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「テレビを信じるな」---故・野沢尚さん
2014年08月29日 (金) | 編集 |
天気の良くない日が続いています。体調を崩してしまいました。台風11号が来た時から・・多分、だから3週間くらい経っています。風邪を引いて熱が出たり、熱も咳も引いて元気になれるかと思ったら、気持ちに大きな波が来てしまい(そうでなくても、もうここ2年くらいは沈んでいる日が多いですが)、
昨日は、体が波に持っていかれるように一時的に泣いてしまったりしていました。鳩の鳴き声を聞いていると、ほっとしました。ほとんど何も出来ませんでした。
新聞-ネット-本---と「サーフィン」をしていて、何とか過ごしました。

朝日新聞26日付の文化面かどこかに、吉本ばななさんと、ピアニストの「ヴァレリー・アファナシエフ」さんの対談が載っていました。ピアニストであるヴァレリーさんは、小説も書いていて、『妙なるテンポ』という短編集を出版したということでした。私はすぐに注文し(Amazonでは扱っていなかった)、翌日、届きました。それを読みながら・・・「コーネル・ウールリッチ」という作家の本を思い出し、NHKドラマDモードで日本を舞台にアレンジしてドラマ化されたのを思い出し、検索し、そうしたら、脚本が野沢尚さんだったのです。あれ、・・あの人は・・・そういえばかなり前、誰か有名なテレビ関係者だったか脚本家の人が自殺した・・というのを思い出し、それが野島さんだったのか・・・と思い出し、なぜ自殺したのかと思い、「野島尚 自殺」で検索したら出てきたのが、次のページです。

『ぼくは見ておこう』 松原耕二の、 ライフ・ライブラリー。
「2005-02-08-TUE」とあるのは日付だと思います。このページの著者は、「現在、TBSテレビ経営企画室担当局次長・元報道局解説委員・ニュースキャスター・作家・コラムニスト」(wikipediaより)の、松原耕二さんです。

その中から、読んでいてハッとした一言を、抜粋、転載・引用させていただきます。

=================ここから。

死について、しかも自殺について、
野沢さん自身が語っている文章があった。
フジテレビで放送したドラマ『眠れる森』(幻冬舎文庫)
の最後に掲載されている手記だ。
ドラマのテーマを番組のキャスト、スタッフに
伝えるために野沢さんが記した言葉だが、
いま読み返すと別の意味合いを帯びてくる。
「伊丹十三が自殺した。新井将敬が自殺した。
 中小企業の3人の社長は牛丼を最後の晩餐にして、
 揃って首を吊った。
 後ろ指さされた官僚たちは
 死をもって責任を取ろうとする。
  『失楽園』の2人は心中し、
 『HANA-BI』の2人も自殺する。
 みんなが死に魅せられている。
 これが世紀末の人間の姿なのか。
 こんな大人たちの有様を見て、
 子供は思うに違いない。
 『要するに死ねばいいんだ。追い詰められたら、
  死に逃げ込めばいいんだ』
 危険極まりない時代だ。
 だから言いたい。
 『どんなに悲惨な過去に苦しめられ、
  どんなに罪深い過ちを犯していようと、
  全てを引き受け、その人生を生きろと』」

==================ここまで。

私は、野沢尚さん脚本のドラマをいくつか、見ています。その中でも全部見たのは、TBS『青い鳥』と、NHKドラマDモード『喪服のランデヴー』です。小説も書いていたことは、初めて知りました。

こんな大人たちの有様を見て、
 子供は思うに違いない。
『要するに死ねばいいんだ。追い詰められたら、
  死に逃げ込めばいいんだ』


このブログにこういうことを正直に書くのはどうしようかと思いましたが、私は時々、いえ、かなりいつも、死にたくなってしまう気分になります。2年前くらいから、ですね・・。(けれども、痛いのも苦しいのもダメで、死ぬことは出来ない。もうひとつ、それが出来ない理由は、自殺は「許されない」---(生きているうちには、許されることと許されないことがあるような気がしていますが、許されないと思うのが人殺しと自殺だと思っています。ただし、「絶対に」、とは言えない。他人にこの意見を押し付けることも出来ない)---と思っているからです。でもこれを読んで、「死をもって解決する」ということになるのはダメだ、いけないというのが私がこのブログで言いたいことなのですが、野沢さんの手記のとおりだなと思ったのです。しかしまた矛盾するようだけれど、自分自身はそう(死にたいと)思ってしまっている・・・よくないな・・と。それにしてもまさか、ヒットドラマの脚本をたくさん手がけた人が言っていたのは(私の勝手なイメージだけれど、テレビ界に関わる人は「タフ」だという印象があるので)、意外なような気もしました。

