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ミヤコワスレ
2012年05月31日 (木) | 編集 |
ミヤコワスレ
(クリックで拡大します)

「ミヤコワスレ」という花です。
撮影したのは、今月中旬くらいです。

ミヤコワスレは、五株くらい、続いて生えています。
向こうの家の東側に。

-------------
キク科 多年草
原産地 日本
草丈 15~40センチ
花期 4~5月
花色 紫の濃淡、青、赤紫、白、ピンク
-------------
「花言葉事典」より。
ミヤコワスレの花言葉は、「しばしの憩い」「別れ」「短い恋」だそうです。
なんか、さみしいな・・と思って、他でも探しました。
花言葉ラボだと、
「また会う日まで しばしの別れ しばしの憩い、しばしの慰め」
だそうです。

「花言葉の贈り物@花言葉が届けるあなたの想い」
ミヤコワスレ(都忘れ)の花言葉(花ことば、はなことば)より。
『これは承久の変で佐渡に流された順徳上皇が詠んだ歌だが、都への切ない想いを感じさせるこの歌が名前の由来となったという説がある。』
ということです。
「切ない想い」とは裏腹に、可愛らしいというか可憐な感じもする花です。
(リンク先には、白いミヤコワスレもあります)


母が大事にしていた花です。
母は、大腸がんが2009年夏に転移していることが分かりましたが、
この年の夏はまだ、花の手入れもどうにか出来ていました。
次の年は、痛みや抗がん剤の副作用の吐き気やだるさで、その余裕はなくなりました。
私も、たまにしか草を取れませんでした。
母の闘病中、
「私はサボテンも水やり忘れるし、お母さんのジャーマンアイリスの辺も、
ミヤコワスレの辺も草ぼうぼうになって、だめにしちゃうかも」
と言ったことがありました。
母は、投げやりとかそんな風ではなく、私に、
「いいよいいよ、もう花なんか。いいんだよ」と言いました。

ひと夏経って、翌年1月母が亡くなり、早春。
ふと見ると、まだまだ元気なミヤコワスレがありました。
雑草に覆われていたのに、生き残っていました。

結局私は・・・
ミヤコワスレも、菖蒲(あやめ)も、周辺を草取りして枯らさずにいます。
なんでこんなことしているんだろう。面倒くさがりの私が。不思議です。


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マガジン9より。~雨宮処凛がゆく!~『第229回札幌姉妹「孤立死」事件。の巻 』
2012年05月28日 (月) | 編集 |
「憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン」
マガジン9(トップページ)
~雨宮処凛がゆく!~(←ココをクリックするとリンク先に飛びます)
第229回札幌姉妹「孤立死」事件。の巻


より一部転載、引用させていただきます。

転載ここから。==========================

 5月15〜17日まで、「全国『餓死』『孤立死』問題調査団」に同行して、北海道に行ってきた。

 今年1月、札幌・白石区のマンションで姉妹が遺体で発見された事件や、相次ぐ餓死・孤立死(今年に入って私が把握しているだけで23人が亡くなっている)をなんとかしようと結成された調査団だ。
(中略)
 この事件、発覚当初から私にとっては「他人事ではない」という思いが強かった。亡くなっていたのは42歳の姉と、知的障害のある40歳の妹。そんな二人の出身地は、私の地元である北海道滝川市。同郷の人であり、妹さんとは年も3つしか違わない。しかも、お姉さんが働いていたのは私もよく知る滝川のデパート。数年前、その店が倒産したことが地元民の間では大きな話題となったのだが、それがきっかけで滝川では暮らしていけなくなったようで姉は札幌に出て働き始め、それから数年後の今年、遺体で発見されたのである。

(写真)※雨宮さんの言葉:二人の遺体が発見されたマンション。普通にきれいなとこなのがさらにショックです・・・
(中略)
 この事件には、大きな問題がある。それはお姉さんが3度にわたって白石区に生活保護の相談に訪れていたものの、申請には至らなかったということだ。

 現地調査に行って目にしたお姉さんの「面接受付表」からは、生活がどんどん逼迫していく様子がありありと滲み出ていて、「どうしてこれで生活保護を受けられなかったのか」と気が遠くなる思いがした。3度目の昨年6月には、家賃も滞納し、生命保険も解約。そんな中でも、お姉さんはこちらが驚くほど懸命に仕事を探していた。しかし、友人などの証言によると、ずっと体調が悪く、めまいや吐き気を訴え、物忘れがひどくなっていたそうだ。そんな状態なので、仕事が見つかっても続けることができない。病院に行きたくても、既に国民健康保険は未加入状態となっている。現金も残りわずか。厳しい状況の中、二人は主に妹さんの障害年金(ひと月で6万円ちょっと)を頼りに暮らしていたようだが、それではとても生活できない。そんな状況にある姉妹に対して、3度も相談を受けた白石区はどう対応したのか。面接受付票には、「高額家賃について教示。保護の要件である、懸命なる求職活動を伝えた」の言葉が何度か登場する。二人が住んでいたマンションの家賃は、生活保護で定められた住宅扶助の額より少し高かった。しかし、その場合も、家賃が数千円高いからといって生活保護が受けられないということはない。また、「懸命なる求職活動」は実際にしていたし、それは「保護の要件」では決してない。二人の収入はどう見たって最低生活費を下回っているのだから、保護が必要な状況だ。しかも、かなり切迫している。受付票から想像できるのは、「家賃が高いから引っ越さないと生活保護は受けられない」「もっと頑張って仕事を探さないと受けられない」などと誤った情報を与え、それによってお姉さんに「私は生活保護を受けられないのだ」と思わせた、ということだ。


