか、不思議な気もするが、
几帳面性は「自分の内部的ルール」であり、他者配慮性は「外部的ルール」である。
この特徴が両方揃うと、行動に矛盾が生じることになる。
つまり、「自分のペースを重んじ」「他人のペースに合わせる」ということは、
本来無理である。

この無理のために、(ある種の状況で)うつ病が発生してくる可能性がある。ここでは適応的な二つの遺伝子の「食い合わせ」が悪くて、病気になるのである。

進化生物学の仮説からみるうつ病治療論
・・・・・つまり、うつ病になると下手にあがかず、ある程度なるががままに任せておく、受身の姿勢が必要とされている。
このことは進化生物学の理論から考えても理にかなっている。
(※ここからがおそらく重要なのに、メモしていない。
『(うつ病になったら)ある程度なるががままに任せておく』ことが、どのように、
「理にかなっている」のか、は読んでいない。)

 ギリシャ悲劇にみるうつ病
うつ病はどのくらい古くからあるか
・・・・・たとえば、糖尿病の遺伝子はかつて食糧を確保するのが困難であった時代には適応的であったが、飽食の時代に裏目に出ている、といった見方である。
うつ病についても、太古の時代には必要性の非常に高かった資質が、ある時代に至って適合しない面が生じてきて、「病気」として受け止められるようになった可能性がある。

=================転載ここまで。

そんなに厚みはなかった本だったですが、「なるほど~」と、私が感じた部分です。

私は「うつ病」ではないですが、例えば、自分の体調の不良、子どもができなかったこと、自分自身が対人恐怖症(社会不安障害)であること、母からの支配(と感じていた)、母の死などで、いろいろ悩みました。
悩んだ時期は、長かったです。今では「そんなに突っ込んで悩みすぎてもしょうがない」という部分が心に出てきたものの、恐怖感などのコントロールが効かない時が、まだあります。

行き着いた先は、「なぜ、自分はこういう状態なのだろうか」、です。
悲観的になるでもなく、いつも、考えます。「なぜ、自分はこうなのか」と。
この本の存在は忘れていて、この前たまたまメモを見つけました。

私がこれを見て「ははは」と笑ってしまったのは、上の太字の部分、
つまり、「自分のペースを重んじ」「他人のペースに合わせる」ということは、
本来無理である。

ということろです。
もちろん、それをしていかないと社会が成り立たないので、みんなしているわけです。
それが度を過ぎると、心の病になってしまう。
度を過ぎるのを強要している社会、そんな社会のせいで、「病気」になるのかも。
「甘ったれ」だと思った方、そういう人もいるでしょう。
(光市母子殺害の元少年への死刑判決で、最近、興味深いブログ記事がありました。
それともつながっています。またあらためて紹介します)
(「そんな社会のせいで」の社会には、私自身も入っています)

うつ病についても、太古の時代には必要性の非常に高かった資質が、ある時代に至って適合しない面が生じてきて、「病気」として受け止められるようになった可能性がある。
という部分には、私がなぜ、人と話すのに強い不安や恐怖を感じるのか、
少し解明できたような気がしました。
大昔など(せめて江戸時代くらいも)、一般市民が大勢の人と一緒に集団行動、なんて、
そういう状況はほとんどなかったのでは、と思います。
明治で文明開化してみんな学校通うようになって、企業に勤めるサラリーマンが出てきて・・
終戦以降はさらに、「モーレツ」が続きます。
(で、行き着いた先が学校という、”将来効率よく働ける人間”の製造工場みたいな。
学ばないで、新卒で就職することを目標に。封切られる新しい靴下みたいに。
封を切ってしまえば、使っていなくても新古品です。)
話が逸れました。集団行動の話でした。
政治的に重要な地位の人や侍や武士、大名行列の人とか。
太古の昔になれば、うかうかしていると、他の集落の人間から襲撃されてしまう、
ということもあり、警戒心は持たざるを得なかったと思います。
野生動物に襲われる危険や大災害もあり、いろんな音を拾う人の方が、命拾いをしていたかも。
私は音に敏感で、化学物質などのにおいにも敏感ですが、
現代に生きる私は、それが逆に「病気」(心の調子の悪さ)を招いているともいえます。

すみません、冗長な文章になってしまいました。

結論的なことを少し。
私自身について、社会不安障害(主に対人恐怖)、うつっぽい気分について、
書いてみました。
「『心の病気』は社会がつくる」・・・のかもしれない。

(※「原因の全く不明な重いうつ病」もあります。名前で誤解されやすいですが「自閉症」は心ではなく脳の病気です。統合失調症も脳の病気だとも言われています)


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