(「死なせることで『解決』する」のが死刑だとしたら。否、解決になどならない。でも今日、二人の死刑囚の死刑が執行された。「死なせる」のか、「殺す」のか。殺人であることには違いない。自殺も自分を文字通り殺すこと・・・。)

松原耕二さんを含む4人との対談の話。上のリンクのページから。
『主観報道と客観報道、映像表現の危うさなどについて
2時間ほど話し合った。』そうです。
今日の私のブログのタイトル:「テレビを信じるな」---故・野沢尚さん
の「テレビを信じるな」の部分は、以下に抜粋、転載させていただきます。

===================ここから。

対談のなかで、いまでもはっきりと覚えている
野沢さんの言葉がある。
テレビを信じるな、という
本を書いたこの作家の口から出たのは、
報道はもっと客観的であれという
メッセージではなかった。
それどころか全く逆だったのだ。
「映像は切り取られた瞬間から
 どうせ事実と違うわけだから、
 だったら圧倒的な主観的事実で
 ニュースが作られていくことは、
 僕はかまわないと思う。
 むしろ魅力的なつくり手の主観を
 提示して欲しいですね」
野沢さんの内に秘める情熱を、
私が初めて感じた瞬間だった。

======================ここまで。


私自身は、辺見庸さんの言葉を借りると、「目が腐るほどテレビを見ている」。
地上波民放のバラエティーもドラマも見ませんが、民放NHK問わず報道番組やアメリカのドキュメンタリ番組、NHKのドラマなどを見ています。結局、NHKはよく見ています。


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原爆投下---人類が起こしたことを忘れてはならない。[2]
2014年08月23日 (土) | 編集 |
8月15日付
原爆投下---人類が起こしたことを忘れてはならない。
の続きです。

【2012年の夏】 被爆の記憶託す 次世代の語り部に養成 広島原爆投下67年  (2012年8月6日 夕刊)
(~朝日新聞の紙面から~<広島・長崎の記憶 被爆者からのメッセージ>)
  ↑ この前最後にリンクした、これは2年前の朝日新聞記事なのですが、
『「生き証人」の被爆者も全国の平均年齢が78・1歳と高齢化が進む。広島市は今年度から、語り部を若い世代に引き継ぐ事業を始めた。被爆体験のない世代に被爆者の記憶を引き継いでもらい、3年間かけて語り部に養成する。』
とあります。
広島市が、「語り部」を養成する、ということです。
私は、これはとても良いことだと思いました。

今から書くのは広島ではなく長崎の原爆の話なのですが、私は以前(といっても、もう、7~8年は経っていると思う)、テレビ番組で、ですが、被爆体験者が減ってきてしまい、若い「語り部」を養成して、長崎の平和記念公園を訪れた人に対し、「被爆体験」を説明する、という場面を見たことがあります。
テレビ画面で見たのは、ちょうど、養成された「語り部」の方(20代半ばくらいの若い女性だった)が観光客に被爆の瞬間を説明しているところでした。詳しくは覚えていないのですが、「目もくらむような白い光がその一瞬・・・」という風な表現、そこだけは覚えています。
それからおよそ3~4年後の2011年3月、東京電力福島第一原発事故が起きました。その後、その年に3回(翌年は私は参加できなかったのですが)、このブログのリンク先の麻生さんが、「原子・原子核の構造・核兵器の仕組み」について(「地震のメカニズムと原子力発電の基礎」についても)、勉強会を開いてくださり、私は参加してきました。
その勉強会の講義を聞いている最中に思い出したのが、長崎の、若い女性語り部の人の、「目もくらむような白い光が…」の部分です。核分裂の連鎖反応の解説も聞きました。
それで何が言いたいかというと、ただ、被爆体験者の話を聞くだけ、もしくは「語り部」として養成された人の話を聞くだけでは、総合的に核・核兵器の恐ろしさを理解できるだろうか、という疑問があるということです。(もちろん、体験を聞くことには大いに意義がありますが)
アメリカが落とした広島型原爆と長崎型原爆の違い、核分裂連鎖反応まで、中学生くらいのうちに、受験勉強のような形での「流し」のような形ではなく、平和教育(…というと”政治的”と言われるのだろうか…しかし重要だと思う)として学ぶべきではないか、と思いました(学習指導要領では、「原子」について中学から習うのでしょうか)。
日本は世界で唯一、原子爆弾を落とされた国です。科学の教師は、原子や核の仕組みとともに、使いようによっては核は破滅的な結果をもたらす、ということを子どもたちに伝えなければいけないのではないか、と思います。(否、世界でも最悪の原発事故が起きていまだ進行中の今、『使いようによっては』ではなく、核は人間の手には負えない、と言う他はないです)

