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2001年9月11日と2011年3月11日、私は何をしていたか
2011年09月11日 (日) | 編集 |
2001年9月11日。「9.11」のテロの日。

ずっと、雨が降り続いていました。一週間くらいだったか、長い間、エアコンを除湿にしていたのを覚えています。そのころはまだ、私の母も元気で祖母もいました。先代の猫・ミミちゃんとうぴし・ミクちゃんという小型犬もいて、賑やかでした。

夫はもう寝るか寝ないか、そのくらいの時間。夜、9時40分前くらいだったか。
夫が「みんなのゴルフ」というゲームにはまっていたのを、妙に覚えています。
天気が悪く、エアコンをドライにして、肌寒かったような。
テレビのチャンネルをニュース番組にしたら、二つ並んだビルの一つに飛行機が突っ込んだという速報を流していました。
「高度が低すぎたのかな・・」「何なんだろう・・」「事故?」
そのうちに、二機目がビルに突っ込みました。
「これって、テロ?」
夫も起きてきて、ずっとテレビを見ていたと思います。
しばらくして、一つ目のビルが崩壊するのを中継で見ました。

-----------------------------------

2011年3月11日。東日本大震災の日。

午後2時46分。私は多分、新聞を読んでいたかネットを見ていたか。
グラグラと揺れが来たのが分かりました。一瞬、貧血かな・・と思ったがそうでもない。
あれ・・長い、と思ったら全然揺れが止まらない。
そのうち、不安になって立ち上がりました。えっ・・まだ揺れてる・・。
地震で恐怖を感じたのは初めてでした。
私の家の中では物は倒れませんでしたが、「これは大変なことになった」と思いました。
さっそく家族と連絡を取ろうと思ってもつながらない。(少し経って、つながりました)
関東にいる友人がとても心配になり(もしも海に近いところにいたら、と)、メール、
新宿に職場があるいとこにも何度もメールをして、無事を確認し、ほっとしました。
いとこは八王子在住ですが、
京王線に何とか乗れて、自宅に翌午前1時に着いたとメールをくれました。

テレビをつけたら、釜石がNHKの中継で映っていました。車が走っていました。
まだ今ならあの車大丈夫逃げられる、と思っていたら、最初は港にしずしずと増えていた海水が、すごい勢いで港や町に一気にあふれていきました。
仙台市若林区上空の、ヘリからの中継も見ました。
私は、ツイッターでつぶやき続けていました。

夫は3月12日13日と、地区の消防の旅行の予定でした。
しかし、消防部員たちと連絡がつかず、私がフォローして繋がっていた、消防部員の人とツイッターで夜になって連絡を取り、そこから何とかなりました。直接みんなで集まり、旅行は中止ということになりました。

計画停電が実施されました。
私の家は3回、当たりました。4回だったかな。
電気に頼り切っている、と実感しました。井戸水をモーターでくみ上げているので、
停電になると水も使えませんでした。

地震が起きる前、私は、山口県の上関原発建設がどうなるか、気にかかっていました。
それなのに、まさか、福島で原発事故が起きるとは思っていませんでした。
事故後も、チェルノブイリ原発事故くらいの期間で収まるだろうと、勝手にそう予測していました。
メルトダウン、メルトスルー・・・半年も経つのに原子炉から放射性物質が漏れ出ている・・
こんなことは予想もしていませんでした。
今では、私は「脱原発」「反原発」を訴えて・・というか、「原発を停止しないと次の事故がいつ起きてもおかしくない」ということを思ってツイッターでつぶやいていますが、しかし、水素爆発が起きてもまだ、日本の技術なら早く収まる、当時はそう思っていました。
そのうち、それまで隠れていた、否、自分が詳しく知ろうともしなかった、原発や放射性物質についての様々なことを、知ることになりました。


コメント
この記事へのコメント
テロから10年、震災から半年
 こんにちは。

 昨日は節目の日尽くしでしたね。アメリカ同時多発テロから10年、東日本大震災から半年と、同じ日にあれだけの出来事が起こった日の節目の日となったのだから。

 9.11当時、私はWTC(世界貿易センタービル)に飛行機が追突したのを見て「何だ、映画のワンシーンか!?」と怪訝な表情で見て、間髪入れずに別の飛行機がビルに別のビルに追突「まさかこれは・・・!?」と目を疑いました。悲鳴が飛び交い、その後ビルが崩落し、逃げ惑う人々、あのシーンは今もなお目に焼きついています・・・。
 これを機に対テロ戦争へと突入したアメリカ、このシーンは新たな戦争の時代突入を暗示するものだったと言えます。

 あれから10年、事件現場となったあの場所は元通りの活気を取り戻してますが、あのテロ事件で家族や友人を亡くした被害者の精神的苦痛は癒えないでしょう・・・。日本人も何人か犠牲となったのだから・・・。
 このテロがもたらしたものは、アメリカとイスラムの深い溝で、テロ以降アメリカにおいてイスラム教徒に対する差別や偏見が激しくなり、昨年全米中で話題となったモスク建設問題もまたそれを象徴しています・・・。
 同時多発テロから10年、溝ばかり深くなるアメリカとイスラム、アフガンやイラクなどで「対テロ戦争」のもとに軍事費ばかりかさみ結果として財政悪化、結果が格付け低下と来たのだから、アメリカにとっても激動を繰り返した10年でしょう。おそらくベトナム以上の泥沼だと言えます。

