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日本の、この行き詰まった感じをうまく言えないので、リンクして記事を紹介します。
2011年02月13日 (日) | 編集 |
昨年12月20日のこのブログ記事で、山梨日日新聞の書評欄のことを取り上げた。

その時、カメラマン・ライターであるかさこさんは、『ヒマラヤのドン・キホーテ』(根深誠・著)という本を書評していた。

そして、今回紹介させていただくかさこさんのブログ記事、
とても鋭いことをおっっしゃっていて、私は目をシバシバさせながら、
少しゆううつ気味に、猫背で読んでいた。

以下、つぶやきかさこさんの2011年 02月 12日付記事、

つぶやきかさこ:無差別大量殺人が本当に起きる日 を、全文、ここで紹介させていたきます。ふだん、私自身がうまく言葉に出せないことを代弁してくれている気がします。

以下、転載させていただきます。
****************************************************************:

2011年 02月 12日
無差別殺人が本当に起きる日

「殺人現場にやじうま達が暇潰しで群がる
中高生達が携帯片手にカメラに向かってピースサインを送る
犯人はともかくまずはお前らが死刑になりゃいいんだ」
ミスチル「LOVEはじめました」
という歌詞を思い起こした人も多いかもしれない。

「2011年2月11日21時に新宿駅で3人組で通り魔を起す。」
「アキバより多くの人が死ぬだろう。」
無差別殺人が起きるのかどうか、
一目見ようとやじ馬が500人集まったという。

ネットの書き込みにより瞬く間に話題になり、
事前にニュースでも取り上げられた。
この殺人予告を見て、
「この日は絶対に新宿には行かない!」
と予定を変えた人がいる一方、
「本当に無差別殺人が起きるか見てみたい」
とわざわざ現地に赴く人が500人もいたということだ。

しかし実際に無差別殺人は起こらなかった。
「どうせ、あんな幼稚な書き込みするの、中学生とかだろ」
と思った人も多いと思うが、
書き込みした中学3年生はあっけなく逮捕された。

無差別殺人予告があったが、
実際に殺人は起こらず、書き込みした犯人も捕まった。
本来なら喜ぶべき状況にもかかわらず、
この書き込みを見て現場に行ったある人は落胆していた。

「せっかくテレビでやっているすごい事件が、
目の前で起きて見れると思ったのに、
実際に起きなかったのは不謹慎かもしれないけどなんか残念。
実際にやらないのなら殺人予告なんかしてほしくない。
ちょっとがっかりした」
と不満そうな顔をしていた。

「でも事件が起きたらあなただって殺されてたかもよ?」

あんたは何もわかってない。

「別にそれで殺されて死ぬならそれはそれ。
どうせ生きていたってたいしておもしろくないことないわけだし。
いくら安全に生きていたって車にひかれて死ぬかもしれないし。
だったら本当にもし起きたら日本の歴史に名が残る大事件を、
この場で見て、写真の1枚も撮って、
みんなに自慢した方がはるかにいい」

実際に無差別殺人が起きなかったことに、
落胆を覚えた人は少なくなかったようだ。
現場には行かなかったが、
この書き込みに注目していたある人はこう思う。

「あんな稚拙な書き込みで500人も集められるなんてすごい!
だったらいつかオレがやってやる」

しかし彼はそう豪語していたが、
ネットに書き込みすることすらできなかった。
これだけの騒ぎになる書き込みをする勇気は、
所詮、彼にはなかった。
だからこそ彼は書き込みした犯人が、
実際にやるのを期待していたのだ。
自分じゃ絶対にできないから。

やじ馬が500人も集まったことに、
「バカじゃないか」と吐き捨てる想いを感じた人もいた。
ミスチルの「LOVEはじめました」の歌詞を思い出した、
というある人は、
「殺人現場に群がるやじうま達が死刑になりゃいいんだ」
と吐き捨てた。

