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『ネット・バカ』という本・・・(ネット依存気味かもしれない私)
2010年09月12日 (日) | 編集 |
今日の朝日新聞の書評欄に、こんな本が紹介されていた。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていることネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
(2010/07/23)
ニコラス・G・カー

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(何という名前の人だったか忘れたが)書評を読んで、私はギクッとした。
自分は日常的に、ネットとつながっている時間が長くなっているのではないか-------
私は、正直に言いますと平均計3,4時間くらいです。
断片的であっても4時間となると、一日の6分の1にもなってしまう。
仕事で使う人は、おそらくもっと、なのかな。

(朝日にあった書評ではなくて、養老猛さんが書いた書評を見つけたので、
「続きを読む」に転載します。)

私は、「ヒマ」ではないが家にほとんどいるので、携帯電話を持つ必要がない。
必然的に、携帯はなくても不便を感じない。
ケータイでメール・・する相手がいない。する内容が無いよ~って感じで。
(PCでメールはたまに、です。)
しかし、インターネットで「外の世界」とつながることができなくなったら・・
気分が落ち着かなくなってしまうと思う。

でも、例えば何かのトラブルで「一ヶ月はネットにつながらない」という状態に置かれたとしたら、
逆に気が楽なのではないかな、もしかしたら。
ブログももちろん更新しないし、ブロガーさんのブログも訪問しない。
・・・それも寂しいな・・(-_- )・・
だけれど、段々慣れるのだろうか。

要するに私の場合、ダラダラ見続けることが問題かも。
気になるリンクをクリックして、そこからまたジャンプ・・その繰り返し・・
多分その分、脳も疲れる。

インターネットはよく使えば有用、ダラダラ使う(こともたまにはいいけど)と、
時間を無駄に食ってしまうということになるのだろうか。
(時間ができてもついネットに接続してしまい、途中まで読んでそのままの本が、
何冊かある)

しかしもちろん、ブログは続ける。やめてしまう理由がない。

養老猛さんの書評は分かりやすかった。



以下、毎日jpの「今週の本棚」より。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

今週の本棚:養老孟司・評 『ネット・バカ』=ニコラス・G・カー著
(青土社・2310円)

◇脳が道具を作り、道具が脳を変える

当然のことだが、著者はネットを使うとバカになるとか、それはどういう種類のバカなのかとか、そんなことを書いているのではない。著者自身、この本を書くために集中しなければならなかったから、ボストン郊外からケータイの通じないコロラドの山中に引っ越した。ツイッターもやめたし、ブログもやめた。そうしないと、本が書けなかったからである。むろん書くだけではない。読むという面からすれば、ネットを常用していると「深い読み」ができなくなる。それは著者だけの体験ではない。


 ネットという知的な道具は、われわれの脳を変える。しかしいったいどう変えるのか、その結果、社会にどういう影響を及ぼすか、本書の主題はそれである。もともと著者の専門は英文学ということだが、脳科学や心理学にまでわたって、きちんと解説している。

 全体は十章で、一章は著者のネットに関する履歴の紹介、二章は脳の可塑性である。脳は活動によってたえず変化している。「思考は脳に物理的影響を及ぼす」。特定の知的活動をやめれば、それに関(かか)わっていた脳の部分は、別な活動に乗っ取られる。脳の中はいわば「多忙者生存」である。

 三・四章は古くからの知的テクノロジー、つまり文字と本とが人に与えた影響を扱う。グーテンベルクの発明の後に、なにが起こったのか。たとえば英語の語数は千から百万の単位に跳ね上がったという。五章はネットと従来の印刷物の関係である。六章はネットによって本がどう変化し、どう変化するだろうかを語る。

 七章がネットによる脳の変化を総説する。脳の可塑性に関する現在の知識からすれば、脳の回路と機能を強力かつ急速に変化させる刺激とは、まさにネットが供給する刺激なのである。好むと好まざるとに関わらず、ネットに触れればしばしばネット漬けになる。この刺激はおそらくたいへんに強いから、脳の他機能を押しのけてしまうかもしれない。

 ネット使用者の脳は、読書の時よりも広範に活動している。それなら高齢者が脳活動を活発に保つには、とくに有益かもしれない。ただし脳を広く使うことが、本当にいいかどうか、話は簡単ではない。たとえば高齢者は歩くときにも若い人より大脳をよく使っている。筋が弱って、従来の動きではうまくいかないから、頭を使わざるをえない。それで上手に歩けるかといえば、そうではない。

 ネットを使うと、決定や問題解決を行う前頭前野がよく活動する。ところがそのこと自体が、今度は深い読みなど、集中を持続する必要のある機能の邪魔になってしまう。読書は脳をネットより少なく刺激する。「注意散漫を除去し、前頭葉の問題解決機能を鎮める」から、「熟練した読書家の頭脳は落ち着いた頭脳であり、騒々しい頭脳ではない」。むしろ「より多くの情報は、より少ない思考活動につながる」可能性がある。

 八章ではグーグルが対象となる。書き出しは産業革命の哲学者というべきフレドリック・テイラーである。テイラーの考えた「システム」は効率第一だった。だから工業生産はいまでもそうなっている。そしていまは「コンピュータ・エンジニアやソフトウェア作成者の力が増大しつつあるため、テイラーの倫理は、精神の領域をも支配しはじめている」。グーグルの本部は「インターネットの高教会である。その内部で執り行われている宗教はテイラー主義」なのである。それはデータ第一主義であり、すべてを量に換算し、数値の世界に生きる。人の思考と労働の最初のゴールは効率であり、人の判断は曖昧(あいまい)で信用できず、技術的計算のほうが勝り、計量できないものは存在しないか、無価値である。

 グーグルの究極の目標は人工知能である。人工知能によってわれわれの現在の脳を補完すれば、人は間違いなくいまよりよくなる。グーグルの創業者たちはそう語った。これに対して著者の結論はこうである。「憂慮すべき点は、人間を上回る思考能力を持った、驚異的にクールな機械を作りたいという彼らの少年のような欲望ではなく、そのような欲望を生み出した、人間の精神についての彼らの偏狭なイメージなのである」

 九章は記憶を扱う。「コンピュータに記憶を預ける」、アウトソーシングするというのは、よくいわれる。しかしこれは記憶とその脳機構を知れば、成り立たないとわかる。われわれの記憶と、コンピュータに蓄積されるデータは違うに決まっている。記憶は変化する脳に合わせて絶えず変化している。

 最終章は結論である。「ソフトウェアが賢くなれば、ユーザーはバカになる」。じつはそれはだれでも知っているはずである。道具を丈夫にすれば、人間が壊れる。学生実習に壊れにくい、つまり丈夫な機械を使っていると、学生の機械の扱いが荒くなる。「われわれは道具を作る。そしてそののち、道具がわれわれを作る」

 ネットは脳を大きく変える。それにどう対処するか、それはネット使用者すべてに与えられた重い課題なのである。(篠儀直子訳)

毎日新聞 2010年8月22日 東京朝刊

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