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「死刑を回避する」には、かわりに終身刑でいいのかどうか、考えてしまう。
2010年03月03日 (水) | 編集 |
死刑=刑そのものが、国家によって強制的に「死なせる」ことであって、
死刑が執行されるまで、拘置所で過ごす。
拘置所では、懲役刑と違い、(私は数年前に知ったのだが)
狭い部屋でじっとして過ごすということらしい。

終身刑=その名の通り、終身(死ぬまで)刑罰を受け続ける。
または、自分が起こした犯罪に対しての(ほとんどは殺人だろう)償いをしつづける。

今日の朝日新聞「声」欄では、「終身刑マイナス面踏まえ議論を」という題で、
終身刑について論じている人がいた。

そのちょっと前に、同じく「声」欄に、
【「死刑になりたくて人を殺そうと思った」という犯罪者がいる。これでは死刑は犯罪の抑止力になっていないではないか。(だから終身刑を)】という主旨の意見が載った。

今日の「声」欄に投稿していた人は、これに対して、【かねて死刑に代るものとして提唱されている一部論者の意見だが、終身刑の問題点を十分理解したものとは思えない。(原文のまま】と、主張している。
【死ぬまで拘禁される受刑者は自暴自棄になり「どうせ死刑になることはない」と、刑務所内で看守や他の受刑者の殺害行為に出ることがある。】というのだ。

では、今ある最高刑の次の、「無期懲役」は・・どうなんだろう。
現在では「厳罰志向」もあり、年々、刑務所に入れられている期間が長くなっている。
要するに、仮釈放されないで、何十年とか。

(仮釈放)
第二十八条  懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。


あるサイトで、 
「法務省大臣官房司法法制部発行の「矯正統計年報」および平成12年(2000年)10月3日の政府答弁書により、統計のある1977年から2006年までの無期懲役刑仮釈放者の平均在所年数(刑確定前の勾留日数を含まない)」を見てみた。

すると、1977~1988年は平均在所年数が「16年程度」だったのに対し、
2008年では、「28年10ヶ月」と、大幅に増えている。


私は、現在の死刑制度には、反対の立場である。
以前は、反対も賛成も、「人が殺されているのだから考えるまでもなく、当たり前だろう」
という考えだった。
しかし、ここ数年、ネットで他の人のブログを見たり、辺見庸さんやジャーナリスト青木理さんの書いた、「死刑に対する考え」や「死刑の実際の現場」を知ってから死刑の残酷さに驚き、「当たり前」と簡単に軽く受け流してはならないものだと思い(「国家による殺人」ということが決定的である)、死刑制度反対派になった。
しかし・・・
今ももちろん、死刑制度反対という考えをもっているし変わってはいないが、
今日の朝日新聞「声」欄の意見のようなことを聞くと、
「死刑を回避するなら終身刑がいい」と、自動的に考えもなく、自分は思考停止に陥っているのではないか
とも、考えてしまう。

自分の家族がもしも殺され、遺族になってしまったら?
私はその犯人に対し、「なぜ殺したか」を問い続けるだろう。
犯人が理由を口で説明しても、理解できないかもしれず、問い続けるかもしれない。

世田谷一家4人殺人事件の遺族である、宮沢さんが、
「一番知りたいのは、"なぜ、この4人が殺されなければならなかったのか"ということ」
と言っていたのを思い出した。

終身刑が導入されることになっても、犯人と遺族が対話するとか、遺族に犯人の生い立ちや経歴や取調べの経緯を詳しくを知らせるとか、
そして、一番大事なのは、人を殺した犯人が、「自分の犯した罪を心から悔い改めること」(まさに「悔悛」ということになろうが)だと思う。
「そんなのきれいごとでしょ、ラッキーって思う人だっているよ」と、
一笑に付されるかもしれないのだが、
私はそれが、大事だと思うのだが・・・。
もちろん、すべての犯人が「悔悛する」とも思えないのだが・・・。

今の政府では、法務省のトップが死刑制度反対派の千葉景子さんである。
議論は進んでいるのだろうか。
いや、「議論は進んでいるのだろうか」という他人事ではなく、
自分たち国民一人一人の問題として考えるべきなのだろう・・。

今日の朝日新聞社会面には、3月2日に行われた、鳥取の強盗殺人事件(2人殺害)の裁判員裁判の判決のことが載っていた。被告は55歳。82歳男性と74歳女性を殺害している。
結果は、無期懲役だった。↓(詳細)
裁判員裁判:米子の強殺・判決 2人の冥福祈り続けて 求刑通り無期懲役 / 鳥取-毎日jp(毎日新聞)

朝日新聞紙面最後のほうには、
【30代の男性裁判員は補足取材で「こんなことをしたから死刑だ、無期懲役だとか、そんな短絡的な考えではなく、被告の考えや行動、遺族の気持ちを考えつつ、皆さんと評議した」と語った。(新聞の原文のまま)】
と、ある。



コメント
この記事へのコメント
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2010/03/04(木) 15:05:01 | | #[ 編集]
☆☆さん、コメントありがとうございます!

