家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
  • 09«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »11
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


自ブログ記事『千葉景子前法相は、死刑執行の様子と自分の感想を話してほしい』へのコメントへの返信です。
2010年11月11日 (木) | 編集 |
こんにちは。この間、パキシル(SSRI:セロトニン再取り込み阻害剤)を10→15mgに増やしただけで、恐ろしいほどの眠気が襲ってきます。これを通り抜ければ私は「元気」になるのだろうか。
母は、点滴や飲み薬で体の中の悪い細胞をやっつけることが難しくなってきました。
最近息苦しいと言っているし。妹はいろいろ大変です。私がしっかりせねば。
という感じの日常ですが・・・

ブログの話に戻って、書きます。

いただいたコメントは、”りらっくす”さん。
公開返信にさせていただきました。

以下転載。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
(私の返信分は色付きの文字です)

タイトルなし
興味深いテーマだったので、コメントさせて頂きます。

> でも、死刑についていろいろ知り、げんなりし吐き気がし(死刑は人殺しであるという当たり前のことに気づかなかった自分に対しても)、
> 今では死刑制度反対派になった。

何故、そのように考えが変わったのか、非常に興味があります。
是非、その記事を読ませて下さい。

私は作家の辺見庸さんの本を何冊か読みましたが、その中で『たんば色の覚書 私たちの日常』という本があります。その本で辺見さんが(p138)、【去年(2006年)の十二月二十五日に、足腰も立たない高齢の人間を無理矢理立たせて死刑が執行された。余命幾許もない、前非を悔いている人を---私は前非を悔いていても悔いていなくても関係はないと思っているのですが---絞首刑にした。そのことを本当に想像するならば、私たちはおいしい食事なんか出来るはずがない。手放しで愛を語ることなんかできない。しかし私たちの日常はこともなげにつづいてゆく。私たちは黙契のなかで、人間存在にたいする最低限の想像力すら奪われてしまっているのではないでしょうか。】
という部分がとても心に残りました。
そして、足をずるずる引きずって歩けなくなった老人を刑務官が抱えて、首にロープをかけてボタンを押して落とす。
誰がこんなことをやりたいでしょうか。
私が払ったいくらかの税金がここに回り、刑務官が国民(私も含む)の代わりに、国家からの命令で人の命を奪わなければならない。
執行の様子を知ったのは辺見さんの著書が初めてです。
めまいと吐き気がしました。そのあと、ジャーナリストの青木理さんのルポも見ました。
私のブログ内検索で、「死刑」「死刑制度」等のキーワードで探してみて下さい。



> 自分もいつ犯罪に巻き込まれるか分からない。いつ殺されるかも。
> 自分だって、この世に生きていればどんな可能性もある。
> 自分がいつ人を殺すかも分からない。人間だし。

殺される可能性は無いとは言いませんが、いつ人を殺すかの可能性を論じるのは的外れではありませんか?
毎日、強盗殺人や、無差別殺人を起こすかもしれない、と思いながら生活しているのでしょうか?
日常生活で、殺人を起こす可能性を、まるで、よくある事のように論じるものなのでしょうか?

> いつ人を殺すかの可能性を論じるのは的外れではありませんか?
私が「自分がいつ人を殺すかも分からない」と書いたのは、自分の日常の中で、あまりにもイライラが達した時、隣人が停めた車が道路に少しはみ出していたという理由で隣人に対して外で暴言を吐いたこと、夕方のスーパーや薬局の駐車場などで気持ちがギスギスし過ぎてしまう時があること、最近自分の父に対して、包丁でも持ち出しかねないほど敵意を抱いたことが何度かあること、・・・条件が揃えば自分でも驚くほどのイライラ感が沸いてくるものだと実感したからです。
的外れであろうがなかろうが、犬に対して「畜生だから、可愛い顔をしてても何をするか分からない」と親戚のおじさんが昔言いましたが、人間も畜生だと思います。私はそう思います。


> 「何人殺せば死刑」、か。・・・。
> その考えから抜け出ないと。
> 「永山基準」という、「何人の命を奪ったか」で死刑か無期懲役が決まるようでは、
> 被害者や遺族が救われないように思える。
> (そして、「無期懲役」は現在、限りなく「終身刑」のような状態に近づきつつあるらしい)

その考え、とは一体どのような考えなのでしょうか?
量刑の事を言っているのでしょうか?