この前、このようなツイートが目に止まりました。

『科学の立場から意見を言う必要があると思っています』 に、同意です。


そして、「語り部」の話に戻りますが、原爆の体験を、話だけを聞いても得られるものはもちろんあると思いますが、さらに、話し手も聞き手も原爆について科学的なことをある程度理解していれば、過去のことではなく、これからの自分自身のこととして伝えたり受け取ることができるのではないでしょうか。


また、これは、まさにそうだなと思ったツイートですが、


ツイッターで、このようなことを言っている人がいました。
これも、一理あるなぁと思いました。

戦争に限らず、ネットで見かけた話ですが、
「地域に伝わる盆踊りを、誰も踊れる人がいない。ギリギリ、誰かお年寄りに聞けば分かるかも、くらい。もしかしたら、(再現は)難しいかもしれない」、というような、ある女性の話。その人は続けて、「もう今からの時代、『言い伝え』とか『こうやってこうやって』と踊りを教えるんじゃなくて、映像を動画に残してCD-ROMみたいのにコピーするとか、そうしないと、地域の無形文化が消える」とも言っていました。

それと同じで、「語り部」というのは、限界があるのではないかな・・とも感じます。しかしもちろん、繰り返しますが、だから「無くしていい」というわけでもないと思います。

8月9日、69年前に投下された長崎原爆の映像を細かく解析した映像を、TBSの報道特集で見ました。昔のままの不鮮明な映像ではなく、現在の技術で解析した映像でした。衝撃波のような空気の動きも見えました。現在85歳(被爆当時16歳)の、長崎の原爆で被爆した男性が、苦悩の表情を浮かべながら映っていました。
「JCCテレビすべて」
 ↑こちらで、2014/08/09 (TBSテレビ[報道特集])放送の、内容だけ見られます。
08/09 18:12 悪魔の火球・8月9日・長崎
08/09 18:16 熱線を浴びた被爆者
08/09 18:20 米国にあった原爆フィルム
08/09 18:24 最新技術でよみがえる映像
08/09 18:30 デジタル処理された悪魔の火球
08/09 18:35 悲劇を伝えること
08/09 18:37 原爆の被害をどう伝えるか

「熱線を浴びた被爆者」より、一部抜粋、転載。===========
JNNでは米国に残されていた長崎への原爆投下の瞬間をとらえたフィルムをデジタル解析し、見えてこなかった長崎原爆の実態に迫る。
原爆の熱線で背中に大やけどを負った少年・谷口稜曄は、今年85歳。
長崎市住吉町で被爆。
谷口にきのこ雲の記憶はない。
原爆は郵便配達をしていた谷口の背後で炸裂。
谷口は魚雷工場に逃げ込んだ。
やけどは背中全体に及び、一命は取り留めたが長く苦しい入院生活が始まった。
後遺症は様々な健康被害として現れる。
何度も移植手術を受けた背中の皮膚に汗腺はないため、2日に1度薬を塗らなければならない。
谷口は「よくぞ生きていたという目と醜い体をしているという目。
こんなしても生きなきゃいけないのか。
退院する時は喜び半分と苦しみ半分。
戦争に対する憎しみ半分」と話した。
====================ここまで。

こうやって、映像は残っているのです。そして、人間とともに被爆して、一瞬のうちに炭になってしまったお弁当のご飯、被爆した人の服、その他、遺品は残っています。引き継いでいかなければならないと思います。