16日、調査団と白石区の話し合いが持たれた。実際に面談にあたった人は現れず、その上司が数人、話し合いの場に姿を見せた。調査団の質問に対し、白石区保健福祉部の課長は、(面談した)本人は記憶がないと言っている」と何度も繰り返した。これほどの事件に発展し、テレビなどでは二人の顔写真も流れているというのに、覚えていないというのだ。また、面談した本人には聞き取りをしたものの、その記録も残っていないのだという。

転載ここまで。=============================(下線・太字は私)


お笑い芸人の「次長課長」の河本さんが、現在高収入であるにもかかわらず、親に生活保護を受けさせていたのが「不正」として、週刊誌が取り上げたのを発端に、片山さつき議員が加わって、片山さんは「河本さんは不正受給だ」として追及して、ついに河本氏が「謝罪会見」まで開く羽目になってしまった。
報道(河本バッシング?)があまりにも過熱しすぎてしまい、河本氏は今後の自分の芸能の活動ためにも、そうせざるを得なかったのだろう。
国会議員がなぜ、一般国民を名指しで追及するのか、
というのと、
それだと、「困窮した家族の面倒をみるのは、家族である」ということになってしまい、更に生活保護費を切り詰めるとなると、もう、ほとんどおにぎり一個が続いて死ぬ手前じゃないと保護受けられない、その場合でも疎遠だった親族がもしいたりしたら、その人に頼みなさい、という理由で窓口で追い返されてしまう。そんな場合、家族同士でもいろいろ事情があるし、ためらっているか、または「絶対に頼れない」ということは十分にある。

私の家族は(夫は)きのう、昼のバラエティー番組を見ながら「河本は不正受給に決まってるじゃん」と言っていました。
「不正」じゃないよ、と私が問い詰めると、夫は、
「河本が貧乏じゃなくなって売れてお金が入ってきたのに、そのまま母ちゃんに生活保護受けさせてたのは、おかしい。」
と言う。
ということは、「子どもが親を養うのは当然」という帰結になる。
これだけ生活保護を必要とする人が多くなっているのは、高齢者は年金だけで生活できなくなっているということだし、年金制度がもう使い物にならなくなりかけているのだと思う。
それに、生活保護を受けるのを「恥」だと思っている人は、「親(子供)が子供(親)を養うのは、無理をしてでも若ければ頑張って職を見つけて、できれば保護を受けないのが当然」というふうに考えがちではないだろうか。
札幌の姉妹孤立死事件は、もう少しで保護にたどり着きそうだったのに、『受付票から想像できるのは、「家賃が高いから引っ越さないと生活保護は受けられない」「もっと頑張って仕事を探さないと受けられない」などと誤った情報を与え、それによってお姉さんに「私は生活保護を受けられないのだ」と思わせた、ということだ。 』ということで、そこで姉妹の命綱が切れてしまった。
生活保護を受けるのは恥ではない、という風にならなければどんどん命は失われる。

最低賃金も低いし年金額も低いし、そのあたりから考え直さなくてはならない。
国民が国民をバッシングするのもよくない。
例えば、このツイート『仕事もしないでゴロゴロしパチンコしてても金が貰え税金免除で病院も無料の制度はオカシイ!ワーキングプアな人々はストレスに耐え我が身を削って働いて働いて税金とられ病気でも病院にも行けないのにね!』のように。

時間が無いです。またあとで修正するかもしれないです。
(※29日朝、誤字訂正)


刺青(入れ墨)の奥深すぎる歴史に驚く&橋下さん
2012年05月24日 (木) | 編集 |
ブログ記事連投です。今さっき夫と話をしていたら、なぜか橋下さんの話題になり、そして大阪市職員の「刺青(入れ墨)調査」の話に。
夫は橋下さんの「職員への刺青調査令」に疑問を持ち、日中の仕事の休み時間にスマートフォンで検索しまくった結果、あることを発見したそうです。それは、なぜ、「極道」の人たちは刺青をしているか?という疑問から、と。
ネットで検索したと言っていましたが、どこのサイトか分からないので、ここからは夫から聞いた話をそのまま。
「極道の刺青」というのは、(結婚している人は、ということだと思う)(いつの時代からいつの時代か、は、不明)「刺青の柄が、夫婦で合わせて一つの柄になっている」、らしいです。(らしい)。他の組でも自分の組の者でも、一般人の男性でも、「極妻」と体の関係になりそうになったときに、裸になった時に女性の体に彫られた刺青を見て「これは殺される」ということで、要するにそれで浮気はできない、みたいな(夫婦の絆?)理由があったらしい(らしい)、ということです。すごい話だと思いました。しかし今時、そんなことをする「極道」の人がいるのかどうかは、不明です。

ブログ:「団塊オヤジの短編小説」さまの記事をリンクして、紹介します。
「刺青の起源と歴史」について考える(2009/07/24)
『アイヌ民族の女性は、口辺部と上腕部に刺青を入れる習慣があった』ということですが、写真も載っています。私はアイヌの女性の刺青のことを初めて知り、衝撃でした。
あと、『前科者を入れ墨者というのはこれによる。1872年(明治5)太政官令によって、これらは禁止になった。』・・・犯罪者の額に「犬」の文字を彫った藩もあったそうです。

