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ブログを書きたいのですが
2012年10月26日 (金) | 編集 |
おはようございます。
コメントのお返事をまずしないと、と気になっているのですが、私は今とても体調を崩してしまい、できないです。
あと、記事も下書きをしていたり、「これは」と思い、書きたい記事もあるのですが、更新できません。もうしばらく、お待ちください。
ツイッターでは、少しツイートします。
右下のバーに、私のつぶやきがあります。

(夜です。ここに書いたどうでもいいグチは削除しました)

では。 I'll be back. (また戻ります)



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富士山、秋らしい雪化粧姿です。
2012年10月20日 (土) | 編集 |
きのうの午後4時半ごろ、山梨県内某所から、ケータイで撮影。
あまりはっきり映っていないのですが、クリックすると少し拡大します。



この場所から見ると、富士山の裾野の辺りが山に隠れてしまっていますが、
ネットでアップされた写真で見ると、
実際は、くっきり、雪をかぶった山頂と下の部分が分かれています。

この方の写真、とてもきれいに撮れています。
http://t.co/uXjeHF0b

寒くなってきましたね。空気も乾燥して、日中は気持ちよい風が吹いています。



もしも「仇討ち制度」が復活したら
2012年10月18日 (木) | 編集 |
滝実法務大臣就任中、二回目の死刑執行12/09/28
死刑執行について書いたブログ記事について。12/10/01

これらのブログ記事の、続きを。

いつだったか、死刑制度の話を書いたときに、
「死刑の問題と量刑の問題とがごちゃまぜになっていることが混乱を招いているように思います。」(原文のままです)
というコメントをいただいたことがありますが、
今日は、そういうことはおいておきます。
死刑制度反対(今日は、そのものについては、書きません)の記事を書くと、
他のブログで取り上げている時や、2ちゃんねる等の掲示板でも散見しますが、
必ず出てくるのが、
「もしも自分の家族が殺されたら、犯人を殺したいと思う」
「もし自分が、遺族の立場でだったら、到底許せるものではない」
「もしも遺族ならば、自分でぶっ殺したい」
そんなような言葉です。

そういう気持ちは理解できなくもないのですが、私はやはり、自分自身の家族がそうなってみないと、他人のそういう言葉を見ていても、聞いても、本当の意味では、「そういう気持ちは分からない。いざとなったらそう思うかもしれないけど、『犯人をぶっ殺す』まではいかない」、としか、言いようがないです。

なぜ、「死刑制度の問題」(特に、制度存続に賛成ではなく反対の意見を表明した場合)で、
「もしも自分の遺族が殺されたら・・」というフレーズが出てくるのか、と、
9月28日に記事を書いて、それについていただいたコメントを読んで、その他に掲示板や他の人のブログも見たり、それ以来ずっと、考えてきました。なぜそういう人が多いのか、と。

自分一人で考えていても、ずっと、「もしも自分の家族が」「自分が遺族になった場合」と言う人の気持ちが、理解できないんですね。ずっと、です。考えていました。

一人で考えていても、同じところばかりを廻ってしまいます。

私の話はいつも暗くなりがちで、それに死刑のこととなると、その話題がテレビで流れている状態でもないと、夫には聞きにくい、と思いましたが、きのう、夜ご飯を食べている時に、「一般的に考えて、だよ」という断りを入れて、
自分がブログに書いた、
滝実前法務大臣のブログ記事やそれに続く記事への反応の話をしました。
そして、「ネットの掲示板や質問箱みたいなのでも、『死刑廃止論者の人って、自分の家族が殺されても死刑にしろって言わないのかね』、っていうのが出てくるんだけど・・。それに、『自分だったらぶっ殺す』という人もいるけど、こういうのはどう思う?」と私は夫に話しかけて(夫は、「人を殺せば、死刑でしょ」とよく言います。要するに死刑制度存続派だと私は見ているが)、そこで、思い切って、「大昔の『仇討ち制度』を復活させる」、ってのは、どう?」と、聞いてみました。

夫の、第一声。「仇討ち制度、あった方がいいと思うよ」
私は、とにかく人の意見が聞きたかったので、「うーん、そうか」(死刑制度存続派の夫のことだ、やっぱり、とは思った)と返事をしました。
さらに、夫。「でも、ただの『仇討ち制度賛成』、じゃない」 と言うのです。
私は、「それって、どういうことだろう?」と、さらに聞いてみました。

