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≪6月6日付北海道新聞夕刊 辺見庸「幻燈のファシズム ──震災後のなにげない異様≫
2011年06月14日 (火) | 編集 |
作家の辺見庸さんの投稿文を、ツイッターで知りました。
「水の透視画法」の最後の投稿だったか、辺見さんが大震災に少しだけ触れていて、そこで連載が終わってしまったのですが、今、辺見さんの考えに触れることが出来てよかったです。

事後承諾になってしまうのですが・・管理人様、
転載させていただきます。

詩空間河津聖恵のブログ「それを通してすべてが消え去る輝き──」(M.ブランショ) 【2011年6月10日 (金)】
より。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載ここから。

6月6日付北海道新聞夕刊 辺見庸「幻燈のファシズム ──震災後のなにげない異様」

辺見庸さんの新稿です。現在立ち込める不可視の霧。そこに映る奇妙な影絵。しかしこれ以上私たちは、みずからの不気味な影を揺らがせてはなりません。

6月6日付北海道新聞夕刊
   幻燈のファシズム ──震災後のなにげない異様
                          辺見 庸

 暮れおちるまえに相模湾の防波堤をあるいていたら、つかのま、いまが朝だか夕だかわからなくなった。黒い叢雲(むらくも)が低くたれこめていて、水平線と雲はほとんど境をなくして融けいっている。太陽はぶあつい雲の奥にくぐもり、もうろうとした光が差すというより、ときおり、とろりとろりと海原にたれていた。雲と海面のあわいからカモメとカラスがにげるようにしてばさばさと陸側に飛んできた。防波堤にそうてどこまでも立ちならぶコンクリートの電柱のようすがどうもおかしい。陸側にだいぶかしいだり折れたりして見えるのだ。はっとして水面に目を転じると、よわい陽光を浮かべているあたりがなんだかあやしい。ゆっくりともりあがっている。その近くの海面は逆にえぐられて黒々と陥没している。おなじ海原で隆起と沈降がこもごもおきているではないか。足がすくんだ。
 もりあがった水の斜面を数人のサーファーがすべりおりていった。あたりまえの景色なのに、ふしぎな影絵におもえてしかたがない。波音にまじり声がきれぎれに聞こえる。歓声か悲鳴かすぐにはわかりかねた。夢のさめぎわのように、こころもとない。胸に満ちるものがあり、目頭があつくなった。大震災後、感覚に失調をきたしているのは、わたしだけではあるまい。揺れと大津波のフラッシュバック。破壊と喪失のとめどない悲しみ、不安。悼みと虚脱。原発渦のなか、せまりくる次の大震災。あてどない未来・・・。人びとの情動は、おそらく戦後もっとも大きなゆれ幅で日々うねりをくりかえしている。知りあいの古老によれば、いまの社会的心状はむしろ戦時につうじるものがあるという。ものごとは国家、地域、集団、組織優先が当然とされ、生身の個人はのどもとまででかかった異論を呑みこんでしまう。
 *
 教員に「君が代」の起立斉唱を義務づける条例案が大阪府で提出されたのはそんなときだった。複数回違反すれば懲戒免職とするのだそうだ。おどろいたのは、その恫喝的で戦時統制的な中身だけではない。あたかも条例案提出をすかさずあと押しするかのように、君が代斉唱時の起立を命じた校長による職務命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法十九条に違反しないという判断が、最高裁の上告審判決で示された。うたえと命じられているのにあの歌をうたわない者、立てと命じられているのに起立しない個人は、社会から排除してもよろしいと言わんばかりだ。惘然(もうぜん)として天をあおぐ。大津波の映像をはじめてみたときの、信じがたく、よるべないおもいがぶりかえした。大震災と原発事故でかつてない心的外傷を負ったこの国は、だれもそうはっきりとは自覚しないにせよ、今風のファシズムのただなかにいるのではないか。
 この件について、世論はしかし、いたって静かである。毎日のように震災に負けない日本人のつよさ、がんばり、きずな、おもいやり、団結がこれでもかこれでもかと報じられ、「ふるさと」や「上を向いて歩こう」がおもいをこめてうたわれ、他方では、さしもたくさんの人の命をのんだ海で若者たちがサーフィンに興じ、競艇も競馬も競輪も客足をとりもどしつつある。被災地からはなれた場所での日常復元の速度はあきれるほどである。七十年以上まえに石川淳が小説「マルスの歌」に記したスケッチをふとおもいだす。「たれひとりとくにこれといって風変わりな、怪奇な、不可思議な真似をしているわけでもないのに、平凡でしかないめいめいの姿が異様に映し出されるということはさらに異様であった」。日本的ファシズムの淡彩描写でこれほど虚をつく文はない。日本型ファシズムの特質は、人があえて争わない諧調にあり、表面はとても異形には見えないところにある。石川はそれを戦争の実時間にあって勇気をもって活写しえたじつに数少ない作家である。石川のいうなにげない異様を、わたしはいまに感じる。
 *
 かつて君が代をうたわなかった先生たち、起立しなかった人びとが、いまはすっくと立ち、明らかな声にしてうたうのだそうだ。そのような人びとの内面はあまりにもつらく、たわんではいないか。そうさせているものはなにか。あの歌をうたわないですむ会社や組織に同質の異様はないのか。うたいたくない者に直立不動でうたわせる社会はまっとうだろうか。石川淳はファシズムの季節の光と影のゆがみについて書いている。「ひとびとの影はその在るべき位置からずれてうごくのであろうか。この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場所をゆがめてしまう」。問題はむろん、テレビが放(ひ)りだしたガスのような大阪府知事ひとりにあるのではない。わたしたちひとりびとりの、あるべき位置からのずれを、醒めて見つめるべきではないか。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載ここまで。(下線は私)


辺見庸さんはここで、"石川淳"という人について書いているが、辺見庸さんの、

> 日本型ファシズムの特質は、人があえて争わない諧調にあり、表面はとても異形には見えないところにある。

この言葉が心に残ります。(ツイッターでも私はつぶやきました)

『日本型ファシズムの特質は、人があえて争わない諧調にあり、』

ここです。
どうして、人はあえて争わないという事になるのか。
日本人でありながら、どっぷり日本人でありながら、
日本人を心の奥底では理解できない私。
何を考えているのか、分からないことが度々ある。
東京都教職員による国旗国歌訴訟は、
なんであれが、「合憲」なのか。

おそろしいのは、裁判官だけでなく、多くの人が「だって法律だから」
と、のっぺりと思っていること。
福島で、放射性物質に汚染された牧草を食べた牛の牛乳を、
どう考えても飲まない方がいいに決まっているだろう。あとで、がんに罹患する可能性だって大きいのだから。
それを、学校を続ける方が大事だとでも思っている(どうしても飲ませようとする)校長先生。
そういう大人を見て、「何で自分だけ違う牛乳飲んでいるの?自分だけ助かりたいの?」と、クラスメイトに聞く子ども。

「法律だから」(-----国旗国歌は強制ではありません)
「そういう決まりだから」
「学校に行って勉強するのは大事だから」

それじゃ、答えになっていないのに。

誤字・脱字があったらすみません。

追記:2011/06/15/05:16
原発についても、です。
「原発がないと原始時代に戻らなきゃならならんぞ」
「原発があるのは避けられない」
「集団ヒステリー」「反原発デモキモい」
「反対意見を表明するなら、エネルギーの代替案を出してからにするべき」
   (↑ 私が好きな超有名登山家が言っていたので、脱力した)

とかね。


コメント
この記事へのコメント
日常の中のファシズム
村野瀬玲奈さんのところから来た、jeanvaljeanです。辺見さんの文章読ませていただきました。貴重な文の紹介、ありがとうございます。私はいまフランスにいますが、やはりファシズム的な動きを感じます。裁判官も、法的感覚をなくして、国旗国歌の尊重は、国際化の感覚を育てるのに必要だという始末です。憲法改悪の動きも出ております。日常の中で、ひたひたと進行するファシズムの気配を感じています。
2011/06/15(水) 13:26:14 | URL | jeavaljean #-[ 編集]
jeanvaljeanさま、はじめまして!コメントありがとうございます。
> 村野瀬玲奈さんのところから来た、jeanvaljeanです。辺見さんの文章読ませていただきました。貴重な文の紹介、ありがとうございます。

jeanvaljeanさま、はじめまして。
コメントありがとうございます。

いえいえ....偶然、ツイッターで知ったので、ツイッターでは流れてそのままになってしまうかな・・と思い、元の記事の方のブログ記事を転載させていただいて、書きました。


> 裁判官も、法的感覚をなくして、国旗国歌の尊重は、国際化の感覚を育てるのに必要だという始末です。

「国旗国歌の尊重は、国際化の感覚を育てるのに必要」という感覚は、
おそらく、jeanvaljeanさまも同じお考えかもしれませんが、私には分かりません。
どうして、国旗国歌が出てくるのかなぁ・・こじつけ?と思ってしまいます。
国際化の感覚を育てるのだったら逆で、人権感覚を身に着けなければいけないと思います。東京都がしていること、大阪府の橋下(ファシモト)さんがしていることは、人権侵害だと感じます。
まったく、国際感覚とは相反することだと思います。

> 憲法改悪の動きも出ております。
> 日常の中で、ひたひたと進行するファシズムの気配を感じています。

日常の中のファシズムは、「無意識に」というところが厄介かな・・
などと思います。

"日常の中のファシズム"は、未だに日本が「父系社会」だから起こるのでは?
と、感じています。
辺見庸さんは投稿文の中で、
「ものごとは国家、地域、集団、組織優先が当然とされ」と書いていますが、
そうなってしまうのは、家庭では"家長制度"が無意識に残り、
(だから「原発離婚」などという現象が起きるのか?と思ってしまう)
日本という国の中では「政府がそう言うんだから」みたいな、
異論を唱えると避難され・・・変ですよね。
女性の意見が取り入れられにくい、「放射線が心配」というと「ヒステリー」「考え過ぎ」と見下すような言い方をされてしまう社会です。
「なんだかなぁ・・」ですねぇ。

コメントのお返事が遅くなってしまい、なおかつ、
まとまらずに申し訳ないです。

jeanvaljeanさま、ありがとうございます!
2011/06/17(金) 16:16:46 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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