私自身、ちょっとしたことから広がって刺青の文化を知って驚きでした。
橋下さんは、「刺青(入れ墨)」=「極道(暴力団?)」という、ステレオタイプな考えの単純な先入観で「職員に入れ墨をした者がいないかどうか、調査しろ」と命令したのだろうか。
それを、いろいろこねて「リーガルチェック」だの「組織マネジメント」だの言っていますが、刺青=極道(または「暴力団」っぽい)という短絡的な考えから、だとしたら、(「維新」などといって新しいように見えるが)とても古い頭の持ち主で、だから石原都知事と気が合うのかな・・と思いました。

::::::::::::::::::::::::::::
(金環日蝕の記事に文章がほとんど入っていないのですが、
明日あたりに書き加えようと思います)


子沢山だが子どもはどっちでもいい橋下さん
2012年05月24日 (木) | 編集 |
フェイスブックでのfriendsさんがシェアしたニュースを、
私もシェアしたので、ブログで紹介します。

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これちょっと写真が「センセーショナル」なのですが、これだけ見ると、
子どもたちがこんなことを書いている!?と、驚きです。

簡単に説明すると、

大阪市の「子どもの家事業」廃止することにより、「いきいき放課後事業」及び「留守家庭児童対策事業」に移行するということになるが、そうすると、今現在無料の利用料が、学童保育ということになると一ヶ月2万円もかかってしまうということ、その他、子どもたちや保護者にとって困ることがいくつも出てきてしまう、ということが問題、ということです。
詳しくは、下のリンクからご覧になっていただきたいと思います。

子どもを安心して預けられる場所がなくなるというのは、深刻だと思います。

カトリック大阪大司教区 こどもの里  
より。

こどもの里に集う子どもたちと保護者と応援してくださる地域のみなさんと全国のみなさんへお礼と経過報告と緊急署名のお願いです

※署名は5月27日で締め切りなのですが、用紙をダウンロードして郵送ということでは間に合わないのですが、電話やFAXで大阪市の方に意見を伝えることはできるので、そういう行動も有効かと思います。
 大阪市役所4階 大阪市市政改革室(改革方針担当)
電 話:06-6208-9733 
FAX:06-6205-2660


カトリック大阪大司教区 こどもの里  
の中の、
こどもの里とは より、一部転載。

======================転載ここから。

・はじまり
1977年、釜ヶ崎の子どもたちに健全で自由な遊び場を提供したいとの思いから、学童保育所「子どもの広場」として「フランシスコ会『ふるさとの家』」の2階の一室で始まりました。

・子どもたちの姿
集まってきた子どもたちの姿から見えて来たのは、彼らの背後にある生活の不安定さでした。すなわち、これは子どもの親が抱えるしんどさでもありました。釜ヶ崎で働き、生活する保護者の抱える問題の大きさでした。

======================転載ここまで。


こどもの里に集う子どもたちと保護者と応援してくださる地域のみなさんと全国のみなさんへお礼と経過報告と緊急署名のお願いです
より。

====こどもの里の活動は、「全児童に遊び場を提供し、健やかな発達を促すと共に異年齢児のふれあいを深め、日常生活および地域行事等を通じ社会性を高めるなど、児童の健全育成を目的とする子どもの家事業」の内容と全く重なっており、大阪市からの要請で1996年に「子どもの家事業」に移行、2人の指導員と補助要員を確保して、現在に至っています。====


橋下大阪市長は、大阪市を不毛の地にしたいのか?と思ってしまいます。
大阪市を「経営」しているつもりなのか何なのか、しかしこれではまるで、
子どもに間接的に暴力を振るっているかのようです。
このような橋下大阪市長のやり方は、到底支持できません。



金環日蝕 @山梨
2012年05月22日 (火) | 編集 |
5月21日の金環日蝕。
写真だけアップです。
太陽をピンホールで。

1、2枚目の写真はリング状になる前の、午前7時23分頃撮影です。
クリックすると、画像が少し拡大します。

07:23

07:23

07:31頃
金環日蝕。午前7時31分前後。

木漏れ日 

P1010307_convert_20120522174615.jpg

金環蝕が終わって 07:45頃

木漏れ日

木漏れ日 08:48頃

木漏れ日 08:48頃


サイトウくん
2012年05月21日 (月) | 編集 |
夫は、3年くらい前から、地域の消防団に入っている。
私の小中学校の同級生やその近くの年代の人がどうしているか、
たまに聞くことがある。

サイトウくんは私と同級生で、家が豆腐屋を営んでいる。
お豆腐屋さんの壁がちょうど焼き豆腐みたいだと、私は昔からずっとそう思っていた。
おいしそうな壁。いかにも、豆腐屋という感じ。

私の祖母は2003年に亡くなったが、その時サイトウくんは地域の消防団員で、
お焼香に来てくれた。
こういう機会だけれど久しぶりに会って、
ずいぶんと時間が経ったものだと思った。

小学校5年生か6年生の頃、サイトウくんと同じ班になって、
ソフトボールの練習を、農協の敷地で同級生何人かと一緒にしたことがある。
ちょうど今ぐらいの時期だったのは覚えている。

祖母のお葬式以来、ずっと彼を見かけたことはなかった。
近くに住んでいても、すれ違うこともない。
私はこの前ふと夫に、「サイトウ君ているでしょう。もう団員卒業したよね、きっと」
と聞いてみた。
「サイトウさんはねぇ・・・3,4年前から、こっちにいないらしい。
奥さんがどこか、愛知かその辺の人でさぁ、そっちに住んでいるんだって」
「じゃあ、お豆腐屋さんは・・・」
「兄ちゃんか弟がいて、継いでるみたいだね」
「そうなんだー・・・」

サイトウくんとは中学では部活も同じで、お互い軽口を叩いていたような記憶がある。
サイトウくんは小柄だったが、背が急に伸びて私より高くなった。
その後、高校は違う学校になり、地域でも出会うことはほとんどなかった。


新緑の風。
どこかに連れて行ってくれそうな風。
髪がなびいて、服の中を通る涼しい風。

キャッチボールの記憶は遠くなって、はっきりしない。



(予約投稿です)


ブログ記事紹介:『毎週、警戒区域に通い続ける個人ボランティアさんがいます 』---「カ イ ヌ シ と 3 猫 の 鈴」 より。
2012年05月18日 (金) | 編集 |
こんにちは。
最近、検索キーワード: 「NNNドキュメント'12 死線 警戒区域に遺されて。」
で、このブログを訪問する人が多いです。

今日はツイッターから、
”福島県の警戒区域に取り残された動物たち(主に、猫だと思います)に、餌やりや保護をしている、しかもずっと続けている”、という人のことを伝えているブログがあるのを発見しました。
紹介します。

ブログ:「カ イ ヌ シ と 3 猫 の 鈴」より。
---毎週、警戒区域に通い続ける個人ボランティアさんがいます---(2012.05.17 )

ほぼ全文転載します。全文は、リンク先からご覧下さい。

転載ここから。======================

この1年以上、ほとんど毎週欠かすことなく、動物たちのために福島へ通い続けている個人ボランティアさんがいます。

都内在住の会社員、Mさん。
金曜の朝。彼女はいつも通り出勤して仕事を終え、大急ぎで会社を後にします。
・・・・・中略・・・
早朝、立入制限区域の近くまで来ると、防護服を着込み、荷物の最終チェックをして20km圏内へと入ります。
彼女が給仕しているポイントは約50箇所。時間と人目を気にしながら、毎回300kg程度のフードを丁寧に給餌しています。依頼を受けているペットはもちろん、途中で出会った猫の保護を試みることもしばしば。受入れ先の厳しさから、健康状態や人馴れの度合いを見て保護する/しないを判断しなければならない苦しい状況にありますが、本当はすべて保護したい、というのが、やはり本音です。
・・・・・中略・・・
倒れそうに暑い夏も、雪の降り積もる冬も、彼女はずっとずっと、こんな生活を続けてきました。
かかる費用はフード代だけで月に20万円。交通費は約10万円。
保護した猫の多くは他のボランティアさんや団体さんに引き受けてもらっていますが、「丸投げするのは申し訳ない」と、保護した内、30頭余りの預かりさん/里親さんを自力で確保してきました。
・・・・・中略・・・
「のこされた動物たち」写真展に頂戴した募金は、彼女のように自費で活動を続けていらっしゃる個人ボランティアさんへの物資支援と医療費支援に当てられています。彼女にもわずかながらフードを寄付していますが、毎回の給餌量が飛びぬけて多く、また頻度も高いため、基本的には全額自費で活動されています。
彼女は別に石油王の妻でも王侯貴族でもない、ごく普通の会社員です。問題が長期化する中、他のボランティアさんと同じく、その活動はとても苦しい状況にあります。

今回、私から働きかけて、フードだけでも支援してもらってはどうかと提案しました。

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・
◆原発20km圏内 猫ごはんボランティアが欲しい物
このリストを使ってAmazonからご注文くださると、Mさんの元へ届くようになっています。

゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・

送付先を公表できないため、いろいろ制限のあるリストからの受付になり申し訳ありませんが、何卒よろしくお願い致します。
みなさまのご協力を、心の底から、切に、お待ち申し上げております。

========================転載ここまで。


福島の警戒区域に取り残された動物は、猫以外にもいると思います。
「希望の牧場」などもあるし、全部救いたいところですが、
少しでも協力できることを、と思い、紹介しました。

お金かかるんですよね・・。
私は今、上記のアマゾンのサイトから、「ミオおいしくって毛玉対応かつお味2.5kg 」を3袋、注文しました。ボランティアの人のところに直接届きます。
(支払いは、夫名義のクレジットカードです。お金は自分貯金から戻します)
これが限界なのですが、もしも、活動に賛同してくださる方がいたら、
どうか、少しでもいいので、私からも協力をお願いいたします。

もう一つ、「カ イ ヌ シ と 3 猫 の 鈴」にリンクしている、
南相馬の猫おばさんを応援する会のブログ を、リンク。
『原発事故により警戒区域となった南相馬市小高区の「猫おばさん」こと吉田さんを応援します!』と、紹介文にあります。ここも、支援が必要です。
興味のある方は、このブログも訪問していただきたいと思います。よろしくお願いします!



「沖縄復帰」から40年。山梨に住む私と沖縄。
2012年05月16日 (水) | 編集 |
ブログの更新が少し開いてしまったのですが、・・・
今日は沖縄のことを、少し。


中学・高校当時の私。
都道府県の人口についての項目で、80万人ちょっとの山梨県はいつも下位にいる・・・
当時、今よりやや少ない人口の山梨県。パッとしないのかな・・そんなことを思っていた。
鳥取や島根と比べたり、沖縄とも比べていました。

沖縄って、小さい島のように見えるのに、100万人以上の人口があるの?
という単純な疑問が沸き、その理由のひとつとして、社会科の教科書で「沖縄県には米軍の基地がある」と、知ったくらいです。(沖縄の人口:1985年 1,179,097人 wikipediaより)
正確に言うと、「知っていた」のに、無関心だったということです。

部活に明け暮れるどうしようもない高校2年生の私は、しかし、
「沖縄には米軍基地がある」「しかも、かなりの面積を占める」
ということに、びっくりしました。
当時の私の心境をそのまま表現すると、「びっくり」でした。

ちょうどその頃、朝日の声欄横に、読者が投稿する戦争体験特集が長期掲載されていました。教科書ではなく、そこで初めて、太平洋戦争末期の沖縄での凄まじい戦闘で住民が巻き込まれて死んだこと、味方であるはずの日本軍に、住民が自決を迫られたりした体験などを読みました。(私の祖父が当時の北支(中国東北部)とマレー半島に戦争で行ったことを知ったのも、この頃です)

1995年に沖縄で少女暴行事件が起こり、被害者が12歳だったのを知り、米軍基地が存在し続ける深刻さを、初めて感じ取りました。

でも、「それから」はどうか、というと、
大きく報道されては忘れ、沖縄知事選がある度に思い出しても忘れ、
「その程度」だったのです。

きっかけは、「他の人がやっているから自分も」と思った、このブログです。
リンク先になっている緑虫さんの「夕暮菜日記」や、緑虫さんのブログがきっかけで存在を知った、「ブーゲンビリアのきちきち日記」で、神奈川の相模原市付近を、米軍機が轟音で飛行しているということも知りました。

昨日15日付の朝日新聞オピニオン面で、ライターの知念ウシ(ちねん・うしぃ)さん=那覇市生まれ と、哲学者の高橋哲哉(たかはし・てつや)さん=福島県生まれ の対談が組まれていました。

知念さんの言葉が、とても胸に刺さる。

高橋さん:『明治政府が琉球を併合した「琉球処分」から敗戦、そして「復帰」までの沖縄の歴史をどうとらえるか。私も、沖縄を植民地化していた日本から敗戦で施政権がアメリカに移り、それがまた日本に移った、あるいはこの地域が再び日本に併合された、という見方をしています。 
「琉球処分」以来の沖縄の運命は、常に沖縄人々の意思とは関係なく、日本政府やアメリカ政府が頭越しに決めてきた。その意味では、植民地と言うしかない。』
というやり取りの中で
知念さん:『私は自分で「植民地」と言っていますが、いざ日本の人に言われると、ずしーんと悲しくなりました』、と。

知念さんは、「日本の人」と、言っています。本土の人でもなく、東大教授の高橋さんに「東京の人」でもなく「本土の人」でもなく、「日本の人」、と。
私は、それが、胸に刺さりました。
小見出しには、
「沖縄が好き」なら基地持ち帰って 知念
原発とは異なる「犠牲のシステム」 高橋
と、あります。

私の妹は沖縄が好きで、今まで2回旅行で行き、「癒される」と言っていました。
私も、沖縄には20年前に一度、旅行したことがあります。
観光地や「ひめゆりの塔」を巡りました。

その後、修学旅行で沖縄を訪れた際に、どこかの高校生だったかと思いますが、「ひめゆりの塔の語り部の人が話す話がつまらない」と言った、という話をニュースか新聞で見ました。

私は、「沖縄に基地があるのは仕方ない」とは、思いません。思えません。
しかし、どうしたら、沖縄の人の気持ちが少しでも分かるだろうか、とは、
考えてしまいます。

すみません、時間がなくなりました。



5月21日
2012年05月12日 (土) | 編集 |
5月21日、日本列島で金環蝕が見られる。

忘れないようにしよう。一大イベント。


それで、つい、こんなことが頭に浮かんだ。

太陽と月、もしも行けるとしたら、どっちがいいか。


太陽は・・・暑すぎる気がする。

月は・・・地球がよく見えるから、落ち着かないかも。


もっとずっと遠く、もう太陽系の仲間でなくなったけれど、
冥王星がいいな。
海王星じゃなく、もっと遠く。
「冥王星まで来てやったよ」って。
寒くて暗いだろうけど。


けどそんなことは、地球で生まれて命があるから、
考えられる。


「金環日食」・「金環日蝕」、どちらが正しいのか分からない。

どんな感じかな。早く見たい。

金環蝕は目に見える。
原子核は目に見えない。

あの微粒子は、あの超微粒子は・・・私を蝕む。

「むしばむ」

今、家にいる。

時計の針の音だけが聞こえる。



5月5日の富士山 月  笛吹川フルーツ公園より
2012年05月10日 (木) | 編集 |
こんばんは。
5月5日の富士山。山梨市の、笛吹川フルーツ公園から、撮影。
この日は久しぶりに天気がよく(6日の方がもうちょっと良かったかも)、
富士山なら今日だ!と思って行きました。
が、もう時間は夕方5時半過ぎ(だったかな)
カップル多かったです。
「若くていいねー」とブツブツひとり言を言いながら
(一昔前ならこんなところに一人で写真撮りに来るなんて無理だったが)
撮影していたのですが、なにしろ、来るのが遅すぎました。
クリックすると多少、大きくなります。
日の入りの富士山です。

P1010284_convert_20120510172147.jpg


で・・・この写真は、月を撮ったのですが・・
「スーパームーン」が台無し・・・。小さい。月が。
他の人の画像をネットで何枚か見ましたが、きれいでした。

P1010292_convert_20120510172346.jpg

同じような色、同じような構図の写真二枚。
うーん。まだまだ。
今度、デジイチ(デジタル一眼レフ)で撮ってみようか。
まずは今使ってる小さいデジカメで、もう少し練習してみようか。
もうちょっとうまく撮れるようにがんばろう。



瀬戸内寂聴さん、89歳のハンガーストライキ
2012年05月06日 (日) | 編集 |
このブログにリンクしている、ブログ:「爆発後の日々」
のFumieさんがツイッターで紹介していた

ブログ、

みんな楽しくHappy♡がいい♪さまより、記事を紹介。
作家で宗教家(と私は思ったあるいは・・お坊さん?)の瀬戸内寂聴さんが、
経済産業省前の脱原発テントで、ハンガーストライキに加わった、という話題です。

全文は、リンク先よりご覧下さい。
「わたしが生きてきた90年でね、こんな悪い時代はなかった」瀬戸内寂聴さん・モーニングバード5/3(書きだし)(2012年5月3日)

私は瀬戸内さんの行動をツイッターで最初に知ったのですが、
その時の感想は「TPP反対のデモも5月1日のメーデーもそうだし、デモはいつも高齢の同じメンバーばっかり。もっと若い人が出てこないと変わらないよ」
「寂聴さんは余裕があるからそんなこと言ってられるんでしょ」
などと、斜めに構えたものでした。私の同じような感想の人もいました。

しかし、この方の5月3日のツイートで、「はっ」と思い、
考え直します。(赤文字部分)

■RT @eatyveggy: 瀬戸内寂聴さんのハンストを揶揄する人は猛省を。90歳になろうとしている人が反原発訴えて行動しなくてはならないほど、今の日本は思考停止状態で無関心装い現実を直視しようとしない人で溢れている、だから、もう一度原発事故起こるとしたら必ず日本で、が世界の合言葉になっているんだよ。
posted at 06:42:43

本当にそうなんですよね。

ドキッとしたのは、「ソトン」さんという方のツイートです。



私はソトンさんに返信をしました。
■@upishi1970 @athoton ギリシャのアテネで、政府に抗議して自殺した高齢の人がいました。そのことを思い出しました。 2012年5月6日 - 1:04 webから

福島第一原発の事故で出た放射性物質について、「オレは、わたしは、もう歳を取っているから放射能はそんなに気にしなくていいんだよ」という人もいるかもしれない。そのことも思い出した。
でも、待って。そうじゃないな。そういうことだよ、寂聴さんのことも。
私は、「高齢だから」と、寂聴さんのことを軽視していたことになる。
福島県飯館村で、避難を苦にして、102歳の男性が自殺してしまった。
ネットでは、『なんでこの歳で自殺するんだよ!』というコメントもあった。
違う。年齢じゃない。

ギリシャで77歳の男性が、抗議の自殺。朝日デジタルより。
「父の死、抗議だった」 ギリシャ国会前、男性自殺

ギリシャの、自殺して亡くなった、元薬剤師のディミトリス・クリスツラスさん、
絶望感が強かったのだろうと想像します。

私自身、反省です。
命を守るために、必死で行動しようとする人を、斜めに見たり揶揄したり、
自分ではそういうつぶやきをするべきではなかったな、と、
「一人反省会」です。


ブログ:「福島 フクシマ FUKUSHIMA」より。【原発収束作業の現場から  ある運動家の報告】
2012年05月04日 (金) | 編集 |
ブログ:福島 フクシマ FUKUSHIMA(管理人:Hugbaiさま)より、
2012/03/01(木)の記事、
原発収束作業の現場から  ある運動家の報告を紹介します。
ブログの管理人である、ルポライターのHugbaiさんが、
反原発運動家から原発事故収束の作業員として仕事に入った、
大西さん(仮名)という人を取材した記事です。

転載はところどころ、私が気になった部分です。
全体はかなり、長文です。リンク先から、お読みになってください。

(『【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。
 【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。 』)----本文より。

転載ここから。===============================


 反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。
 その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。

【Ⅰ】 被ばくすることが仕事

―― まず、どうして原発労働に入ろうと考えたのですか?

大西: 社会運動をずっとやってきたのですけど、3・11と原発事故という事態に衝撃を受けたということです。
 もともと、反原発・脱原発の運動には、チェルノブイリ事故(1986年)あたりまでしか関わっていませんでした。3・11が起こって、「反対運動を継続してこなかった」という自己批判ですね。そして、「自分が関わるとしたら、中途半端には関われないな」という気持ちからです。
 また、反原発運動をやる場合、やっぱり原発労働の実態を知らないのはおかしいのではないか。現場に実際に入らないとわからないことがたくさんあるだろう。隠されていることがいっぱいあるだろう。これはもう、働くしかないな。働いている中で調べるしかないな――ということから、原発労働に従事することを決意しました。


―― 仕事は24時間体制ですか?


