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沖縄での地上戦を知るために 6月23日
2010年06月25日 (金) | 編集 |
きのうの記事で私は、「6月23日が何の日であるかを自分自身が知るために、
取り急ぎネットで調べてみた」ということを書きました。
そして発見したのが、下の記事です。
これは沖縄戦のほんのごく一部だけで、私はもっと詳しく知りたい、と思っています。

以下、毎日jp(毎日新聞)より、転載。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

沖縄戦:「鉄の暴風」死者20万人 徹底抗戦で「捨て石」に

1945年6月23日 組織的戦闘は終わる

 45年4月1日、本島中部西海岸に上陸した米軍は、当時の沖縄県民45万人(推定)を上回る総兵力54万8000人(後方部隊を含む)。これに対し、守備軍は約12万人に過ぎなかった。米軍はほとんど抵抗を受けないまま翌2日には東海岸に達して本島を分断し、北部は2週間余りで占領した。北、中の両飛行場を奪い、制空権を完全に掌握した。

 守備軍は首里の司令部を取り囲むように丘陵地帯に布陣した。4月8日から本格的な戦闘が始まり、宜野湾(ぎのわん)の嘉数(かかず)高地や浦添(うらそえ)の前田高地などで激戦が展開される。米軍にとっても「ありったけの地獄を一つにまとめた」戦闘であった。5月4日、守備軍は総反攻に出たが、失敗して再び持久戦に戻した。日本軍の支援は散発的な「特攻」攻撃にとどまり、沖縄は孤立した。

 同(5月)22日に首理撤退が決定され、司令部は魔文仁(まぶに)に移される。それは多数の住民がガマなどに避難している本島南端部が戦場になることを意味していた。

 大本営にとって沖縄戦は、長期戦で米軍を消耗させ本土進攻を遅らせる意味があった。まさに沖縄は「捨て石」となった。徹底抗戦が継続される中、「鉄の暴風」と称される米軍の砲爆撃により、住民や動員学徒は次々に命を失っていった。結局、守備軍司令官の牛島満中将は6月23日に自決し、組織的戦闘は終わる。ただ、散発的な抵抗は続き、守備軍の降伏は日本が降伏文書に調印した5日後の9月7日だった。

 沖縄戦の死亡者は日本側18万8000人以上、米側1万2520人とされる。日本側の半数約9万4000人(推計)が住民だった。【三宅輝久】

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

2008年6月20日
沖縄戦:「鉄の暴風」死者20万人 徹底抗戦で「捨て石」に

↑上のリンク記事には、枚数は少ないのですが沖縄戦の写真も載っています。
「写真で見るイラク戦争」も載っています。
(これも、イラク戦争のほんの一部分ではありますが・・)

イラク戦争には、沖縄の米軍基地からも、攻撃のためにたくさんの戦闘機が飛んでいった、
大勢の米兵がイラクに行ったと聞いています。
もしかしたら、それを知ったイラク人、あるいは世界で、米兵に虐げられていると感じる(不当に介入されている)紛争当事国の人たちの中には、日本の沖縄のことを良く思っていない人もいるかもしれません。
そうしたら。
もしもそんなことがあっては困りますが、「Okinawa」が真っ先に攻撃される、
またはテロに遭うということになってしまわないか。
全然、「日米安保」などではありません。
世界に不穏な空気を感じているからです。世界=米国、と言ってもいいかもしれません。

( ≪ 戦後65年もの間、日本は戦争のない"平和な状態"が続いてきたのに、
今さらそんなことが起きるわけないでしょ。≫ と考える方もいるかもしれません。
でも方向を見間違うと、「絶対起きない」とは言えない、と私は思います。)

沖縄以外にも、日本には米軍基地が置かれています。
昨年の初夏、リンク先の方のブログで見て、衝撃を覚えた写真があります。
もちろん私は、日中戦争や第2次大戦時、最近の戦争によるむごい状態の死者の写真を見た時も、衝撃を受けました。
しかしそれとは違う、まさに今生きている自分たちが当事者ではないか、と感じてしまう得体の知れない恐ろしさを感じる写真です。
知らない人が多いのではないか。また、紹介します。


コメント
この記事へのコメント
沖縄のこと・・・修学旅行でガマや平和の礎などの見学をしましたが、それ以後あまり思い出すこともありませんでした。

去年、久々に沖縄南部に地元に移り住んだ友人とドライブに行きました。最南端ということで喜屋武岬に行ったのですが、そこから住民がたくさん飛び込んだそうです。波も激しくて、岩もごつごつしていて飛び降りるには恐ろしい場所でした。

ふと。友人を見ると、目を赤くしていました。
“怖かっただろうな。。。”とつぶやいていました。

その時に初めて、感情としてその悲劇を少しだけ感じたような気がしました。遠くにいると、頭でわかっていても、他人事のような気がしてします。そのことを思い知らされた体験でした。

2010/06/26(土) 20:37:26 | URL | kemo #-[ 編集]
kemoさん、コメントありがとうございます!(^o^)
☆kemoさん、おはようございます。v-481
(今日も蒸し暑そうですね・・ A^^; (体調、お気をつけて・・・)

> 沖縄のこと・・・修学旅行でガマや平和の礎などの見学をしましたが、それ以後あまり思い出すこともありませんでした。

私も、そうでした・・。20年近くも前のことですが、
学生時代に女子9人くらいで沖縄に観光で行ったことがあります。
「ひめゆりの塔」を見学したのを覚えています。
大きな穴がある・・と覗き込み、そこにいた現地のひめゆりの塔のガイドさんが話を聞かせてくれました。その時には、「ああ、これがよく聞くひめゆりの塔」と思い、手を合わせましたが、私はその時、何も分かっていませんでした。

> 去年、久々に沖縄南部に地元に移り住んだ友人とドライブに行きました。

(kemoさんのブログ、よく拝見しています。^^
そこに住んでいる人たちが皆あたたかい・・そんな印象です。)

> 最南端ということで喜屋武岬に行ったのですが、そこから住民がたくさん飛び込んだそうです。

そうだったのですか。。。南部で。。。
私が転載した記事の、「それは多数の住民がガマなどに避難している本島南端部が戦場になることを意味していた。」という部分とつながりますね。。
女性は米軍に捕まる前に崖から飛び降りた。・・・・・そんな映像も、テレビでは見たことがありました。しかしショックを受けつつも「沖縄って悲惨だったんだな・・」
・・・私はそれくらいしか、思いを寄せることが出来ませんでした。
しかし、沖縄が本土のために犠牲になったことを知ると、全然違う見方になりました。
学校の教科書では、「日本軍が住民に自決をさせた」ということを削除させたということを聞いたことがあります。それではいけないと思います。

> 遠くにいると、頭でわかっていても、他人事のような気がしてします。そのことを思い知らされた体験でした。

そうなんですよね・・「他人事」のような。。
私はこれからも、沖縄に関して自分自身が知って、「ええっ・・」と感じ驚いたことを、
このブログに少しずつでも書いていこうと思います。
kemoさん、このエントリにコメントをいただき、とても感慨深かったです。
kemoさん、ありがとうございます。
2010/06/28(月) 04:45:21 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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2010/06/26(土) 01:00:20 | 村野瀬玲奈の秘書課広報室