 震災から半年、あの日私は新たな記事のネタを練っていたところ突然激しい揺れが起こり、停電となっただけでなくその後も立て続けに余震と来たもんだから、これはかつてない地震だ!! と感じました。

 その後は原発事故だ、津波被害だ、計画停電だと不安に駆られるような話題ばかり続き、とりわけ原発事故はチェルノブイリのような惨劇が福島で起こってしまうのか!? とすら感じたし、東電と民主党政権の後手後手がまた火に油を注ぐ結果になってしまったのだから、最悪です・・・。
 これは日本に「原発は必要なのか?」と言う疑問点を投げかけるものでしたし、風力や太陽光発電と言った自然エネルギーがクローズアップされたのも原子力に対する不安から注目されたんでしょう。この事故でドイツは脱原発に舵を切ったのだから、他国に「原発不安」を与えたのは言うまでもありませんでした。

 震災から半年、未だ残るがれきや避難所暮らしを強いられている原発付近の住民、単に政府の迷走が未だこういう状態を作っているのだと言えます。政局よりも被災地復興が大事なんでしょうが!?

 テロの犠牲者と震災の犠牲者に深く哀悼の意を改めて示したい私です。
2011/09/12(月) 13:49:41 | URL | アジシオ次郎 #-[ 編集]
Re: テロから10年、震災から半年
☆アジシオ次郎さん、こんばんは。
いつも、訪問・コメントありがとうございます!v-280

>  9.11当時、私はWTC(世界貿易センタービル)に飛行機が追突したのを見て「何だ、映画のワンシーンか!?」と怪訝な表情で見て、間髪入れずに別の飛行機がビルに別のビルに追突「まさかこれは・・・!?」と目を疑いました。

私も、そうでした・・。呆然というか、こんなことが本当に起きるのだろうか、というか。
あの犯人たちはマークされていた人物もいたものの、最終的に見逃されてしまったらしいですね・・。

>  これを機に対テロ戦争へと突入したアメリカ、このシーンは新たな戦争の時代突入を暗示するものだったと言えます。

ビン・ラディンは殺害されましたが、後味が悪いです。
身柄を拘束して、追及するべきだったと思います。

>  このテロがもたらしたものは、アメリカとイスラムの深い溝で、テロ以降アメリカにおいてイスラム教徒に対する差別や偏見が激しくなり、昨年全米中で話題となったモスク建設問題もまたそれを象徴しています・・・。

イスラムに対する偏見というのは、日本人の私にはどういうものなのか分からない、
としか言いようがないですが、ほとんどのイスラム教徒は「ごく普通の人」だと思います。
日本ではWTCビルに航空機が突っ込む映像を、あのテロの直後にそれこそ何十回も何百回も流しましたが、アメリカでもそうだったのでしょうか。メディアが与える影響も大きいと感じます。
アメリカ軍がアフガニスタンを「空爆」(空襲)する映像は、WTCビルの映像に比べて、そんなに執拗に流されていない気がします。

>  同時多発テロから10年、溝ばかり深くなるアメリカとイスラム、アフガンやイラクなどで「対テロ戦争」のもとに軍事費ばかりかさみ結果として財政悪化、結果が格付け低下と来たのだから、アメリカにとっても激動を繰り返した10年でしょう。おそらくベトナム以上の泥沼だと言えます。

泥沼ですね・・。そして、アメリカの抱える「病気」としか言いようがないです。
911テロの首謀者とされるビン・ラディンを殺しましたが、次々にビン・ラディンのような人が出てくる。そういうことは考えないのでしょうか・・。
戦争をしてお金を回すというのがそもそも、間違っていると思います。

>  その後は原発事故だ、津波被害だ、計画停電だと不安に駆られるような話題ばかり続き、とりわけ原発事故はチェルノブイリのような惨劇が福島で起こってしまうのか!? とすら感じたし、東電と民主党政権の後手後手がまた火に油を注ぐ結果になってしまったのだから、最悪です・・・。

自民党はやたらに民主党の「後手後手」を批判していますが、谷垣さんを見ていると悲哀を感じるのは、原発は自民党が進めてきたということをすっかり忘れているように見えるからでしょうか・・。

> この事故でドイツは脱原発に舵を切ったのだから、他国に「原発不安」を与えたのは言うまでもありませんでした。

そうですね。
ドイツで脱原発と思ったら、フランスでは核施設で爆発が起きましたね・・。
どうしてあそこまでフランスは原発にこだわるのか・・。

>  震災から半年、未だ残るがれきや避難所暮らしを強いられている原発付近の住民、単に政府の迷走が未だこういう状態を作っているのだと言えます。政局よりも被災地復興が大事なんでしょうが!?

阪神大震災では津波による災害はなかったので、復興は早かった記憶がありますが、
時事通信(9月10日付)によると、
「学校や公民館などの避難所には依然、約6800人が生活を続けている。」
ということです。
学校や公民館って・・暑くて大変だし・・仮設住宅に入れても、
それはまたそれで大変だろうし、病気の人もいるだろうし、大変だろうと思います。
胸が詰まりますね・・。

>  テロの犠牲者と震災の犠牲者に深く哀悼の意を改めて示したい私です。

アジシオ次郎さん、私も同じ思いです。
ありがとうございます。
2011/09/13(火) 18:47:54 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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