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私は、たとえ殺人犯でも死刑にはしたくありません。
2010年07月15日 (木) | 編集 |
一つ前の記事からの続きで、もう少し書きたいことを。

・連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)
・名古屋アベック殺人事件:1988年2月23日から25日にかけて愛知県名古屋市緑区で起きた、強盗殺人・集団強姦事件。(wikipediaより。)被害者女性に対する、身も凍るようなおぞましい仕打ちを、私は本で読みました。
・山口県光市母子殺害事件(1999年)
・和歌山ヒ素カレー殺人事件(1998年)
・秋葉原無差別殺人事件(2008年)

凶悪犯罪は、私が今思い出しただけでこれだけ挙がります。
ここに書かなくても、2000年代に事件が起きて、もう死刑になった犯人もいます。

私は、死刑という刑で罪を償わせることに、反対です。

なぜなら、どんなに極悪非道な殺人犯に対してであっても、死刑にしたら国家による殺人になってしまいます。死刑は、殺人犯の肉体を国家が強制的に殺す刑です。憎むべきは罪であって、たとえ殺人犯の命であっても奪ってはならないと思います。殺人犯には、本気で罪と向かい合い、罪を悔やむようになって欲しいです。たとえそれが出来なくても、粘り強く外から働きかけをしなくてはならないと思います。命と罪は切り離して考えるべきだと思います。
私は頭が『お花畑』でしょうか。私は「理想論過ぎ」なことを言っているでしょうか。
そう思う人もいるかもしれません。

では、被害者や被害者の遺族の無念はどうするのか、と感じる人もいるでしょう。
しかし、それはまた別の問題として考えるべきだと思います。

では、一生外に出られない終身刑を設ければいいのか?
「一生閉じ込めておけばいい」?
私は以前は、「安易に」そのように思っていた時期がありました。
しかしそれもまた、考えなければいけないことです。

ではまた。


コメント
この記事へのコメント
ご訪問・コメントありがとうございます。
どこまで遡って、考えられることができるのだろう?
と、いつも思いますが、「どこ」は、どこ でしょうか。
「どこ は無い」と思い込むことで、日々の生活をこなして
いけることが、当事者に現在のところなっておらず、かつ、
明日にでも、その場面になるかもしれない自分の立ち位置
なんでしょうか。
時間を意識して生活をしていますと、時間は「生」の根源みたいに
思えてきますが、同時に、その端っこにある自らの「死」を、心の
体重のような感じで見つめることになります。
そうしますと、自分の近い将来の死 と とりわけ次元が違うと
思えてしまう死刑という形での 死 の関係をどうとらえるのか?
という課題が浮かんできます。
同じとも言えるし、まるで次元が違う とも言える。
一般に、殺人を犯した者の「動機」がやはり問題となりますが、
同時に、一般の人の「生きる意欲」と殺人を犯した者が犯罪に
無縁であった頃の「生きる意欲」とを、平等に俎上に上げて、
見つめてみるというまなざしが、今日はなおざりになっていると
思うことがあります。
同じであるならば、今度は「生」を考える意味で
「生きる意欲」とは何かを考えて、同時に、
犯罪者の生きる意欲を無くさせたモノは何か?
を考えてゆく手続き的思考過程を踏んでゆくことが
必要だと思います。
「そんなのは、家族じゃない!」とか
「今の世の中夢も希望もあったものじゃない!」とか
「そんなんだったら、仕事する意味ないじゃん!」とか
「それでも、親かよ!」とかの捨てゼリフの中に
生きる意欲を示す単語が今もしっかり入っていますので、
人間の意欲・思いは共通すると思います。
被害者側の立場を考えるということは、加害者側の立場を
極限まで考え追求することでもありますが、その体制派は充分に
機能しているかどうかはわかりません。
長くなりましたが、今後の社会のありかたによっては
激しく国民心理が揺さぶられるかもしれません。
個々の生き方、考え方が適当に反映される適当な規模の
社会であれば、健全な相互監視・牽制ができますから
私的には、それが安心社会の理想と考えます。
(TVから飛び出してくる唐突な道州制とかをイメージしている
わけではありません。)
死刑制度は、今の組織が極限にまで肥大化し、偏向した社会の中では、
増して危険極まりないと思います。
長々と失礼いたしました。
2010/07/15(木) 13:48:35 | URL | syuuhou #-[ 編集]
私も同じように考えます。
>私は頭が『お花畑』でしょうか。私は「理想論過ぎ」なことを言っているでしょうか。