逮捕された中学生は、
瞬く間に実名、顔写真、住所などがさらされ、
リアル社会で生きていくことは困難となった。
彼はひきこもりする中、
ひたすら後悔の念を覚えていた。

「書き込みしたのはよかった。
しかしなぜ実際に殺人しなかったのだろう。
あそこでやっていたら、
こんな苦しい生活をせず、
集まったやじうま達を次々と殺し、
社会に不満を持つ人たちのヒーローになれたに違いない。
いつか絶対に本当に無差別殺人を実行してやる」
彼はただひたすら社会への復讐の機会を狙っていた。

カタルシス。
破滅願望。
悲劇的な出来事によって、
日常生活に不満を持つ人は抑圧された感情が解放され、
快感がもたらされる。

2001.9.11のアメリカ同時多発テロが起きた時、
飛行機がビルに突っ込みビルが崩落する様子に、
カタルシスを感じた人も多いのではないか。
世界の絶対君主として君臨する、
アメリカの崩れ去る象徴的シーンは、
何もイスラム原理主義の人たちだけでなく、
嫌米感情を抱く多くの世界中の人たちから、
拍手喝さいが巻き起こった。
多くの無実の人が死んでいるにもかかわらず。
でもその映像は映されないから。

無差別殺人予告をするおかしな人に限らず、
無差別殺人予告の現場に行ってしまう人に限らず、
無差別殺人予告が起きてほしいと願っている人に限らず、
多くの人がどこかで今の社会に閉塞感を感じ、
未来に悲観し、漠然とした不安や不満を抱えて生きている。

でも多くの人は日常生活の中で適度にガス抜きをしたり、
未来をあきらめて適当に生きることで、
今の自分と社会とのバランスをうまく取っているような気でいる。
例えば権力を持つものや芸能人やビジネス成功者が、
失敗して転落していくニュースを見て快感を覚えたりとか。

そうやって漠然とした不安や不満に向き合わず、
見て見ないふりして生きている。

でもそれはある時、思わぬ形で爆発する。
それはあなたではなく違う誰かかもしれない。
社会に蓄積されたマイナス感情は、
いつか誰かが恐ろしい手段や方法によって、
多くの人を代弁するがごとき行動に出てしまうパワーとなる。

今回は幸いにして起きなかった。
しかしいつ起きてもおかしくない社会にいることを、
忘れてはいけないと思う。

************************************************************転載終わり。
(つぶやきかさこさん、私の今の心としっくりきたので取り上げさせていただきました)

ミスチルの「LOVEはじめました」の歌詞を思い出した、
というある人は、「殺人現場に群がるやじうま達が死刑になりゃいいんだ」
と吐き捨てた。

の部分、「あの首吊り自殺映像を見ているやつらが、首を吊ればいいんだ」
と自分に言われているようで。

(予約投稿です)

コメント
この記事へのコメント
タイトルに「あれ?」と思ってしまいました。
~日本の、この行き詰まった感じ・・・・~
と、記事を読む前に違和感を覚えたのです。
「日本の、」ではなく「私の、」ではないかと。
そして、記事を読んでやっぱりと思いました。

時代劇で、簡単に人が斬り殺されたり(試し斬りとか)、処刑場に野次馬が集まっている場面がありますよね?
あれは、現実にあったことなわけですが、もちろん外国だって似たような状況でした。
果たして、「今の日本」が行き詰った感じなのでしょうか?
相も変わらず人間て虚しいなあ・・・・というのならわかるのですが。

引用されておられるブログ記事の方もそうですが、
自分の生きている今この時に起きた悲劇に目を向け心を寄せることは、他者への愛情があってこそですから素晴らしいと思います。
ただ、物事はなるだけ「一般化」しないで、個別に考える意識を持つことが大切だと思います。
それは、自分も他人も、一人一人の「個人」であるという事実に対して謙虚であるということです。

今やっと、「個人の精神的自立」が迫られている時代に入り、そのことに気がつき始めた人が少しずつ増えていると感じています。
大手マスコミなどは、それを阻む存在と言っていいでしょう。
自分達の既得権益を守るため個人に自立してほしくない勢力ですね。
無差別殺人やら自殺やらに走る人達は、
その現実と向きあうことから逃げているのだと思います。
しかし、彼らのことを痛ましく思っても心乱れているようではいけません。
たとえ自分個人は何も行動できなかったとしても、地道に手を差し伸べ活動されている方達がいるではありませんか。
他にも今、保健所の犬や猫達を救う活動をされている方達が着実に増えています。
いい時代になったと感じます。

多様な社会の中で、自分は今何ができるのか?
自分の気持ちが、一番フォーカスしていく対象は何か?
それが、身内の世話でも自分自身の世話であってもいいと思います。
書くことが好きなら、ブログ記事を一生懸命書き続けることも価値あることと自分をほめていいと思います。

なのに、つい自殺映像を見てしまった自分?
何故、そこに自分の気持ちがフォーカスしてしまったんだろうかと、苦しんでいるのではないですか?
でもそれはふと野放しにしてしまった「感情(好奇心)」がしてしまったこと。
「理性」ではありません。
人は「感情」よりも「理性」が優先するのですから、「いらない感情」とは「理性」を持って戦うべきです。
その戦いに挑むために生まれてきたのであり、
戦いは疲れますから休息や楽しみは必須だし、
一つ戦いに勝利すれば「成長」という喜びが待っているのだと思います。

長々と書いてしまってすみません。
一番言いたいのは、「個人の内なる戦い」こそが社会を良くするポイントだと言うことです。
「感情的になって無駄な口論に終る」ことはよく知られていますが、悲劇に対して過剰に心乱れることも同じことだと思います。
2011/02/14(月) 11:15:11 | URL | hira #HAB8mY4.[ 編集]
Re: タイトルなし
☆hiraさん、コメントありがとうございます。
嬉しいです、とても・・。自分のことがなかなか見えないので、
ありがたいです。
こんな話しをする人もいないし。

> 「日本の、」ではなく「私の、」ではないかと。

タイトルはそんなに考えないで付けたのですが、見抜いてしまわれたとは・・
そうです。「私の、」ですね・・
母を見送ってから、私は行き詰まった感があります。

> 果たして、「今の日本」が行き詰った感じなのでしょうか?
> 相も変わらず人間て虚しいなあ・・・・というのならわかるのですが。

そうですね・・「どこの国も」とか、なら、ですね・・

> ただ、物事はなるだけ「一般化」しないで、個別に考える意識を持つことが大切だと思います。
> それは、自分も他人も、一人一人の「個人」であるという事実に対して謙虚であるということです。

わかります。「一般化」と、「個別に考える意識」、両方でしょうか・・。

> 今やっと、「個人の精神的自立」が迫られている時代に入り、そのことに気がつき始めた人が少しずつ増えていると感じています。

私はまさか、母が自分が40歳の時に逝ってしまうとは思ってもいませんでした。
妹は20歳そこそこで独り暮らしを始め、母は闘病中、「ゆうこが一番いい」と言ってくれ、
私を頼ってくれて、母がこの世からいなくなるのが恐ろしいと思いました。

> 無差別殺人やら自殺やらに走る人達は、
> その現実と向きあうことから逃げているのだと思います。
> しかし、彼らのことを痛ましく思っても心乱れているようではいけません。

hiraさんは、そのように考えていらっしゃるのですね・・。
私は、彼らのことを見て、自分が心乱れるのも仕方ないと思っています。

> なのに、つい自殺映像を見てしまった自分?
> 何故、そこに自分の気持ちがフォーカスしてしまったんだろうかと、苦しんでいるのではないですか?

ずるいことに、私はブログ本文には書きませんでしたが、あの東北地方の自殺男性の映像を、朝ごはんを食べながら(早送りをしたりして)普通に見ました。「ああ、あまり苦しまないっていうか、今気絶したのかな」とか、普通に・・。
ブログには、自分の心について、嘘のような虚飾めいたことを書いてしまいました。
今ここで書いてしまい、ずるいですよね・・・すみません・・外国の人のケースも見ました。それも、普通に平然と。

インターネットの時代に、こういう映像が流れるのは仕方ないという感じでした。

母の死後、妹は私のことを心配し(まさか自殺でもするんじゃないだろうかと思って、かも知れないですが)電話を一日おきにかけてきました。その時にネット自殺中継の話をしました。
妹は「子どもがそれを真似したら困るよね。死ぬってことが本当に分かってなくて、実行しちゃいそう。」と言いました。ハッ、と思いました。私にはそういう重大な視点がまったく欠けていました。

> 人は「感情」よりも「理性」が優先するのですから、「いらない感情」とは「理性」を持って戦うべきです。
> その戦いに挑むために生まれてきたのであり、

hiraさん、すみません、分からなくて・・。
「いらない感情」とはどんな感情のことでしょう。
「いらない感情」といっても、湧いてきてしまうんですよね・・
平然と見ている自分に、自殺したその人はもういないという感情・・・
両極端なのですが

「感傷的になっていても物事は進まない」、という意味でしょうか。
それだったら、分かります。
ただただ感傷的なのと、整理して頭の中を翻訳して言葉にする、
それは違いますよね。
もしかしたら私は、「整理して頭の中を翻訳して言葉にする」というのができていないのかもしれません。
hiraさんがコメントしてくださらなかったら、気がつかなかったかも・・


> 一番言いたいのは、「個人の内なる戦い」こそが社会を良くするポイントだと言うことです。
> 「感情的になって無駄な口論に終る」ことはよく知られていますが、悲劇に対して過剰に心乱れることも同じことだと思います。

hiraさん、コメント本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
最近私は、頭の中がまとまらないこともあるどころか今日が何日かを忘れたり(ほぼ毎日一日に何度か)、自分がしたことを全く覚えていなかったり、ちょっと困ります。
けれどだからといって動かないわけにいかず、日常生活を普通に送らなければならないですから、ブログを書く事はその助けになっています。

私の記事を読んでくださって、本当に嬉しい。
hiraさん、ありがとうございます。
2011/02/14(月) 16:25:27 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
「個人の精神的自立」についてですが、お母様とご自分との関係を思い浮かべられたのですか・・・。
私は、社会における個人個人の責任というイメージで書いたのですが、確かに肉親という一番濃い人間関係の中で考えてみるべきテーマでもありますね。
私自身もいろいろと思い悩むところです。

「いらない感情」は、自分で判断するものです。
自然に湧いてくる感情すべては「いる」ものでしょうか?
これもまた、ご自分で答えを出していただきたいです。
今の時点で「いらない感情」と聞いて抵抗感があるなら仕方がありません。
ただ、良かったらその言葉を覚えておいていただけたらと思います。

私のコメントへの返信を読んでいて、自分自身に対する客観性をもうちょっと頑張って意識してみられたらいいのに・・・と思ってしまいました。
失礼なことを言っているのはわかっているし、私が言うべきことでもないとは思うのですが・・・。
ほんとうにすみません。
でも、「平然と見ている自分」?
それは自分を見ようとしていない、知ろうとしていない状態だからではありませんか?
自然にそうなってしまうのだから仕方ない、とおっしゃるのであればそれまでです。
そんな自分でいたいのかどうかもご自分で決めてくださいね。
石を投げつけて知らん顔するみたいな言い方で申し訳ないんですが・・・。

あと「整理して頭の中を翻訳して言葉にする」ですが、
私も苦手ですよ。苦手でいいと思います。
もともと思いはなかなか言葉にできないものですから。
大事なのは、整理しなくていいから自分を知ることだと思います。
「わかった」という心の奥で腑に落ちる感覚ほど力強いものはないと思います。
言葉は、時に思いを縛ったり狭めてしまう困った「道具」にもなりますし。
人の思いは、言葉を使って生きる日常で感じているより、遥かに大きく自由なものなのだと思います。


コメントをしておいて、説明不足に感じられたらすみません。
私自身、ある程度の長い時間を掛けて辿り着いた考え、思いを書いてしまいました。
なんで書く気になってしまったのか?
正直、書かなきゃ良かったかな?とちょっと後悔してしまいました。
ご丁寧に返信してくださってありがとうございました。
2011/02/15(火) 20:05:12 | URL | hira #HAB8mY4.[ 編集]
hiraさん、こんにちは彡☆
☆hiraさん、こんにちは。
コメントありがとうございます!(今日は温かいですv-410

> 私は、社会における個人個人の責任というイメージで書いたのですが、

すみません、私には少し、理解が難しかったです。

hiraさんのお言葉にでてくる「いらない感情」や、「いる」というのは、
「要らない」「要る」ということでしょうか。
”要らない感情を自分で「判断する」”といっても、勝手に湧いてきてしまうので、
なんとも。。

> これもまた、ご自分で答えを出していただきたいです。

私は、何も答えを出す必要はないと思っています。
そもそも、「要らない感情」という意味が私には分かりません。すみません・・。

> 私のコメントへの返信を読んでいて、自分自身に対する客観性をもうちょっと頑張って意識してみられたらいいのに・・・と思ってしまいました。

というのは、「もっと、自分を客観的に見るように意識して頑張ったらどうだろう」
ということでしょうか。
もちろん、いいですねぇ。しかし、「頑張って意識する」と疲れるので、
私は、そういうことはしないです。

> でも、「平然と見ている自分」?

「平然と見ている自分」というのは、本当に「首吊り映像を平然と見た」という、事実です。”衝撃的画像”をネットで見たのは、(劣化ウラン弾の被害で奇形になってしまった赤ちゃんを除き)「グロリアン」というサイトが初めてです。
交通事故や飛び降り自殺の遺体など、初めて見た時には驚き、吐き気がして、ずしーんと体が重くなりました。(母が大腸がん転移と診断された頃からです。「こんなになるよりはマシ」と、何回も見ました。)
しかし、何回も見ていると、感覚が麻痺してきてしまい、ひどい遺体を見ても何とも思わなくなるのです。(自衛隊では、隊員に人体の悲惨な遺体を見せる、実際にそのような研修が行われているそうです。)
(ただ、「グロリアン」を見てから、自殺は絶対によくない・交通事故には気をつけよう、と、心に固く誓いました)

> 自然にそうなってしまうのだから仕方ない、とおっしゃるのであればそれまでです。

hiraさん、上記で申しましたとおりです。


> そんな自分でいたいのかどうかもご自分で決めてくださいね。

うーん。。私はhiraさんから非難されているのかな。。どういう意味でしょう。
すみません、お答えしようがありません。

> あと「整理して頭の中を翻訳して言葉にする」ですが、
> 私も苦手ですよ。苦手でいいと思います。

「整理して頭の中を翻訳して言葉にする」、というのは、実は
”勝間和代さん”の言葉を借りました。

> 人の思いは、言葉を使って生きる日常で感じているより、遥かに大きく自由なものなのだと思います。

・・・ん?・・。
でしたらなぜhiraさんは、「そんな自分でいたいのかどうかもご自分で決めてくださいね。」
と私に対して、書かれたのでしょう。。?よく分かりません。

> 正直、書かなきゃ良かったかな?とちょっと後悔してしまいました。
> ご丁寧に返信してくださってありがとうございました。

いえいえ、hiraさん、そんなことはないですよ。
コメント欄には、何を書いてくださっても、大丈夫です。
hiraさんは、真面目に考えてくださったのだと、私は感じました。
(ただの揚げ足取りの人はすぐ分かります)
hiraさん、ありがとうございます。
一人一人、考えが違うのは当たり前だと思います。
また訪問してくださるとうれしいです。
2011/02/17(木) 17:43:54 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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