家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
  • 05«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • »07
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


1945年3月10日未明、東京都の中心部が米軍機により無差別攻撃され、推定十万人の死者が出た。罹災者100万人を超える。
2011年03月10日 (木) | 編集 |
2008年2月からブログを続けていますが、1945年3月10日の東京大空襲のことは、
毎回、書かずにはいられません。

--------------------------------------------------------

当時のアメリカ軍は、日本家屋は木と紙で出来ているから、燃焼しやすいような爆弾をそれこそ大量に落としたのだそうだ。←(追記・訂正):「落としたのだそうだ」、ではなく、「落とした」に。

その時、B29爆撃機に搭乗していた元アメリカ兵(かなり前、NHKのテレビで見た)は、年齢を重ねておじいさんとなり、普通の市民になっていた。
「命令だから攻撃した」と、そんなようなことを言っていた。

2008年3月10日、12日の、私のブログの記事です。
「猫たちの悲劇、戦争。」
「大空襲・公園に埋められた死体」

-----------------------------------------------------------

こちらは是非、見ていただきたいサイトです。
「東京大空襲・戦災資料センター/趣旨と沿革」

東京大空襲では、親や兄弟・家族を亡くし、多くの戦災孤児が出ました。
「すみだ郷土文化資料館」
きのう、東京大空襲に関するNHKの番組をほんの少しの時間見たのですが、戦災孤児の中には、餓死してしまった子どももいたようです。

東京大空襲以外にも、全国の地方都市をアメリカは主にナパーム弾で攻撃した。
1945年7月6日~7日にかけて、甲府も大空襲を受けた。
(死者740名、重軽傷者1,248名、行方不明者35名---Wikipediaより)
740人もの人命が一度に失われた。

---------------------------------------------------------------

私の祖父は戦地に2度行かされ、戦後すぐに亡くなった。
祖母は、私の父を含め三人の子を抱えて、大変だっただろうと思う。
「授産所」の集合写真に、まだ若い祖母が写っている。
祖母は実家に”お嫁さん”が来てからは居場所がなく、昭和41年くらいまで、物置小屋のようなところで親子で寝起きをしていたらしい。父がそう言っている。

祖母には生前、戦争の話を聞く機会があまりなかった。
私が小学校の頃、学校の宿題で祖母から戦争の話を聞き出そうとしたことがあったのだが、
祖母は、
「大変だっただよ。
戦争なんちゅうものは、絶対にするもんじゃねえ(するものではない)」
と、眉間にしわを寄せて私に言ったのだけは、覚えている。


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック