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プチ浦島太郎になっていたが、東京都の「国旗国家判決」で現実に引き戻されました。
2011年02月02日 (水) | 編集 |
どうも。こんにちは。
一週間ほどたまっていた新聞を読みました。1月28日に出たらしいですね、「国旗国家」判決。
読売新聞の社説より。(1月29日)
 【これに対し高裁判決は、「国旗に対して起立することは、特定の思想を外部に表明する行為ではないから、それを命じても、思想・良心の自由を侵害することにはならない」と指摘した。】----(読売社説から一部抜粋)
高裁判決の、『特定の思想を外部に表明する行為ではないから』が、意味不明です。
あぁん?分からん。私がアホだから?

まあいろんな人の意見があるのは分かるが、私はこの判決は「何だそりゃ」と思いました。

そもそも、

【子どもの手本となるべき教師が、入学・卒業式を厳粛な雰囲気で行うのは当たり前のことだ。】----(読売社説から抜粋)
というのが、変ではないか?
「入学・卒業式を厳粛な雰囲気で」w

すみません w(ネットスラング)マークは品が無いかもと、ある時から使うのを控えていましたが、
本当にカフェオレ飲みながら、ブッ、と噴出してしまったので。

「入学・卒業式を厳粛な雰囲気で行うのは当たり前」なんでしょうか。
「当たり前」?

”就職活動”について、「就活に勝つ」だの「うまく自分をプレゼンしよう」だの、変な本が巷にあふれているが、こんな教育で育てられたんじゃあ、長いものには巻かれろ的な人間しか育たないじゃないんじゃない?
そんなことやってたら、そりゃ日本は、”先進国・新興国”問わず、
国際的に更に影が薄くなるわな。


例えば、いくら故人が口頭で「にぎやかに」と遺言しておいても「そういうわけにはいかない。通夜・葬儀は厳粛に行うべき」と言う関係者も出てくるだろう。
人が亡くなったら「やらなければならないこと」はあるが、「故人を送り出すのをどのように執り行うか」は、”慣習に則り”ではなく自由でもいいと思う。(母が亡くなった折、葬式を引き合いに出してみたが)

もういっぺん。しつこいですが。

「入学・卒業式を厳粛な雰囲気で行うのは当たり前」なんでしょうか。
「入学・卒業式をどのように行うか」自体は、自由でもいいのでは?と私は思うのですが。


今回の判決について書かれている「信濃毎日新聞ウェブ版1月31日付」より、転載。(社説)
私は、信濃毎日新聞の社説には納得できました。

以下、転載。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

国旗国歌判決 教室が萎縮しないか
                                 1月31日(月)

 東京都と都教育委員会が、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう強制したことは憲法違反には当たらない-。

 都の教員らが、起立・斉唱の義務はないことの確認などを求めた訴訟で、東京高裁が下した判決である。

 都教委は、起立・斉唱しなかった教員を懲戒処分している。昇給を遅らせたり、定年後の再雇用を拒んだりもしている。そうまでして従わせることが、憲法が保障する思想良心の侵害に当たらないのだとすれば、「侵害」とはどんな行為を指すのか。

 原告は上告するという。最高裁には、国民に分かりやすい判断を示すよう求める。

 「国旗は、日章旗とする」

 「国歌は、君が代とする」

 短い条文で成る国旗国歌法が成立したのは1999年だった。当時の小渕恵三首相は「内心に立ち入ってまで強制しようという趣旨ではない」と説明した。

 けれど、文部科学省や各地の教育委員会は、起立・斉唱を徹底するよう通達を出し、義務化を推し進めた。都教委が通達を出した03年度、懲戒処分した教員数は179人に上る。全国の処分者の9割超を占めた。

 今回の訴訟は、04年に始まった。一審の東京地裁は「懲戒処分をしてまで起立・斉唱させることは思想良心の自由を侵害する」とし、原告の主張を認めた。

 流れが変わったのは、07年の最高裁判決の後だ。君が代の伴奏を拒んで戒告処分を受けた都内の教員の訴訟で、裁判長は「伴奏は特定の思想を強制するような行為ではない」とし、命令は合憲との判断を示した。

 以来、各地の裁判所がこの判例を踏襲するようになり、同種の訴訟で教員の敗訴が続いている。

 東京高裁も、起立・斉唱が「特定の思想を外部に表明するとは言えない」と指摘した。都教委の通達には合理性があり、憲法違反や教育基本法が禁じる「不当な支配」には当たらないとした。

 最近、懲戒処分を受ける教員の数が激減しているという。教員からは「職員が萎縮し、閉塞(へいそく)感が漂う」との声が出ている。

 自由に意見を述べ合うことすらはばかられる雰囲気は、教育の場にふさわしくない。子どもたちも伸び伸びできない。各地の教委は判決を“お墨付き”とせず、指導の在り方を見直すべきだ。

 国旗や国歌への親しみは、誰に強いられるのでなく、自然に育まれるはずのものである。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載ここまで。

たかが君が代を歌わなかったくらいで、伴奏を拒否したくらいで、
なんで懲戒処分にならなきゃならないのさー。┐(´゚д゚`)┌ 冗談じゃないわ~。

ただし私は、生徒には、「先生(自分)が国家を歌わない理由または伴奏したくない理由」を、真剣に話すべきだと思う。そこで議論が起こるかもしれない。議論を起こしまくれ。
「”国家だから”歌え」「”学習指導要領”にあるから」と一方的に棒読みに言われても、
それが嫌な教師もいるはず。生徒の中にもいるかもしれない。
思想の自由は保障されてるんじゃなかったの?こんなんじゃ将軍様のあの国に似てきちゃうね。

そしてさらに困ったことだなぁと私が憂えているのは、上の社説の中の、

【 流れが変わったのは、07年の最高裁判決の後だ。君が代の伴奏を拒んで戒告処分を受けた都内の教員の訴訟で、裁判長は「伴奏は特定の思想を強制するような行為ではない」とし、命令は合憲との判断を示した。

 以来、各地の裁判所がこの判例を踏襲するようになり、同種の訴訟で教員の敗訴が続いている。】


という部分。
判例を踏襲するようになって、慣習のようになり、誰も文句が言えなくなる。

変だよなー。

「国旗は、日章旗とする」

「国歌は、君が代とする」

という国家国旗法案は、「強制するものではない」としている。
天ちゃんも、あの将棋の人に園遊会でそう言っている。


私は、国旗も国歌も好きじゃないですね。
国旗が好きじゃないのは、未だに「公然と」靖国神社を参拝する政治家がいるから。
政治と靖国神社が、縁が切れていないから。
国歌は、天皇を称える歌だから。
「君が代」が「民が代」ならいいのに、と言っていた人がいたが、
私もその案に賛成だ。確かに、「き」を「た」にするだけで、民が主役になるわね。

すみません、長くズラズラと書いてしまって。
(文中引用太字は私による)


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2011/02/03(木) 01:12:54 | Afternoon Cafe