そうです。

また、被害者や遺族が救われる、とはどの様な状態なのでしょうか?

人に聞かないとお分かりになりませんか。
それか、長い間をかけて考え抜きますか。


> 私は、殺害された被害者や遺族が、救われる事は無いと思っています。
> 殺人とは、それぐらい重大な行為なのだと思います。
> 生命が、かけがえも無く大切なものなのだとしたら、それを奪った場合、代償として支払えるものは、かけがえも無い同じ生命以外にあるのかなと思ってしまいます。

そのような考えもあると思います。

> 「犯罪被害者・被害者遺族を何が何でも支援する。精神的にも経済的にも。」、
> という、政府の強い意思がないとならない。(現状では、それがない)
> そうでなければ、被害者や遺族は「泣き寝入り」だ。
> 被告が死刑にされても、
> 「区切りはついた」とは思いながらも、「むなしい」と感じる遺族もいるだろう。

「泣き寝入り」とは、どういう意味ですか?
国は、仇討ち、の復活をするべきだと言っているのでしょうか?
それとも、殺害された人間の、生涯賃金を国が支払うべきだと言っているのでしょうか?
私は、そもそも、一番の責任があるのは犯人であって、その次に責任を負うべきなのは、犯人の親族になると思っています。
それが、法的に、犯人の責任は、犯人個人だけのものだとしても。

たしかに、「犯罪被害者給付金」という制度があり、地下鉄サリン事件などの重大事件が起こるたびに拡充はされてきたようですが、それでもまだまだ、本人や遺族に支給される金額は少ないのではないか、と私は思っています。記事本文で説明不足でしたが、”泣き寝入り”とは、そのような意味です。ご指摘ありがとうございます。”国は、仇討ち、の復活をするべきだと言って”いるのではありません。


コメント
この記事へのコメント
よこから失礼致します
こんにちは、私も以前は「死刑制度容認派」でしたが、今は「死刑廃止」または「冤罪がなくなるまで死刑執行完全停止派」です。(つまり永遠に停止)
そうなった理由は多々ありますが、その中の一つの理由として言わせて頂きたいのです。

>生命が、かけがえも無く大切なものなのだとしたら、それを奪った場合、代償として支払えるものは、かけがえも無い同じ生命以外にあるのかなと思ってしまいます。

命を償えるものは、命であろうと償えません。
と私は断言したいのです。
命が命で償えるのなら、「命で償う覚悟があるなら命を奪ってもいい」ことになります。そんな訳あるもんか!
また、人にとって「死」が一番辛い罰ではないことも。「死」が一番辛いのなら、自殺する人はいない筈です。
りらっくすさんの言う内容なら、死刑の署名をした人も、もちろん償わないといけないですよね。
「死刑」に署名して死刑が執行された後、無実が分かったら、署名した人達は言葉で人を殺した事になります。
全員「命」で償ってもらいますか?また、署名した人はその覚悟で署名したんでしょうか?その覚悟がないと署名しては駄目なんじゃないですか?本当に「命」について、「死刑」について真剣に考えたのか?私はどうしても、そうは思えないのです。考えたことがないのなら、考えて欲しい。人は変われる。それは決して恥ではないと思うのです。

すみません、ちょっと我慢できなくて書き込んでしまいました。不適切なら削除して下さい。
2010/11/15(月) 23:12:51 | URL | うろこ #qr7mm/lQ[ 編集]
うろこさん、コメントありがとうございます!
☆うろこさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
「不適切なら削除して下さい。」と書かれていらっしゃいますが、
とんでもない!
死刑については国に任せておけばいい、「人を殺したんだから死刑って当然でしょう」
という人が多い中で、この記事にコメントを下さったことがとても嬉しいです。


> >生命が、かけがえも無く大切なものなのだとしたら、それを奪った場合、代償として支払えるものは、かけがえも無い同じ生命以外にあるのかなと思ってしまいます。

> 命が命で償えるのなら、命で償う覚悟があるなら命を奪ってもいい」ことになります。そんな訳あるもんか!