出来損ない
2014年08月18日 (月) | 編集 |
わたしはつくづく、「出来損ない」だなと、この頃、自分自身でよくそう思っている。

親戚中を同年代で集めて、自分も入れて私と妹と女性のいとこ6人、男性いとこ4人、その中で一番の出来損ないは自分だと思っていた。男性いとこ一人、失業中。心身は健康で、求職活動をしていて、見つかればいつでも働けるようだ。その人は除外する。
私は…稼ぐのに生かせるような技術や頭脳はない。他にも自分自身の問題を抱える。どうしようもない。今更、まともに働けるとは思えない。どうにもしがたい。(何かあったらあっという間に、貧困)

男性のいとこの一人。自分の家には居ない。統合失調症で、県外の病院に長い間入院している。病気は、重い方に見える。病院が住まいである。時々両親が訪れ、外出に連れ出している。

自分より下には下が、上がいる、と無意識に探す私の頭の中。
疲れた。人と比べる自分の頭を捨てたい。


----------
(※一旦アップして、文章をもう一度書き換えました。
8月15日の記事の続きは、もう少し待ってください)


原爆投下---人類が起こしたことを忘れてはならない。
2014年08月15日 (金) | 編集 |
こんにちは。

広島に原爆が投下されて69年経った、8月6日に、ツイッターから、
こんな「つぶやきまとめ」が流れてきました。
【広島】いつまでも原爆原爆うるせえよ【長崎】

このタイトルにつけられたコメントというか小さい表題は、
『こういう人間が出てくるのは、はたして風化によるものなのか、それとも何かへの反発なのか…。』
です。
反応の中には、「原爆の日のせいで、テレビが原爆特集ばっかりだよ」
という内容の書き込みもある。

【広島】いつまでも原爆原爆うるせえよ【長崎】 をパッと見た時、私は、
「それは分かるような気がする」…と、なぜか「分かる気がした」のですが、
自分でもなぜだろうと思いました。
次の日8月7日、6日の広島での平和記念式典の様子がテレビで放送されていました。私はそれを、家事をしながら見ていたのですが、そこで前日の【いつまでも原爆原爆うるせえよ】を思い出しました。
夫に、「こういう、つぶやきまとめをツイッターで見てさ・・」と話しかけたら夫は、畳み掛けるように私に、
「そりゃあ、あんな年になってもまだ引っ張り出されて、その当時の体験を語れだのなんだの、言われてみ?原爆を落とされたんだぞ。人間は、忘れることで生きていくってことができるんだよ。体験を語れるような人ばっかりじゃねえよ。」
「マスコミがこの時期になると、やたら被爆者を崇(あが)めるような感じになって、オレはそれは違うじゃねえかと思う。みんなさんざん、広島もん長崎もん、って言葉で差別したんだぞ」

と、言いました。

それだ、・・と思いました。

私が、【広島】いつまでも原爆原爆うるせえよ【長崎】 に感じた、「それ分かる・・」
という感覚、夫に同意する部分もあります。

『人間は、忘れることで生きていくってことができるんだよ。』
と、夫は言いました。
(重要なことですが夫は、「戦争はダメ」「戦争には反対」という考えです)
テレビ報道で見ただけですが、
原爆の被害者は、昨年になってやっと話したという人もいました。

家族を突然失った時の気持ちや身体の痛みは、私自身が分かるような気がしました。この前の「貧血」の記事で書きましたが私は自分の子をおなかの中で失いました。もちろん、私の子どもの死と原爆で亡くなった人とは違いますが、「その時のことや思いをなかなか表現できない、人に(家族であっても。家族であればなおさら)話せない、というのは似ている(私事ですが、子どものことは夫も私と同じだろうと思う)。


ただし、今まで書いたのは、主題からは離れた部分です。
今日私が主題にしたいのは、「忘れたいこともある」ということではないです。

人間が人間の上に原子爆弾を投下したという、
人類が起こしたことを忘れてはならない、ということです。

【広島】いつまでも原爆原爆うるせえよ【長崎】
には、ある部分で同意するところがあっても、
私は、それではいけないと思っています。

伝え続けないとならない。

【2012年の夏】 被爆の記憶託す 次世代の語り部に養成 広島原爆投下67年  (2012年8月6日 夕刊)

横浜市の中学生が戦争語り部に「死に損ない」の暴言。その真相は?[ はまれぽ.com ]

上の二つについて、私なりの感想や考えたことを書きたいのですが、
明日か数日後くらいに、別にアップします。


(1946年~60年代、)アメリカ・ネバダ州での原爆演習に参加した兵士(当時17歳)の回想---1995年放送のNHKスペシャルより。
2014年08月06日 (水) | 編集 |
こんばんは。深夜の8月6日です。
広島に原爆が落とされた日です・・。
原爆で被曝した人が高齢や病気で亡くなり、
原爆の悲劇が忘れられていってしまうのではないか、という危機感があります。

この前録画しておいて、見たCS放送のHISTORYチャンネル【特集:世界大戦】の、
「NHKスペシャル 映像の世紀 第8回」(元は1995年11月18日放送)から、
内容を一部(1時間半の番組のうち、15分ほど)、書き起こしました。
米ソの核実験の最初の部分と、核実験演習で被曝した米軍兵士の証言です。

=====================ここから。

冒頭のナレーション:
「1950年代から60年代初め、核の脅威に支配された冷戦の時代を描きます。」

■アメリカの最初の水爆実験が、1952年11月1日に行われた。
(中部太平洋のエニウェトク環礁)
■ソ連が初めての水爆実験。1953年8月12日。セミパラチンスク核実験場。

ナレーション:
「核兵器は、”戦争を抑止するための力”、とみなされるようになりました。」
「核兵器を、戦争の抑止力とみる考え方は、核軍拡競争に拍車をかけることになります。」

■アメリカは、ネバダ州の砂漠で、核戦争を想定した実験を繰り返した。

ナレーション:(以下、同)
「この映像は、原爆を使った(アメリカ・ネバダ州での)軍事演習を記録したものです。」

~「塹壕」(ざんごう)に入る大勢の兵士たち~(の映像、以下、同)

「1951年以降、兵士が実際に核爆発にさらされる軍事演習が、
何度も行われました。」

~核爆発(原子爆弾)に備え、壕に入って頭を伏せる兵士たち~
~核爆発が起きる~
※赤い文字は、核爆発の軍事演習参加の兵士証言

爆発の瞬間、あたりは真空状態のように感じられた。
すべてが死に絶えたように、静まり返った。


~まぶしそうな顔をする兵士がいる。画面は、一瞬、真っ白に~

そして、猛烈に明るい光。僕はとっさに、手で目を覆った。

~きのこ雲。
字幕「原爆演習参加兵士の回想 より」~

だがまるで、X線をあびたように、指の骨が白く透けて見えた。
その後、大音響とともに地面が激しく振動した。


~爆風で吹き飛ばされる、飛行機の機体~

耳をふさいでも、轟音が響き、頭が破裂しそうだった。

~(何km先か不明)、きのこ雲を見る、演習参加兵士たち。映像に、衝撃波のような明るい光が地平を走る~

空を見上げると、巨大な火の玉が僕たちのちょうど真上にあった。

~(まぶしいのか)下を向く兵士、手でひさしをくつって空を見上げる兵士、黒いメガネをしている兵士二人~

原爆を知るまで、僕は健康で無邪気な、17歳の若者だった。しかし爆発の瞬間、僕は悪魔の存在を思い、もはや以前の自分ではなくなってしまった。

~爆風を受ける兵士たち~

この世は、死の世界と幸福の世界からできていて、それらは薄い「まく」で隔てられている。僕はその「まく」を突き破り、死の世界をのぞいてしまったのだ。

~壕にいる兵士、かなりの強風を受けている。その後、壕から出る~

爆発の後、僕たちは前進し、強い放射能の中に入っていった。この演習から間もなくして、僕の髪の毛は抜け始めた。

「アメリカの核実験に参加した兵士は、25万人~50万人にのぼると言われます。現在もその多くは、放射線被曝が原因とみられる、何らかの健康問題を抱えています。」

==========================書き起こし、ここまで。

参照:ネバダ核実験場(wikipediaより)
『1951年から1992年にかけて、928回の核実験が行われたことが公表されている。うち、828回は地下核実験である。』、とあります。

私は、アメリカの若い兵士の証言が重要だと思いました。
映像を見ていて、核実験を「演習」するにはあまりにも装備が軽い。
これでいいのかなと思ったけれど、良いわけがないだろう・・。
兵士たちは、放射能の有害性は教えられていないのではないか。
(今ちょっと調べてみましたが、「まるで人体実験のよう」とも)

詳しく書いてあるページが見つかりました。
「戦争を語り継ぐ」というHPの、
アメリカ被爆兵士の告白
というリンク。(HPの管理人様、リンクさせていただきました)
米兵数人の被爆体験の証言が、詳しく書かれてあります。
最初の証言の”指の骨が白く透けて見えた”という部分が、NHKスペシャルの「17歳の兵士」と同じで、「元アメリカ陸軍 ロン・ドラン」さんという人かもしれません。
 実験のあと、私は肺をやられ、胃から出血しました。関節炎、胆嚢の障害、尿路疾患、心臓も悪くなり、発作をおこしたこともあります。あの実験で、モルモットにされた翌日、歯茎から出血しました。2週間後には、歯がぐらぐらし始めて、指で触るとポロっと抜け落ちてしまいました。7本もの歯が抜けました。胃の調子はどんどん悪くなり、大量に出血したため、手術を受けました。胃潰瘍だといわれました。それまでは、どこも悪くなかったんです。
と、書かれています。
(実験場には)羊や豚、牛もいました。とも、あります。
番組では、被爆した後の、毛がチリチリに焦げた羊が映っていました。

NHKスペシャルの映像を見た後に、このHPを発見したのですが、
(NHKスペシャルの番組では語られていませんが、)
塹壕の兵士は爆心地からそんなに離れていない(2kmほどか)ようです。
私が映像を見て『黒いメガネをしている兵士二人』と書いたのは、普通の兵士ではなく、
もしかしたら軍の中でも上級の人、またはマスコミ関係者の可能性もあります。

この証言、「彼らのナマの告白が、アメリカのプロダクションによって、明らかにされた」と、HPの管理人さまが書いているのですが、元の情報源というのが不明ですが、また調べてみます。

今回視聴したNHKスペシャル、冷戦時代の核について取り上げていますが、
米兵を参加させた原爆演習の続きは、第五福竜丸の放射線被曝でした。

(1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行った。
第五福竜丸がビキニ環礁から160kmの場所で、水爆実験に巻き込まれた。
乗組員23人が被曝した。)

【妊娠を考えている女性は、貧血の恐ろしさを認識してほしい】---ハフィントンポスト・2013年5月13日
2014年08月03日 (日) | 編集 |
こんばんは。
5月にチェックしておいたものの、なかなかアップできなかった、
「妊婦さんの貧血について」の記事を紹介します。

【Huffington post SOCIETY(ハフィントン・ポスト 社会)
2014年05月13日投稿(更新: 2014年07月12日)
(寄稿:山本佳奈 滋賀医科大学医学部医学科)】
より。

(Huffington post SOCIETYの利用規約を読んでみたのですが、「転載不可」という記述が見当たらないので、全文転載し、重要だと感じた部分を太字にします。)

以下、全文転載。ここから。===================
日本は「貧血大国」だ――妊娠を考えている女性は、貧血の恐ろしさを認識してほしい

大学に入ったころ、何度か献血に行ったことがある。しかし、一度も献血出来たことがない。ヘモグロビン(以下Hb)濃度が11.0g/dLと、基準を満たさないからだ。当時、「女性は貧血になりやすいから仕方がない」と思い、放置していた。しかし、病院実習が始まり、貧血が妊娠中の胎児に影響するということを耳にし、不安になった。「貧血のまま妊娠したとしたら、妊娠が分かってから貧血の治療を始めたとしても、遅いのではないだろうか」と。

不安に思っていた矢先、ある論文を読んだ。アメリカのハーバード大学の研究者たちが、妊婦と鉄剤に関する論文48報と、妊娠中の貧血に関する論文44報のメタ解析を行ったものだ。妊娠中に鉄剤を服用していた妊婦のHb値は、平均で4.6 g/L高く、貧血リスクが50 %減少していた。さらに驚くべきことに、低出生体重児を出産するリスクは19 %も低かった。一方、妊娠初期から中期にかけて貧血であった妊婦の子どもは深刻だ。低出生体重のリスクが1.29 倍、早産リスクは1.21 倍も上昇していた。

このような状況は、鉄剤の服用量で改善する。
妊婦の鉄摂取量が、1日あたり10 mg増加するごとに、妊娠中の貧血リスクは12 %、低出生体重児出産のリスクは3 %も減り、子供の出生体重は15 gも増加するという(1)。