ここからは、夫が、私に話した内容です。

----------------

仇討ち制度っていうのは、遺族が、家族を殺した犯人を殺す、ってことでしょ。
だから、そういう制度があったら「犯人を殺す権利が与えられた」、ってわけ。
で、犯人を目の前にして、日本刀だののこぎりだの、チェーンソーだの、何でもいいから殺していい、ってことでしょ。
でも、実際にいざ、「さあ、殺していいですよ。権利なんだから」と言われて、殺せる人間っているか?
もしかしたら、被害者に猟奇的なことをしてよほど頭にきた場合は躊躇なく殺す、ってこともあるかもしれないけど、オレは、だいたいの人間は、そんなことは出来ないと思う。
で、殺したら殺したで、今度は、自分が殺人犯と同じ立場になるわけ。
自分はあいつを殺した殺した、ってなって、夜も眠れない日が続くわ。
家族を殺した犯人を自分が殺したはいいけど、今度は罪悪感にさいなまれるようになるんじゃない?自殺する人だっているかもしれん。
そういうことじゃん。
だから、オレは、一度そういう制度を作ってみたらいいと思う。
だからオレは、死刑反対論者が出てきた時にそれに対抗して、「じゃあ自分の家族が殺されても死刑反対なのかよ」とか、反射的に言ってるわけじゃない。
命には命ってそういうこんだろ(ことでしょ)。

----------------------

上の夫の話は、「ちょっともう一回ゆっくり言って」とメモを取りながら、
内容はほぼそのまま、私がつなげて書き起こした文章です。
(昔の「仇討ち」に言及している部分が正確ではないかもしれない)

想像以上に、夫が死刑制度について、
私よりもずっと真剣で具体的に考えているなぁ、と、驚きました。

重い話、暗い話ではありますが、避けては通れない、と、
自分では思っています。また、続きを書きます。


原発廃材がフライパンになるとはどういうことか。
2012年10月18日 (木) | 編集 |
きのうの夜だったと思います。ツイッターで知った情報で、
びっくりです。




参照:「安全な食ものネットワーク Alter[オルター]」
http://alter.gr.jp/Preview.aspx?id=3013&cls= …
  ↓問題点が詳しく載っています。
放射性廃棄物スソ切り問題連絡会
昨年の12月施行ですから、もう10ヶ月が経っています。


「スソ切り」は、福島原発事故以前からありました。
(2005年から。「クリアランス制度」)
放射性廃棄物スソきり処分の現状と問題点 (原子力資料情報室通信2010年12月号掲載記事)

上記リンクより、一部転載。ここから。
-------------------------
廃炉スソ切りの実施状況

廃炉解体が進められている日本原電の東海原発で、2007年からスソきり処分が実施されている。2010年10月末段階で約130トンの原発廃材からブロック616個、ベンチ28脚、テーブル10台、遮へい体79体などが鋳造され、電力会社などで再利用されている。

スソきり処分したものは放射性廃棄物ではないとされ、法的には何に再利用しようが自由で、表示の義務付けもない。しかし、法案の国会審議で電気事業連合会は、「制度が定着するまでの間、事業者が自主的に搬出ルートを把握し、業界内で再生利用」すると約束したため、再利用先が限られている。

とはいえ各地のPR館に設置されたベンチなどは、一般人も座ることができ、業界内利用と言えるのか疑問である。

------------------------------------転載ここまで。

電力会社の中とはいえ、ベンチやテーブルなど、人間が直接使う物に、
原発から出た廃棄物が使用されています。
しかしこの段階(2010年12月)では、
電気事業連合会の国会での約束は「制度が 定着するまでの間」という条件付きである。そこで法的には制度化されたが、社会的に定着させなければ、原発廃材がフライパンになることはない。
とありますが、昨年5月に法律改正がされ、12月には施行され、
現在は、そうではなくなっています。