世界の国々の三分の二が死刑を法律上、あるいは事実上廃止していますし、死刑存置国であっても死刑をどんどん執行している国はむしろ少ないという『現実』があります。

つまり、世界の三分の二以上はすでにお花畑であるのが現実です。^^

早く日本もお花畑に仲間入りして、犯罪を少なくする経済環境・社会環境作りと、被害者とその遺族への補償やサポートをもっと充実させることと、一生をかけて加害者の贖罪をうながす刑務政策に向かいましょう。

さらに言えば、日本の殺人事件発生率は死刑廃止国よりも少ないという犯罪統計があるのもまた『現実』です。つまり、日本が死刑制度の存置にこだわる理由はさらに減ることになります。

合法的に人を殺すことが法律で規定されている日本社会は、命を本当には大切にしていないのではないかと私はしばしば考えることがあります。
2010/07/17(土) 00:40:13 | URL | 村野瀬玲奈 #6fyJxoAE[ 編集]
syuuhouさん、こんばんは!
☆syuuhouさん、こんにちは。
本当にいつも、コメントをありがとうございます。
ブログを書くエネルギーになります。

> 一般に、殺人を犯した者の「動機」がやはり問題となりますが、
> 同時に、一般の人の「生きる意欲」と殺人を犯した者が犯罪に
> 無縁であった頃の「生きる意欲」とを、平等に俎上に上げて、
> 見つめてみるというまなざしが、今日はなおざりになっていると
> 思うことがあります。

そうですね。。
こんなことを書いている私は、実は犯罪を犯すこと(法を犯す)や、
犯罪被害者になることと無縁のように思っています。(無意識に)
しかし・・法務大臣や、実際に刑場にいて死刑囚と接する人たちに、間接的に任せているだけなので、無関心ではいけないな・・と、
特に、死刑容認を深く考えず「言いっぱなし」発言・書き込みする人などを見聞きすると、
強くそう思います。

> 同じであるならば、今度は「生」を考える意味で
> 「生きる意欲」とは何かを考えて、同時に、
> 犯罪者の生きる意欲を無くさせたモノは何か?
> を考えてゆく手続き的思考過程を踏んでゆくことが
> 必要だと思います。

> 捨てゼリフの中に
> 生きる意欲を示す単語が今もしっかり入っていますので、
> 人間の意欲・思いは共通すると思います。

syuuhouさんのおっしゃるとおりだと思います。
それは・・・万人に共通するものでもあるのでしょうか。
考えてしまいます。
みんな、自分のことを大切にして欲しい、見て欲しいという叫びが心の中にあるのかな、
ということを思います。
この私も。。
だから、強く言葉に出さなくても(出せなくても)無関心ではいたくないと思い、
こんなに死刑制度のことを考えてしまうのかな、私。

> 被害者側の立場を考えるということは、加害者側の立場を
> 極限まで考え追求することでもありますが、その体制派は充分に
> 機能しているかどうかはわかりません。

そうなんですよね。。
加害者本人や、加害者側の家族や親族がマスコミの取材攻勢にさらされる場面を思い起こしました。和歌山のヒ素混入カレー殺人事件です。
「加害者とされている」人をテレビに暴力的に晒し、「こいつがやったんだ」
と『悪を追求する』マスコミ。
(そんな取材者ばかりではないでしょうが)、表面しか見ていないマスコミには、
本当に反吐が出ます。