妊婦の約30~40 %は貧血だ。妊娠すれば、母体だけでなく胎児にも酸素や栄養を与えなければならず、多くの血液が必要となる。当然、鉄の需要も増大する。しかし、「つわり」がおこると、食事がとれなくなる。鉄摂取が不足し、体内に備蓄されていた鉄が減るため、貧血となる。また、妊娠中は分娩時の多量出血に備え、血漿量が最大47 %増加し、赤血球は17 %増える。相対的に、血漿の方が赤血球よりも増加するため、血液中に占める赤血球の割合が低下する。血液が薄まり、貧血は更に悪化する。

妊婦の貧血を緩和するには鉄を補充するしかない。重症の場合、医師が処方する鉄剤を服用する。その一つにフェロミア錠がある。この薬剤には、1錠あたり鉄50 mgが含まれている。1日2~4錠(100~200 mg)を、1~2回に分けて服用する。鉄剤は吐き気をもよおす。つわりに悩む妊婦が、我慢して飲むことが多い。

ところが、何とか鉄剤を飲んでも、問題は解決しないことがある。それは、鉄剤の服用を開始してから、貧血が改善するまでに1-2ヶ月を要するからだ。妊娠が分かるのは、通常、妊娠6週くらいである。この時点で、すぐに鉄剤を始めても、妊娠10週程度にならないと貧血は改善しない。

実は、この時期こそ、胎児の発達に重要だ。それは、妊娠3~8週に、循環器系・呼吸器系・消化器系・神経系が形成され、妊娠8~11週に実際に臓器が働き始めるからだ。
妊娠が分かった時点で、すぐに鉄剤を始めても間に合わないことになる。

どうすれば、いいだろうか。結局、妊娠前から貧血に注意するしかない。ところが、このことは、驚くほど認識されていない。そもそも、妊娠可能年齢の女性は、月経により鉄を失い、貧血になりやすい。また、無理なダイエットにより、鉄摂取は不足しがちだ。例えば、コンビニで売られている幕の内弁当には、一食約3.0 mg 程度の鉄しか含まれない。この年代の女性の、1日の鉄の必要量は12 mg 、妊婦では20 mg となる。1日3食すべてを外食で済ませれば、鉄は不足する。まして、体型や体重を気にする女性が、毎食コンビニ弁当を残さずに食べるとは思えない。さらに事態は深刻だ。

実は、我が国は「貧血大国」だ。我が国の妊婦の30-40%が貧血だが、これは先進国の平均である18%とは比較にならず、発展途上国の56%に近い。妊娠していない状態でも、50 歳未満の日本人女性の22.3 % はHb値が12g/dL 未満であり、25.2 % はHb 値が10g/dL 未満の重度の貧血であったという報告がある(2)。このように考えれば、貧血は大きな公衆衛生学的問題だ。

では、どうすればいいのだろう。世界各国では、鉄欠乏を改善するために、様々な対策がとられている。例えば、中国・ベトナム・タイでは、鉄を添加した醤油を学校給食に積極的に使用することが推奨されている。また、米国などでは、小麦粉・とうもろこし粉・砂糖・食塩・シリアルなどに、鉄を添加している。米国でよく摂取されているシリアルには、一食分(30 g)あたり1.4 mgの鉄が含まれている。
 
一方、日本では、このような対策は全く採られていない。あくまで、個人の意志に委ねられている。知人の29歳の女性は、「子供はいつ授かってもいいと思っているが、特に貧血について意識したことや考えたことはない」という。おそらく、これが若年女性の平均的な認識だろう。こんなことでいいのだろうか。

特に私が貧血の重要性を伝えたいのは、妊娠を考えている20-30代の女性だ。労働力不足に悩む我が国では、今後も女性の社会進出が進む。ある程度、高齢出産が増えるのは避けられない。2008 年の「国民衛生の動向」によると、第一子の出産年齢は30歳以上が44%だ。35 歳以上は11.7 %にも及ぶ。高齢出産は一定のリスクを負う。健康な赤ちゃんを産むため、彼らは懸命だ。

ところが、我が国では、この問題に適切な対応をとっているとは言いがたい。私は、妊娠を考えている女性に、貧血の恐ろしさについて、正しく認識してほしい。妊娠してから治療したとしても、お腹の中の赤ちゃんに多大な影響を与えるということ、知ってほしい。自分の鉄の不足程度を把握し、一刻も早く治療を開始し、貧血を治してほしい。そして、健康で元気な赤ちゃんを産んでほしい。生まれてくる赤ちゃんのためにも、自分のためにも、貧血の重大さを認識する女性が一人でも多くなることを、一人の医学生として、そして一人の女性として期待したい。

(1)Haider BA1 et al.(2013). Anemia,prenatal iron use,and risk of adverse pregnancy outcomes : systematic review and meta-analysis. BMJ,346,3443.
(2)Eiji Kusumi et al.(2006). Prevalence of Anemia among Healthy Women in 2 Metropolitan Areas of Japan. International Journal of HEMATOLOGY,84,217-219.