その通りだと思います。

1988年に発生した、高校生をとても残虐に殺害した事件を思い出しました・・。
もしも自分がその被害者だったらと想像すると、身の毛もよだつ事件です。
事件が今起きたとしたならば、主犯格の少年(当時17歳)は無期懲役刑を求刑される可能性があります。(少年法51条1項)しかし「世論」は、「死刑にするべきである」コールが起きるかもしれません。

> 「死刑」に署名して死刑が執行された後、無実が分かったら、署名した人達は言葉で人を殺した事になります。

元刑務官の本を少しずつ読んでいますが、「冤罪で死刑になった死刑囚は間違いなくいる」そうです。

> 全員「命」で償ってもらいますか?また、署名した人はその覚悟で署名したんでしょうか?その覚悟がないと署名しては駄目なんじゃないですか?本当に「命」について、「死刑」について真剣に考えたのか?私はどうしても、そうは思えないのです。考えたことがないのなら、考えて欲しい。人は変われる。それは決して恥ではないと思うのです。

最近、裁判員裁判で初の死刑判決が出ましたが、そのことも考えてしまいますねぇ・・。
うろこさんもりらっくすさんも私も、選ばれる可能性があるということです。
人間の命を奪うかどうか、というまさに責任の重い任務です。
私は一連の報道を見ていて少しほっとしたのは、結果として死刑を導きましたが、死刑制度存置派が8割の国で意外にも裁判員の人たちが真剣に考えて、その結果は「人殺し=死刑」という短絡的思考から来たものではなく、考え悩んだ末の結果だったということです。
「裁判員制度=悪」と主張する人はいますが、私も不勉強なので、正直に言うと「確かに、法律知識のない一般市民に負わせる重圧が大き過ぎる」とは感じますが、まだ今現在の時点では一概に「裁判員制度は悪である」とも言い切れないと思います。
一般市民が死刑と真正面から向き合った価値はあると思います。

「悔悛」または「改心」といいますか、たしかにうろこさんのおっしゃるとおり、
人間にはその可能性はあると思います。
なにしろ、死刑に関しては刑場は公開されたものの、国が公開していないことは、まだたくさんあるのだろうか・・などと思ってしまいます。
公開することが第一歩だと思います。

前法務大臣の千葉景子さんは、死刑執行に立ち会いました。
千葉さんはもう法務大臣でも政治家でもないですが、死刑執行に立ち会った法務大臣として、その感想を国民に述べるべきだと思うのですが・・。

> すみません、ちょっと我慢できなくて書き込んでしまいました。

コメントありがとうございます。
返信がまとまらなくなってしまいました。
うろこさん、これからもよろしくお願いいたします。
2010/11/17(水) 18:10:21 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
> 命が命で償えるのなら、命で償う覚悟があるなら命を奪ってもいい」ことになります。そんな訳あるもんか!

りらっくすさんはもう書き込まないと思いますが、
そんなこと言ってるわけじゃなかろう。
簡単に言えば、必要条件か、必要十分条件かということかと。

では、これにて。
2010/11/18(木) 09:34:32 | URL | 哀哭芯 #-[ 編集]
哀哭芯さん、コメントありがとうございます!
☆哀哭芯さん、こんばんは。今年は秋が駆け足ですねぇ。v-34v-35
(お嬢さんは、お元気かな?)

> 命が命で償えるのなら、命で償う覚悟があるなら命を奪ってもいい」ことになります。そんな訳あるもんか!


> りらっくすさんはもう書き込まないと思いますが、
> そんなこと言ってるわけじゃなかろう。

哀哭芯さん、それは・・・分かります。様々な意見がありますよねぇ。
りらっくすさんのおっしゃることは分かるのですが、
私は、「悔悛」したかどうかは関係なく、罪を心から悔いているかどうかは関係なく、
例えば、小田島死刑囚(マブチモーター社長宅放火殺人事件)にも松本智津夫死刑囚にも、本人が犯した罪そのものとは関係なく、「命がある」という考えが、どうしても浮かんできてしまいます。
8人の小学生を殺した宅間守元死刑囚が死刑になった時は、
後味の悪さが残りました。
宅間元死刑囚が小さい体の小学生を殺した時には、本当に許せないと思いました。
それでも、死刑になってみると、「なぜ小学生は死ななければならなかったのか」
という思いだけが残り、虚しい感じがしました。