参照:YouTube 2010年3月8日 「原発廃材でフライパン?」
この動画は分かりやすい説明だと思いました。


問題は、「クリアランス制度」のようです。
少し難しく、私にはうまく説明できないので、分かりやすくまとめてあるサイトを紹介。

ブログ:【ざまぁみやがれい!】2011年08月07日「小出裕章氏言及『クリアランス制度』で電力会社ウハウハ!汚染ゴミ拡散&廃炉費用負担90%カット!」

上記リンクより、一部転載。ここから。
====================================

クリアランス制度

運転中・解体中に発生する廃棄物の中には、安全上「放射性物質として扱う必要のないもの」も含まれていました。これらのものについては、放射能を測定し安全であることを確認し、国のチェックを受けた後、再利用できるものはリサイクルし、できないものは産業廃棄物として処分することとしています。この制度がクリアランス制度です。

クリアランス制度に基づき、放射性物質として扱う必要の区分をする放射能レベルを、「クリアランスレベル」といいます。

クリアランスレベルは、さまざまな事例を想定した計算結果から、金属やコンクリートが、どのように再利用されても、また廃棄物として埋め立てられたとして も、それらに起因する放射線からの人体への影響は無視できるレベルとして、それに起因する身体への影響が1年間あたり0.01ミリシーベルト以下としてい ます。また、この値は自然界からうける影響の200分の1以下であり、国際的に認められています。

(※「(引用元:クリアランス制度 - 原子力発電所の廃止措置 | 電気事業連合会【でんきの情報広場】」とあります。)

============================転載ここまで。


日常生活品のあらゆるものに、低濃度(これは、自分でもよく資料を見てみないと「どのくらいか」というのが把握できない)の放射性物質が練りこまれてしまうということなので、
深刻だと思いますが、とはいえ、こうなるともう、何をどうしたらいいのか、
分からないという気もしてきます。
鍋を新しく購入する時に、売り場にガイガーカウンター持って行けばいいのかどうか。



あともう一つ、詳しく読んでいないのですが、
ツイッターで気になってログを取っておいたので、リンクを。

低気温のエクスタシーbyはなゆー: 文科省「放射能で汚染された土壌や廃棄物は放射線障害防止法の対象外」

==========================

追記:
私は2週間くらい前にテレビのニュース番組で見たのですが、韓国でも原発廃材をリサイクルして材料として建築物などに使っていて、「道路から空間放射線量0.3μSv/h以上が検出され、問題となっている」と伝えていました。
問題の道路の近所の住民は、「放射能が検出されるなんて知っていたら、ここには住まなかったよ」・・・(正確ではないですが)こんなようなことを記者に話していました。



ブログ
2012年10月13日 (土) | 編集 |
もしかしたらブログを終わるかも?という方がいて、気になっていたのですが、まさか、他の人のことよりも自分がこういう気分に一気になるとは思いもしませんでした。果たして、ブログを続けることに意義があるんだろうかな?的に。  あまり思い詰めているわけでも考えているわけでもなく、 ただ単に疲れたというのもありますが、私は自分のブログに「最終目標」または「目的」があるわけではなく、ただ自分が知って他の人が知らないかもという事柄を、「ちょっと、聞いて」といった感覚で書いてきたのですが、それでいいのかね?とも、最近ふと思いました。私の個人としての見解…そういう類のブログはネット上には溢れていて、「自分がやらなくてもいいんじゃないか」、のような。   「ブログの存在意義」で検索したら、人間の存在意義 とか企業の存在意義 などが表示されました。○○の存在意義、考えようと思えば、たくさん。ちょっと、苦笑。一休みしてまたダラダラ続けるか。さてどうするか。 絵文字入れてしまった。携帯からアップ(初めて)です。

マスキングテープで作ってみよう
2012年10月05日 (金) | 編集 |
きのうの朝、NHKの「おはよう日本」か「あさイチ」かどちらかで、
岡山の特産物特集を放送していました。

岡山県はジーンズ(今は「デニム」なんですね。(しかも語尾))の特産地だそうで、
街中で売っているごく普通のジーンズとはまた違う、デザインの凝ったカラーデニムも、
紹介されていました。
そして、運転手さんがデニムを履いて、座席の布もデニムという、
「ジーンズバス」が走っていました。
(全然関係ないですが、大昔(私が子どもの頃は「ストレッチ」ではなく、
「のびのびジーンズ」というのが売られていたような))

岡山特集、私が気になったのは「帆布」で出来た、バッグや小物です。
これなら岡山に行かなくてもネットで買えるかな。
値段も手ごろで、かわいい物が多かったです。

そして、マスキングテープも岡山で生産されているのだとか。
台湾から来たという女性客は、お店で5本ほど手に持って、
「友達から、マスキングテープ買ってきて」と頼まれた、と言っていました。
(マスキングテープ=マステ、と略すのですね)

私は、「大間のあさこさん」にハガキを出そうとして、
どういう絵柄にしようかと悩んでいました。
「うーん。自分で絵を描こうとすると、どうしてこうも固まるか・・」
と思っていたところへ、NHKの岡山特集・マステが。

あるじゃん・・・。私持ってるじゃん。
そう。姪っ子たちに何かちょっとしたものをあげる時用に、と、
文房具屋さんで買っておいたものです。
キリンの絵柄と星柄、交互に貼ってみましたが、これだけで、かわいいな。

きのうは間に合わず、今日のお昼前、ポストに投函しました。



映っているPC画面は「あさこはうす応援サイト」のページです。
(右上に、私のHNとツイッターアカウントが映りこんでいます)



トラックバックテーマ 第1520回「今の時期、長袖?半袖?」
2012年10月02日 (火) | 編集 |


トラックバックテーマ 第1520回「今の時期、長袖?半袖?」



こんばんは。

今年の9月の平均気温は、過去最高になったところが多いようです。

8月、お盆の前後だったかな。ちょっと涼しくなったと感じるようになったら、
また、暑さぶり返し・・その後、9月になったら少し暑さが収まるかと思えば、
ずっと32度くらいの日が続き、
そして、もう10月はさすがにいいだろうと思ったら、
きのうは甲府で30.0度で、我が家のあたりでも、同じくらいの気温でした。
しかもきのうは、夜になっても蒸し暑く、頭はぼやーんとしてしまうし、
寝苦しかったです。
今日は、きのうよりは、いいかな。

でもまた、フィリピンの方に台風が出来ていますね。
「秋だわ~」というひやっとした寒さに、なかなか、ならないです。

前置きが長かったですが、私は今日は、七分袖にしようか長袖か、迷いました。
結局、長袖の薄地のシャツを着ています。
急に寒くなると、朝晩は寒いけれど、昼間暖かい、という風になって、
出かける時など、服装に悩んでしまいますね。
7日の日曜日は、上の姪っ子の運動会なので、何を着て行こうかと悩みます。
去年は、10月8日か9日でしたが、薄いコートを着ていったら、暑かったです。



死刑執行について書いたブログ記事について。
2012年10月01日 (月) | 編集 |
この前、死刑について記事を書いたのですが、それは、二人の死刑囚に死刑が執行されたからです。あまり、家族との日常会話でも死刑に関して話をするということはありません。
そして、ニュースでもスポーツや中国のデモのことなどは伝えても、死刑のことはほとんど伝えられていないです。
死刑制度に反対している私としては、自分のブログに書かないと、という思いでした。

しかし・・・
『とにかく反対アリきの考えの人には、伝わるのかも
しれませんが、たぶん、そうじゃない人が読むと、
感情的に反対なのか、論理的に反対なのか、
一方的かつ、中途半端な印象を受けます。 』(※鍵コメントです。一部分)
という指摘をされ、
いただいたコメントがきっかけで、
一晩二晩考えて、「自分は、死刑制度について、ブログを書くということによってそれを≪消費≫していないだろうか」と、わが身を振り返ってみました。

確かに、9月27日の死刑執行についての私の記事は中途半端過ぎて、
これではブログ記事の体を成していないのではないかと、いただいたコメントの内容とは関係なく、今日、自分でよく考えてみて思ったわけです。

そして、ictkofuさんからのコメント、『「死刑」は残したまま「終身刑」を法制化する。
そういうシステムの変更から始めるのがよいだろうと思っています。 』
ですが、そういうことも考えたことはなかったです。

リンク先のブログ「村野瀬玲奈の秘書課広報室」の”死刑FAQ”のリンク先ブログより、
終身刑と死刑の両方の刑がある国のデータを載せているブログがあったので、紹介。
(刑罰のデータ(刑期も含め)、全部で8カ国です)

「学問の部屋」終身刑関連データ #死刑廃止21
2008年6月の記事です。詳細はリンク先をクリックしてください。

『とにかく反対アリきの考えの人には、伝わるのかも
しれませんが、』という指摘、そして、
ictkofuさんの『死刑存続か廃止かという二者択一論を私は避けます。』というコメント、
・・・私が「自分は反省しないとならない」と思ったのは、その部分です。