=============転載ここまで。

日本では、女性の貧血の割合が高い、ということを筆者(山本さん)は指摘しています。
そして、
「日本では、このような対策は全く採られていない。あくまで、個人の意志に委ねられている。」とありますが、そういう現状だと私も感じています。
妊娠して病院に定期健診に出かけるようになって、貧血だという結果が出た場合、
現在は、病院では医師は何か治療を施す(鉄剤の投薬)のでしょうか。
それよりも、筆者は、
妊娠する以前に貧血にならないことが大事、と言っています。


私の場合。
20歳のときに、勤めていた会社で献血車が来て、献血をしようと思いました。
しかし、「血中の鉄分が低い」と言われ、献血ができませんでした。
そんなに深刻には考えていませんでした。

そして、27歳のときに妊娠しました。産婦人科では血液検査などはせず、
(生殖器の一部に異常がみられたので開腹手術・出血はほとんど無し)、
経過だけ見ていきました。
不幸にもその後、私は28週で死産してしまいました。
(胎児に異常があった可能性が高く、そのことが原因と思われます)
特にお話したいのは、その時(その後)のことです。
胎盤が癒着してしまっていたので、出産時にかなり出血しました。
自分でも、血がたくさん出ているのが分かりました。
その日の夜、私はトイレに起きた時に猛烈な吐き気をもよおし、
スーッと目の前が暗くなり、チカチカする感じになり、
周りの物をなぎ倒して倒れこみました。何とか、ベッドに戻りました。
同室の人が、「大丈夫?」と心配してくれました。
貧血なのかな、程度くらいにしか思っていませんでした。
(重要だとは思わなかったので、医師には話しませんでした)
その後の医師の回診も、退院時にも、血液検査はされませんでした。

私はその時に、今思うと、ですが、相当な貧血に陥っていたものと思われます。
(死産の1年3ヵ月後にまた妊娠しましたが、5週目で流産しました。
原因は不明です)
一度目の妊娠中に手術しているので、
腫瘍マーカーには神経質になっていたものの、貧血のことはまったく頭にありませんでした。
あれだけの出血だったので、貧血が治っていなかったのではないかと思います。
今考えると、二度目の妊娠の前に、自分が貧血かどうかを、
医師に尋ねるべきでした。医師は、何も言いませんでした。
(※書き忘れました。追記です。)
二度目の妊娠中、また生殖器の一部に異常が見つかりました。
医師が様子を見ると言っているうちに流産してしまったので、
その時は手術はしませんでした。ですがその5年後、異常は放っておけなくなり、
手術することになりました。(別の医院の医師に診察してもらうことに)
そして血液検査を受けたのですが、私のヘモグロビン濃度は、およそ「8」で、
見た目にも、試験管の中の血液は透き通っていました。
かなりの貧血で(女性の正常値:12.0~15.0g/dl)、
医師には、「こんなに貧血がひどいと手術できない」と言われ、
鉄剤を処方されて1ヶ月服薬し、やっと正常値になりました。
さきほど、『今思うと、相当な貧血に陥っていたと思う』と書きましたが、
その間5年、おそらくずっと、貧血だったと思われます。


長くなってしまいました。

妊娠を希望する女性に。いえ、希望しなくても。
月経があるとどうしても、貧血になりやすいです。
貧血になると、妊娠した時に自身の体や赤ちゃんに影響があるだけでなく、
妊娠しなくても、生活の質も低下すると思います。
ご自身の身体に気をつけて、
何かのきっかけで血液検査をしたときには、
医師に嫌な顔をされるかどうかとか考えず、
「ヘモグロビンはどうですか」と聞いてください。
何かのきっかけで検査する機会が無くても、
(無職の人はなかなか、検診に行く機会がないです)
どうか、貧血には気をつけてください。