そうでしたか。。
ブログをしていると、いろいろありますよね。。
私はこのブログを、「死ぬまで」なんて大げさなことは言いませんが、
何かどうしても中断せざるを得ない理由がない限りは、
続けていこうと思っています。
☆☆さん、いつも訪問してくださり、ありがとうございます。

2010/03/04(木) 16:57:11 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
ゆうこさんの上に平安がありますように
ゆうこさん。
 弊ブログへコメントとTBをありがとう。感謝です。お返事が遅くなりました。
 どのように感想を申しあげればいいのかなと考えましたが、他のエントリも拝見し、取り立てて「死刑」にしぼって申しあげることではないように感じました。
 私の場合、「死刑(制度)」について考えるようになったのは、勝田清孝と永別してからです。生存中は、「死」について、また「罪」「いのち」「赦し」「贖罪」「生きること」・・・といった事柄について考えることでいっぱいでした。死刑廃止運動体の人たちと一線を画さねばならない複雑な事情もあって、「死刑(制度)」について考える状況にありませんでした。
 勝田清孝の死後、死刑(制度)について比較的縛られない環境で考えることができるようになりましたが、死刑について考えることは、「罪」「いのち」「赦し」「贖罪」といった、畢竟、人間そのものについて考えることではないか、と思っています。「人は、どのようなものなのか」「人は、どのように生きればいいのか」と。
 昨年は五木寛之さんの著書が、大いに思索を助けてくれました。親がわが子を虐待し、餓死させる時代。涙なしには見ることの出来ない社会のありようです。人とは、何なのか。共に考えてゆきたいと思います。一つ、弊ブログのエントリを紹介させてください。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/d4de97685718f9a5925785cfc1b76731
 では、またね。ゆうこさんの上に平安がありますように。
2010/03/08(月) 15:08:20 | URL | 来栖宥子 #mQop/nM.[ 編集]
来栖宥子さん、コメントありがとうございます。

来栖宥子様 コメントありがとうございます。
(お返事が少し遅れてしまい、申し訳ないです。)
この前は拙ブログ記事のTBを受け付けてくださり、
そしてまた、TB・コメントをいただき、ありがとうございました。

紹介してくださった記事を読み、何とも言えない気分になりました。
私は以前このブログで、毛皮製品の造られ方に驚き(生きたまま動物を殺していたり、毛皮だけのために狭いケージに一生閉じ込めたり)、
それについて結論なくダラダラと書いたことがあります。まだ、考え続けていて、「結論」というのは出ていないのですが・・。(でも映像を見たりすると、どう考えても、「あってはならないこと」「命への冒涜」だと感じます。)

そして、来栖さんの記事を拝見した直後に、そのまま思ったことを整理もせずに一気に書いてしまったのが、数日前の、「命」というエントリです。

> 死刑について考えることは、「罪」「いのち」「赦し」「贖罪」といった、畢竟、人間そのものについて考えることではないか、と思っています。「人は、どのようなものなのか」「人は、どのように生きればいいのか」と。

私が「日本には死刑という刑罰がある」というのを知ったのは、小学校低学年です。
はっきりと覚えていることがあって、過去に自分のブログにも書きましたが、私が小学校2年の時、女性の担任教師が、「中国じゃあ、人の物を盗んでも死刑になるんだって。日本もどんどん、そういう風にしちゃえばいいのにね」と、言ったことです。
私は、「物を盗んだだけで死刑に?」と自分が思ったことと、その先生が本当にあっけらかんと言ったのを未だに忘れられません。
(私の頭の"物忘れ"はたまに激しくなったりしているのですが、こういうことだけは鮮明に覚えています。)

最近では、私は母の治らない病気という大事に戸惑いながら、ショックを受けながら、母に頼ってばかりいたので情けないことに落ち込んでばかりいます。(いました、・・でしょうか。。)
「いました」、というのは、人間の心は意外と強く出来ていて(こんな情けない私でも)、だんだん順応していくのだな・・受け入れていくのだな・・ということなのですが。。。でももっと、しっかりしなくてはと思う時があります。
でも・・うまく言えないですが、命あるものはいつか絶対に死んでしまいますから、いつ死ぬかなんて誰にも分からないから、「その時その時を大切に生きる」という言葉の意味に、今ほど、嫌というほど気づかされた時はありません。

>  では、またね。ゆうこさんの上に平安がありますように。

来栖さん、温かいコメントをいただいたり、私のことに時間を割いてくださり、本当に嬉しかったです。
ありがとうございます。
来栖さんのブログには最近よくお邪魔しています。また、伺いますね。
まとまりのないお返事になってしまいました。
読んでくださり、ありがとうございました。
2010/03/12(金) 05:48:21 | URL | ゆうこ #-[ 編集]
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