その思いからつながり、ここで紹介するのは、以下のブログ記事です。
「死刑――存廃を問う前に」(第1回):死刑制度に疑問投げかける被害者遺族(東京新聞3月23日付「こちら特報部」より)
『死刑制度存置に疑問を投げかける被害者遺族である、原田正治さんのインタビュー記事です。』とあります。
原田さんは弟を殺され、最初は「極刑を望み」ます。しかし死刑囚とやり取りするうちに、「長谷川君を死刑にしないで」と上申書を提出しました。詳しくは、リンク先をお読みになってください。


そして、いただいたコメントに私が返信した内容の一部分、訂正したい部分があります。

うごさんの9月29日のコメント
『現在、死刑が
国の最高の厳罰として、認められているならば、
国の上級の責任者が、それらを行うべきだと私は思います。』
に対して私は、
『そうですね。それは私も、同感です。 』
と返信しました。

もう一度、他の人のブログ等を見ながらよく考えてみました。
(以下は、他の人の考えの影響を受け過ぎとか、そういうことではないです、
「気がついた」ということ)

しかし私は忘れていた(本当に忘れていた・正直に言うと)のですが、
「国の上級者」(法務大臣)は、国民が選んだので、
国民は(私も)、死刑執行のボタンを押すのを他人に任せてそれで終わり、では済まない、
ということです。
条件反射・延髄反射的に「そうですね」と私は答えていたわけですが、
それではいけない。
死刑執行は法務省に任せて、刑務官かわいそうと言っているだけでは、
やっぱりどこか他人事なのだと、私は考え直し、
訂正します。

なので、
『現在、死刑が
国の最高の厳罰として、認められているならば、
国の上級の責任者が、それらを行うべきだと私は思います。』

への答えですが、

それでは国民が自分の頭で考えずに、死刑囚となった人の処遇を法務大臣に投げている、
ということになってしまうので、
私は、そういう考えは認められない。


へ、訂正します。


---------------------------------

あとは・・・私は死刑問題を、制度というのもありますが、
「生と死の問題」とも考えている部分は大いにあります。

殺すとか殺されるとか、動物の世界では日常ですが(獲物を狩って食べるとか)、
人間はそうではないです。

私は子どもはいないですが、私の姪っ子は大きくなってきて(上の子は今5歳)、何かにつけて「何で?」「何で?」と、大人に聞くんですよね・・。

今年3月に、散歩を兼ねて妹の家の近くの商店に買い物に行った時に、道端に犬の糞が落ちていて、
姪っ子は「うんちだー」と言いました。で、妹が「ああ・・・こういうのは、ちゃんと片つけないとダメだよね」と言うと、姪っ子は「何で?」と聞きます。
妹:「それはねぇ、だって、うんちが道にそのままになってたら、通る人が踏んじゃうでしょ。だから片付けないとね」 姪っ子:「何で?」 妹:「それはねぇ、ちゃんと片つけるっていうのは常識なの」
という具合の会話です。
私は、妹の「常識なの」という言い方にはやや苦笑しましたが、二人育てていて夫も仕事からの帰りが遅くて忙しいとなると、余裕がなくなってしまうんだなと思い、そう答えてしまうのもわかるなぁと感じました。

姪っ子は犬の糞をなぜ片つけないとならないかということを、私にも「何で?」と聞きました。私は妹に倣って「だから・・踏んづけちゃうから」と言おうとして、でもそれで「何で?」って聞いたんだよなと思い(大人には「犬の糞を片つけるのは当たり前」(中にはそうじゃない人もいるけど)のことだから思考停止になって説明ができないのか)、「ううんと・・何でだろうね?・・」と、姪っ子に聞き返してしまいました。姪っ子は、ニコニコしていましたが、
「何で?」と言われて、小さい子だからと流さずに一人の人間として返事しないとなぁ・・と思ったら、答えに詰まってごまかして「何でだろうね?」などと言ってしまったのですが
いい加減に返事をすると、子どもには、それが伝わるというか・・・。

動物界で、殺す→仇討ちまたは復讐ってあり得ないよなぁ。
じゃあ、人間は?昔はあったけど、とか、そういう話をするのだろうか。
人を殺せば殺し返していいのか、とかそういう話になるのだろうか。

うーん。
とりあえず、寝ます。おやすみなさい。