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1941年12月8日 (日中戦争から真珠湾攻撃へ) 私の祖父は妻子を残し二度戦場へ行かされた。
2010年12月08日 (水) | 編集 |
(追記:12月10日(金)18:50)

いきなりこんな写真を載せて、その意図を分かりかねる、という読者の方もいるだろう。

最近、「武器輸出3原則見直し」や、
「日本も自国で核を持つべきた」という人が出て来るのを見ていて、
「ああ・・・、平和ボケしているなぁ・・」と感じていた。

----【はてなキーワード】より、「平和ボケ」とは。
 例えば「国際紛争についての観察、諸国間外交について現実から乖離した理想論を唱える」等、平和主義、理想主義に対して罵倒・嘲笑する際に用いられる。

 太平洋戦争の敗戦から半世紀以上を経て、その間戦争から遠ざかっている日本においては、ある意味「平和が常態」であって、戦争や軍事についての国際的な常識や知識が欠如している面があるのは事実であるが、それを良いとするか悪いとするかは、人によって様々であろう。----


私がおじいさんの写真を見たのは10年前。いとこたちが家に遊びに来て、父が「昔の写真でも見るか?」といったのがきっかけ。それ以来。(私は高校3年生くらいの時に初めて見た。その時は衝撃だった)
ブログに載せるなんてどうかな・・と躊躇したが、父も母も死んで私も死んだら、
この写真は所在不明になってしまう可能性は高い。貴重な記録である。


支那事変記念写真帖
私の祖父のアルバムの表紙。

南開大學
1930年代後半ごろ、中国にて。写真の裏に『占領の一時(≪一時≫か)皇軍萬歳 南回大學」とあります。(現物はもうちょっと鮮明です。(私には複写しかできません)祖父の部隊のうちの誰かが撮影したものと思われる)

「天皇皇后両陛下」の「御真影」
祖父のアルバムに貼ってありました。
「天皇皇后両陛下」の「御真影」。
今考えれば、このただの写真が”命よりも大事”とか”銃剣は命より大事”などと言われていたらしいですが、昔の日本は今の北朝鮮のようだったのだな・・と、改めて感じました。

おじいさん
戦時中(日中戦争行軍時の私の祖父です。右上、左の写真は前列右。新潟県十日町市出身)
下の写真に写っているのはおそらく、中国人だと思われる。

昭和21年10月22日に37歳で、マラリアの後遺症と胃潰瘍で亡くなった祖父が、
アルバムに納めていた写真です。
まだもう少しあるので、続きも改めて載せようと思います

アップッロードがうまくいかなくてこんな時間。
細かいことはまたあとで書きます。

今日は日本軍がアメリカの真珠湾を攻撃した日です。
私は、忘れたくないので・・。


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