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千葉景子前法相は、死刑執行の様子と自分の感想を話してほしい
2010年11月03日 (水) | 編集 |
ふと思ったことを。

この前私は、ネットで、今までの中で最悪の映像を見てしまった。
上半身裸で、ガムテープで目隠しされ、椅子に座らされている中年男性。
周りには4~5人の、銃を持った、何らかの軍隊に属していると思われる人。
男性はどこの言葉か分からないが、何か述べた。中南米か。
その後は本当は見ない方がよかったかも知れぬが、
見てよかったとも思った。
人間は簡単には死なない(死ねない)、ということが分かる。


作家の辺見庸さんが今年8月、コラム『水の透視画法』で、
7月28日の死刑執行後の記者会見での千葉前法相の様子を見た感想を、書いていた。
私は、千葉景子氏はなぜ、あれだけ死刑反対論者だったのに、「ぷつっ」
とサインをしたのだろうと当惑した。驚いた。とにかく当惑した。
しかし辺見庸さんは、『水の透視画法』で、かなり怒りを表している。
私には、辺見さんの悲しみにも思えた。

山梨日日新聞に掲載されたものから、一部転載。:::::::::::::::::::::::::::::::::

・・・・
みずからサインした死刑執行命令により、その朝、刑場で二人の男がくびり殺された。千葉さんはそれにわざわざ立ち会った。ロープが首の骨をくだく音を複数回耳にし、四肢がひくひくとこまかにけいれんするのを眼にもしただろうその足で、あでやかに記者会見にのぞんだ千葉景子さんは、まったく大した人ではないか。
・・・中略・・・

 千葉さんはさんざ死刑廃止をいいながら翻然として執行命令書に署名し、おそらくなんにちも前から姿見と相談してその日のための服とアクセサリーをえらび、絞首刑に立ち会った。

・・・
 
 彼女の思想は、口とはうらはらに、国家幻想をひとりびとりの貧しくはかない命より上位におき、まるで中世の王のように死刑を命令し、自分が主役の「国家による殺人劇」を高みから見物するのもいとわない、そのようなすさみをじゅうぶん重要できる質のものであっただけのことだ。堕ちた思想の空洞を、ほら、見えないシデムシがはっている。ざわざわと。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::転載終わり。

いつも思っていたけど、千葉景子さん、化粧が濃いなぁと。
その日も、私も辺見さんと同じように感じた。
眉とアイシャドーを濃く描く化粧に、ファッションも「隙がない」なぁ、と。
水色のスカーフをしていたのは、私も覚えている。
(死刑執行時にも、あの化粧あのファッションのままだったんだろうか)

ネットで見た、上に書いたあの酷い映像を見て私は、「人は簡単に死ねない」ということを思い知った。(それが分かっただけで十分で、もう二度と見たくない映像だ)

テレ東のドラマ『モリのアサガオ』では、死刑執行シーンが出て来る。
首を吊る部分が、太い白いロープでできていて、さらに革が巻かれている。

山口母子殺害事件の犯人が無期懲役になったとき、私は、「なぜ死刑にならない!」
と怒りさえ感じた。
でも、死刑についていろいろ知り、げんなりし吐き気がし(死刑は人殺しであるという当たり前のことに気づかなかった自分に対しても)、
今では死刑制度反対派になった。
(このブログで自分の心の中の変遷を書いてきましたが、死刑というカテゴリにまとめていなくて、
すみません)

.........................................................


耳かき店に勤務していた女性とその祖母が殺害された事件に対し、求刑が出た。
無期懲役。

遺族の叫び(とも思える言葉)----- 「一体、何人殺せば死刑になるんだ」 ------

何と答えていいか分からない・・。

自分もいつ犯罪に巻き込まれるか分からない。いつ殺されるかも。
自分だって、この世に生きていればどんな可能性もある。
自分がいつ人を殺すかも分からない。人間だし。

「何人殺せば死刑」、か。・・・。
その考えから抜け出ないと。
「永山基準」という、「何人の命を奪ったか」で死刑か無期懲役が決まるようでは、
被害者や遺族が救われないように思える。
(そして、「無期懲役」は現在、限りなく「終身刑」のような状態に近づきつつあるらしい)

最近の記事にも書いたのだが、それ以前に、
「犯罪被害者・被害者遺族を何が何でも支援する。精神的にも経済的にも。」、
という、政府の強い意思がないとならない。
(現状では、それがない)
そうでなければ、被害者や遺族は「泣き寝入り」だ。
被告が死刑にされても、
「区切りはついた」とは思いながらも、「むなしい」と感じる遺族もいるだろう。


(知的障害がある人の冤罪などまだ気になることはあるのですが、
時間がなく、またにします。)


コメント
この記事へのコメント
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/11/05(金) 14:03:54 | | #[ 編集]
興味深いテーマだったので、コメントさせて頂きます。

> でも、死刑についていろいろ知り、げんなりし吐き気がし(死刑は人殺しであるという当たり前のことに気づかなかった自分に対しても)、
> 今では死刑制度反対派になった。

何故、そのように考えが変わったのか、非常に興味があります。
是非、その記事を読ませて下さい。

> 自分もいつ犯罪に巻き込まれるか分からない。いつ殺されるかも。
> 自分だって、この世に生きていればどんな可能性もある。
> 自分がいつ人を殺すかも分からない。人間だし。

殺される可能性は無いとは言いませんが、いつ人を殺すかの可能性を論じるのは的外れではありませんか?
毎日、強盗殺人や、無差別殺人を起こすかもしれない、と思いながら生活しているのでしょうか?
日常生活で、殺人を起こす可能性を、まるで、よくある事のように論じるものなのでしょうか?

> 「何人殺せば死刑」、か。・・・。
> その考えから抜け出ないと。
> 「永山基準」という、「何人の命を奪ったか」で死刑か無期懲役が決まるようでは、
> 被害者や遺族が救われないように思える。
> (そして、「無期懲役」は現在、限りなく「終身刑」のような状態に近づきつつあるらしい)

その考え、とは一体どのような考えなのでしょうか?
量刑の事を言っているのでしょうか?
また、被害者や遺族が救われる、とはどの様な状態なのでしょうか?
私は、殺害された被害者や遺族が、救われる事は無いと思っています。
殺人とは、それぐらい重大な行為なのだと思います。
生命が、かけがえも無く大切なものなのだとしたら、それを奪った場合、代償として支払えるものは、かけがえも無い同じ生命以外にあるのかなと思ってしまいます。

> 「犯罪被害者・被害者遺族を何が何でも支援する。精神的にも経済的にも。」、
> という、政府の強い意思がないとならない。(現状では、それがない)
> そうでなければ、被害者や遺族は「泣き寝入り」だ。
> 被告が死刑にされても、
> 「区切りはついた」とは思いながらも、「むなしい」と感じる遺族もいるだろう。

「泣き寝入り」とは、どういう意味ですか?
国は、仇討ち、の復活をするべきだと言っているのでしょうか?
それとも、殺害された人間の、生涯賃金を国が支払うべきだと言っているのでしょうか?
私は、そもそも、一番の責任があるのは犯人であって、その次に責任を負うべきなのは、犯人の親族になると思っています。
それが、法的に、犯人の責任は、犯人個人だけのものだとしても。
2010/11/07(日) 20:10:56 | URL | りらっくす #9VzQ6fZ.[ 編集]
りらっくすさん、ありがとうございます。
☆りらっくすさん、コメントありがとうございます!

なかなか考えるのが重い、そして「票にならない」死刑制度問題、
政治家で提言をする人は、そう数はいないと思います。
だからこそ、千葉景子前法相が最後の最後で執行命令を出したことは、
ショックでした。

いただいたコメントは、貴重です。
記事にさせていただき、そこで私の考えを返信として書かせていただきます。
ありがとうございます。
2010/11/09(火) 15:47:47 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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