> 個々の生き方、考え方が適当に反映される適当な規模の
> 社会であれば、健全な相互監視・牽制ができますから
> 私的には、それが安心社会の理想と考えます。

syuuhouさんがおっしゃっていること、分かります。
> (TVから飛び出してくる唐突な道州制とかをイメージしている
わけではありません。)
そうそう、そういうのではなくて。

> 死刑制度は、今の組織が極限にまで肥大化し、偏向した社会の中では、
> 増して危険極まりないと思います。
> 長々と失礼いたしました。

syuuhouさん、長々と、なんてそんなことはないです。
とても参考になる意見です。ありがとうございます。

p.s.
私も、キーボード打ち間違いが多くやり直したりして、
syuuhouさんと同じく、頭がうまく働いていない感じです。
少食って大事かも、ですね。。お互い、夏を何とか楽しく、乗り切りたいですね。
v-473v-466v-468
2010/07/19(月) 18:41:19 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
村野瀬さん、ありがとうございます。
村野瀬さん、こんばんは。
コメントをいただき、心強い限りです。
ありがとうございます。

> つまり、世界の三分の二以上はすでにお花畑であるのが現実です。^^

死刑制度反対派に対し、「お花畑」と言いたがる人には、
「お花畑で悪いか!!」と、心の中で毒づいております。

> 早く日本もお花畑に仲間入りして、犯罪を少なくする経済環境・社会環境作りと、被害者とその遺族への補償やサポートをもっと充実させることと、一生をかけて加害者の贖罪をうながす刑務政策に向かいましょう。

「被害者とその遺族への補償やサポートをもっと充実させること」
・・・私が今日考えていたのは、まさに、そのことです。
そのことを、書こうと思います。

> さらに言えば、日本の殺人事件発生率は死刑廃止国よりも少ないという犯罪統計があるのもまた『現実』です。つまり、日本が死刑制度の存置にこだわる理由はさらに減ることになります。

そうですよね。『現実』ですね。
日本国民が「死刑制度の存置」にこだわるのは、マスコミが強く関わっているのではないか----
私はそのように思います。
テレビなどでは、「被害者がいかに善良な市民で殺人犯がいかに残酷な奴だったか」
を、繰り返し繰り返し伝えます。
そのおかげで私は、以前は死刑制度存置派でした。
「だって・・死刑しかないでしょ」と、思い込んでしまっていたのです。

> 合法的に人を殺すことが法律で規定されている日本社会は、命を本当には大切にしていないのではないかと私はしばしば考えることがあります。

小中学校などの「教育現場」で、同級生を殺傷した事件が過去に何件かありましたが、
その度に、児童・生徒に「いのちの大切さを教える」ことが大事、と叫ばれました。
国民の死刑制度存置派が8割、ということは、割合からして、かなりの大勢の教師もその中に入っていることと思います。(現場の教師を責めるつもりはありません)
「全校集会やホームルームで『いのちの大切さ』を生徒たちに教えたいです。そして心のケアを。」というようなことをテレビで校長が言っているのを聞いても、上っ面だけで虚しい感じがします。

> 日本社会は、命を本当には大切にしていないのではないかと

「死刑にしろ!」という声や、厳罰化を求める声が大きいのは、(犯罪被害者の遺族は別にして)
何かに対しての「はけぐち」ではないか、と私は思ってしまうんですよね。。。
スーパーの駐車場で、以前には混雑した都心の電車の中で、ちょっとしたことで目を吊り上げている人の表情を見て、余裕がないのか自分のことしか考えられないのか・・と、私は感じました。
それだけ心に余裕のない社会・・なのだろうか、と。。
でも、自分もそうなっているかも、そうならないとは限らない、と、
・・・・思いますね・・。たまに振り返ったりしています。
(私は、ゆっくりにしか生きることが出来なくて、そういう性格なので、
まだ幸せなのかもしれません・・。)

何にも怒りや不安のない社会などあり得ないですが、
「死刑に決まってるでしょ」「死刑は仕方ない」、というあの言い方、
大勢で言われると、やはり、やり切れません。
2010/07/21(水) 00:41:22 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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