大西: 1Fも2Fも24時間、動いてますから。
 とにかく稼動している冷却システムに、24時間、人を配置し続けていないと、また大変な事態になってしまいます。
 原発の正常運転時でも24時間ですけど、今は、悪化させないために、とにかく人が入り続けないといけない構造になっています。
 生産性のない労働なんですけど、それがないと収束もしないという状況なのです。
 もしかすると人類初めての作業かもしれないですね。チェルノブイリとはまた違うと思います。

まもなく作業員が枯渇

大西:たぶん今のペースで行くと(2012年)夏ぐらいには、原発労働者の人数が枯渇するんです。
そうすると1Fの収束作業ももちろん、他の原発の冷温停止を維持することさえもできなくなる危険があるんですよね。
 まして廃炉というのは、1Fの作業で分かる通り、人数がものすごくいる。54機全部を廃炉にするというなら、数百万の労働者が必要です。

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【Ⅳ】 原発労働の現場と反原発運動とのかい離

大西: 収束とか廃炉とかの作業を、原発労働者がやっているという感覚を運動の側が持っていない、身近なものとして感じていないという気がします。
 「廃炉にしろ」と、東京の運動が盛り上がっているんですけど、語弊を恐れずいえば、特定の原発労働者、8万人弱の原発労働者に、「死ね、死ね」って言っているのと同じなんですよね。「高線量浴びて死ね」と。自分たちは安全な場所で「廃炉にしろ」と言っているわけですから。
 原発労働者を犠牲に差し出すみたいな構造が、反原発運動に見られると思います。
 そういう乖離した状況があるので、福島現地や原発労働者の人と、東京の人が同じ意識に立って反原発・脱原発の方向になることが簡単ではないと感じています。

「ガレキ受け入れ反対」への異議

―― 全国で、「ガレキ受け入れ反対」が運動化していますが。

大西: 東京や神奈川・千葉で、反原発運動が盛んですよね。
 だけど、たとえば、松戸市や流山市は、降り注いだ放射性物質が濃縮された下水の汚泥やコミの焼却灰を、秋田に捨てていたんです。
 もともと、首都圏は、産業廃棄物を東北地方に捨ててきた。東北地方は、首都圏のゴミ捨て場。そういう構造になっていました。
 松戸市や流山市は、その汚泥や焼却灰が高濃度の汚染物質だということは分かっていたんです。分かっていたけど、国が発表する前に、秋田などに黙って送っていたという問題です。
 だけど、松戸や流山の運動は、このことを問題にしていませんね。


―― たしかに、ガレキ問題は、放射能問題を考え始める契機としてあると思いますが、なぜ東京に電力を供給する原発が福島にあったのかとか、汚染と被ばくに苦しむ福島の住民や被ばく労働を担う原発労働者の存在といったことに思いをはせるということがないと、先ほど言われていた「為政者と同じ眼差し」になって行きますね。


大西: そうです。
 福島の方に、クソをずーっと貯め続けていて、そのクソが飛び散ってしまった。
 東京の人は、「クソが飛んできたじゃないか!」って文句を言っているけど。
 「それ、あんたが流したクソでしょ」って。
 自分のクソの処理ぐらい自分でやんないと。せめて「いっしょに掃除しましょうよ」というふうになりたいんですけどね。反原発であろうと推進派であろうとね。
 ところが、反原発運動をやっている人は、自分たちは被害者で、まったく罪はないという風に思っていますね。


―― たしかに、反原発の人でも、加害の問題を提起すると反発しますね。


大西: そうですね。そこにどうアプローチするか。
 「原発を、消極的であれ、積極的であれ、推進してきた側と同じ歩調でいたんだよ」ということを、分かってもらうためにはどうしたらいいのか。
 難しいと思うけど。


===============================転載ここまで。

---まとめ---

■「服を着ること自体が労働」「被曝することが仕事」
「まるで宇宙空間に送り出すかのような感じ」「1Fの汚染車両の除染作業で、1日1ミリシーベルトも浴びてしまう」
・・・・原発労働に従事することはそういうこと、福島第一の事故収束のための作業は、作業員の人たちが、毎日がそういう繰り返しだということが分かります。
これは、私自身が知っておかねばならないと思いました。

このブログを読む限り、3月11日の事故以降、高い放射線のある場所に行くにも、装備がいいかげんになりつつあるのでは・・・そういう様子が見て取れます。
→記事中に、『大西: 管理することを、東電が投げていると思います。
 これだけ膨大な人が、炉心での作業と同じような状態で、働いているわけです。
 今までなら、一人を炉心に送り出すのに、宇宙飛行士を送り出すようにやっていたけど、今、その基準でやったら、どれだけの人がいるのか、という問題になって、「もう無理、管理しきれない」と、完全に感覚が麻痺してしまっているように思います。 』
という部分が出てきます。
作業員の装備の話です。

■【Ⅳ】 原発労働の現場と反原発運動とのかい離 という部分について。
私は、「かい離」というよりも、反原発運動をしている人たちに限らず、
私もそうですが、こういう記事などを詳しく読まないと、廃炉作業というのはどのような作業であるか、ということが分からないということです。
分からないと言っているだけではダメで、知ろうとしないといけない、と思います。
放射能を帯びた震災瓦礫に関しては、拡散・焼却をしてはならないです。
私は、この、大西さんという人のおっしゃることには賛同できません。


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作業員の証言で別の記事なのですが、
作業員カテゴリの記事http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-category-1.htmlで、
福島第一原発が津波が原因で放射能漏れを起こしたのではなく、
地震そのもので破壊されたのではないか、というようなことを言っています。

転載ここから。=====================

――原子炉の破損は津波以前?