何度も書いていますが、以前は死刑制度存置派だった私は死刑の様子を立会い人伝に聞いたルポ等を読み、ショックを受けました。
それ以前の私は、死刑囚もまた「殺される」ということにすら気づかず、
無邪気に「何であんな酷い事やっておいて死刑にならないの!」と、
テレビに向かって叫んでいました。
そうです、考えずに「無邪気に」です。いかにも正義の味方みたいに。

分かりやすく言ってしまうと、
ものすごく分かりやすく言ってしまうと、
私は、『罪を憎んで人を憎まず』という考え方です。

言葉で表わせないような凄惨な殺され方をした被害者がいることも分かっています。
「何を奇麗事を」と思われるのも承知ですが、
行き着くところがどうしても、『罪を憎んで人を憎まず』になってしまいます。


> 簡単に言えば、必要条件か、必要十分条件かということかと。

必要条件と必要十分条件という用語を用いた文章を22年ぶりに見たので、
検索したり頭をひねって考えましたが、(難しい)
そうすると、哀哭芯さんは、「死刑制度存置派」ということになりますか?
そういう解釈でいいのかな・・。

哀哭芯さん、ありがとうございます。
(うーん。考える材料になりますね。)
2010/11/20(土) 17:25:45 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
娘は元気にわがまま言ってるニダ。

拙者は、以前のやりとりでも解る通りバリバリ(死語)の死刑制度存置派であります。

必要条件とは、償いに必要なものであって、それにより償いが終わるものではないということだす。
もっと言えば、命は償いに必要な最低限のものだと。
十分な条件にはならないということだす。
そして、何をもってしても十分には至らないのではと言うことであります。

厳密な数学的な意味とは違っていると思いますが。

あと、りらっくすさんも言ってますけど、
個と公を分けて考えなければいけないと思うであります。
死刑は国家による殺人だから、その帰属する国民は殺人の共犯者みたいな論調は辟易するであります。
拙者は善良な一日本国民であります。

では、ばいなら。
2010/11/22(月) 10:02:13 | URL | 哀哭芯 #-[ 編集]
哀哭芯さんどうもです。(^^)ノ
☆哀哭芯さん、こんにちは。
いつもコメントありがとうございます!(v-279です。寒いですねぇ)

> 拙者は、以前のやりとりでも解る通りバリバリ(死語)の死刑制度存置派であります。

(ああ、やだ・・私の記事&コメントの「バリバリ」を突っ込まれてしまった。
気をつけないといけないですね。)(/ω\)ハズカシーィ

> 必要条件とは、償いに必要なものであって、それにより償いが終わるものではないということだす。
> もっと言えば、命は償いに必要な最低限のものだと。

はい。うーん・・。
考えますね・・。死刑囚は、死ぬことが決まっている。
なのに、元刑務官の著書(『元刑務官が明かす死刑のすべて』(坂本敏夫・著))によると、「反省のかけらもないように見える」ような人もいるそうです。「まっさらになって命で償ってほしい」というようなことを書いていました。死刑囚と長く過ごした人が言うので説得力がありますが、私はやはりうじうじと考えた末に、著者の坂本さんの意見にも賛成できません・・。

> 十分な条件にはならないということだす。
> そして、何をもってしても十分には至らないのではと言うことであります。

そうですか・・。哀哭芯さんは、そのように考えていらっしゃる。


> 死刑は国家による殺人だから、その帰属する国民は殺人の共犯者みたいな論調は辟易するであります。
> 拙者は善良な一日本国民であります。

「辟易」しますか。

そういう人もいると思います。

だから・・・
私は、一番良くないのは死刑制度存置派VS死刑制度廃止派でカチガチに固まり、何にも動かないことだと思うんですよね・・・
「動かない」というか、無邪気に、
死刑制度はそのままでいい! とか、 死刑制度はんたーい! とか、
上っ面だけで叫んでいるだけで、中身を考えないことというか。

政治家が勉強会をつくって話し合うというようなことを言っていましたが(千葉景子さん)、結局次の法相の柳田さんは辞任してしまったし、流れてしまいそうな雰囲気です。
いくら国民が真面目に議論をしようとしても、政治家は「死刑は票にならないから放っておく」のでしょうか。

哀哭芯さん、ありがとうございます。


p.s.
娘さんお元気でよかっただす。U´・ー・`U

(甲府鳥もつ煮は食感がコリコリしてておすすめだす...(  ̄ノ∇ ̄) ̄ー ̄)
2010/11/22(月) 17:27:30 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
時間が無いので、短く書きます。

>私は、”犯罪により被害を受けた人、亡くなった遺族に「死刑の反対を納得させる」”などという意見はここに書いたことはありません。

それでは、被害者、そして、遺族の事は何も考えずに、死刑の反対を訴えていたのですか?
考えました、というセリフをよく見ますが、被害者、そして、遺族の事は、どのように「考えて」いるのですか?