 そう。地震の直後、津波が来る前に第一原発から避難した作業員が、その後も第一原発には入っていないのに、ホールボディーカウンターで何千カウントとか、何万カウントという値が出た。そういうことを考えると、地震のときに、相当量の放射性物質が漏れていたんだろうなと、推測ができる。

============================転載ここまで。


3.11直後の津波被災地と、その11ヵ月後の写真。
2012年05月03日 (木) | 編集 |
静岡にある、「アクアショップ・エバーグリーン」様のサイト:
AQUA SHOP EverGreen(エバーグリーン)より、リンク・転載させていただきます。

トップページより、一部転載。

=============ここから。

必見!被災地の、その時と11ヶ月後=今の写真。http://bit.ly/xL78Ovこれは凄い!何故国内報道は無いのか?

=============ここまで。

と、説明があるのですが、
東日本大震災の津波に襲われた、東北地方の、被災直後の写真と、
11ヵ月後の写真です。
上のリンク先から、是非、ご覧下さい。
(ウインドウではなく、そのまま飛びます)

イギリスのタブロイド紙:「デイリー・メール」のオンライン版、
「Daily Mail Online 」からのリンクです。

一番最初の写真は、被災直後の大船渡市の、がれきが道をふさいでいる写真。
11ヵ月後ですから、下の写真は今年2月ということだと思います。
瓦礫類はきれいに片つけられて、車が走っています。

2枚目の写真は、石巻市。
「フォトジャーナリズム月刊誌:DAYS JAPAN」5月号にも載っている、
読売新聞大阪本社写真部・大久保忠司記者の「まなざしの先に」
と題された写真。
毛布を体に巻きつけて、津波直後に子どもと会えずに、
途方に暮れている女性が映っています。
ここも道路ですが、瓦礫がすさまじいです。
背後に自衛隊と思われる人がいます。

どこもかしこも、すさまじい被害だったことが分かります。


ツアーバス事故について
2012年05月01日 (火) | 編集 |
カテゴリが多くなってしまったので「時事的なこと」にしましたが、
これは、慢性的な問題だと思います。
安さばかりを求めていていいのか・・・と、考えさせられます。

先日の、群馬県で東京ディズニーランドに向かっていたツアーバスが事故を起こし、
乗客7人の方が亡くなり、重軽傷者が多数出た事故について。

私がツイッターでフォローしているだいふくさんの、4月29日のつぶやき。



サイト:T A K A の 交 通 論 の 部 屋
様より、リンクさせていただきました。
今回のツアーバス事故について、「高速路線バス」と「ツアーバス」の違いについて、
2008年に管理人であるTASAさんが実際に[東京⇔会津若松・喜多方線]に高速路線バス・ツアーバス双方に乗った「レポート記事」です。
とても分かりやすく書かれています。
以下にリンクした、不公正な競争」がもたらす社会的弊害について考える
より、読んでみてください。
(このサイトは、管理人であるTAKA さんが、『交通・鉄道・経営等についての分析や訴えたい主張について現地訪問を基に書いた』記事です)

「不公正な競争」がもたらす社会的弊害について考える
----『(概要):都市間バス輸送における路線高速バスとツアーバスの「不公正な競争」の状況について実地検証を含め考えて見ました。(2008年 12月 15日)』

リンクさせていただいた記事を、私が読んだ感想です。

一番、気になった部分だけ。

一部、転載・引用させていただきます。

=============一部転載、ここから。
● 生まれて始めて?ツアーバスに乗ってみる -10月12日 16;30発白虎ライナー-

そうすると出発直前にバスが入り運転手が降りてきて名簿に照らし合わせながら座席を指示して乗せて行きます。まあ添乗員が居ないバスツアーですからこうなんでしょうが、運転手さんは大変そうです。

・・・・・中略・・・・・
(※会津・白虎から東京に到着して)
 降車場所でも誰も居ないので、バスの運転手さんが床下トランクから荷物を出すなど一生懸命頑張って居ます。しかしこの運転手さん一人乗務なので、会津若松駅(厳密には車庫出庫時点から)ずっとハンドルを握り続けて居ます。しかも一人乗務なので途中の乗客休憩地点でも殆どバスから離れて居なかった(少なくとも私が離れた時間よりは短い)ので殆ど休憩しないでここまで乗務して居ます。確かにこの日は渋滞で2時間遅延して居るので想定外とも言えますが、普通に乗務していても行きのJRバス関東の乗務員と比べると過酷な労働と言えます。
(下線は私)

===================一部転載、ここまで。
(管理人のTAKAさんは、東京から白虎まで、行きは高速路線バスに乗り、白虎から東京へ帰るのに、「16;30発白虎ライナー」のツアーバスに乗った、ということです。)

私自身は、母が存命中の今から4,5年前、山梨の「YBSツアー」という会社のツアーで、添乗員さんが付き添ってくれる形で、母と一緒に浅草や軽井沢に行ったことがあります。
その時は、「観光」というのも兼ねているので、乗客への声かけや点呼、案内、細々したことは添乗員さんがほとんど行っていたように思います。
おそらく、乗客がバスに乗っていない間に車内を清掃する、なども添乗員さんがしていたものと思われます。
そういうことを、添乗員がいない場合は、バスの運転手さんがする、というわけですよね。
今回、大事故を起こしてしまったツアーバスの運転手さんですが、
おそらく、過酷なスケジュールを強いられていたのではないかと推測します。