>> また、殺された被害者の方には、どのような意見で、殺された事を納得させるのでしょうか?
>
>よく意味が分かりません。

殺された方の無念は、どのように考えているのですか?
死んでしまった人は戻らないから、考える材料にはならないのですか?
2010/11/22(月) 21:36:06 | URL | りらっくす #9VzQ6fZ.[ 編集]
Re: タイトルなし
りらっくすさん、コメントありがとうございます。

私のブログ記事をよくお読みになってからコメントをどうぞ。

では、そういうことでよろしくお願いします。

2010/11/23(火) 23:26:26 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
拙者も坂本氏の本は読んだであります。
ほかにも、図書館にある死刑関連の本を片っ端から読んでみたであります。
模範囚の死刑囚が、恩赦で無期に減刑されて徐々に、元の粗暴な人間に変わっていくという話もありました。

>「まっさらになって命で償ってほしい」

拙者もこの考えに賛同するであります。
この時に被害者遺族は、少しだけ救われるのではなかろうかと。

とりもっちゃんとえん丸くんに、共食いすんなって言っといて下さい。
2010/11/24(水) 09:40:59 | URL | 哀哭芯 #-[ 編集]
哀哭芯さん、おはようございます。
☆哀哭芯さん、コメントありがとうございます!v-481

> >「まっさらになって命で償ってほしい」
>
> 拙者もこの考えに賛同するであります。

この刑務官は、死刑囚が死刑になるまで、ずっと接しているということですよね。
その人が言うのだから、重い言葉です。
私は、懲役や死刑、刑務官については知らないことが多いです。
外国ではどうか、なども。
著書の中で坂本氏が最後に、
「今でも受刑者の人権は、被害者の無念を考えれば十分過ぎるほど守られている。」
と書いていますが、その言葉が印象的です。
被害者・被害者遺族への支援が十分ではないのでしょうか。
これからも考えてしまいそうです。

..................

> とりもっちゃんとえん丸くんに、共食いすんなって言っといて下さい。

えん丸くん、私は知りませんでしたよ。親子だったのですね。
えん丸くんの好きな言葉は、「大切なのは金の円より、人との縁」
だそうです。v-34
哀哭芯さん、ありがとうございます。
2010/11/27(土) 06:17:39 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
Re:コメント有難うございました。
りらっくすさん、コメント有難うございました。
私のブログ記事をよくお読みになってからコメントをどうぞ。
では、そういうことでよろしくお願いします。


2010/11/28(日) 17:05:22 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
このようなことはマナー違反なのかもしれませんが、それを承知で横から失礼いたします。
りらっくすさんの仰るとおりなのかもしれません。
しかし、まるでご自身に向けられたコメントのように感じました。
りらっくすさんにしても管理人さんにしても、いろんな問題に対して国民全体で考えることを促すことに真の目的があるはずです。だとすれば、決して互いの思想を侮辱するものであってはならないと思います。
2010/11/28(日) 19:21:14 | URL | 散歩がてら #-[ 編集]
散歩がてらさんへ。
散歩がてらさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

> このようなことはマナー違反なのかもしれませんが、それを承知で横から失礼いたします。

いえいえ、そんなことはないですよ。
大丈夫です。

> りらっくすさんにしても管理人さんにしても、いろんな問題に対して国民全体で考えることを促すことに真の目的があるはずです。だとすれば、決して互いの思想を侮辱するものであってはならないと思います。

私は、りらっくすさんの思想を侮辱した覚えはないのですが。

それに私は、「真の目的」など、大それたことは念頭にありません。
散歩がてらさん、コメントありがとうございます。
2010/11/28(日) 21:07:28 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック