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新聞紙~
2008年03月12日 (水) | 編集 |
♪新聞紙が舞ってるぜ ah 彼女が待ってるぜ ah♪
新聞紙をかぶって寝てしまった。意外とあったかい。
午前中眠ってしまったのに、午後も眠ってしまった。
もういや。
中年太り?かと思ったら体重同じ。ウエストきつい。体だるい。

母が今日は昼間ごはん食べに行こうと誘ってくれたけど、行かなかった。それどころじゃない。
だってさ~、私は何もしていない。何もしてない・・。
まず家事第一。それができてなきゃね・・。

まったくもう、嫌になる。体調悪い。

ところで・・何となく心配になってきた。
ブログは続くのだろうか?いや、続けるぞ!
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大空襲・公園に埋められた死体
2008年03月12日 (水) | 編集 |
『写真版・東京大空襲の記録』(早乙女勝元編著)という新潮文庫の本は、
確か2~3年前に買って、パラパラとめくって読んで、向き合う気にはなれなかった。
あまりにも重い。
でも最近、何となくフツフツと、もしかしてこの世の中の空気が
嫌な方向に向かっているんじゃないか、というような気がして、向き合おうと思った。

こんな所で私が書いていたって、海の一滴かもしれない。
でも、忘れてしまうのは怖い。
そんな気分だ。


桜の満開の夜に、よくTV中継で東京の上野公園でのお花見の様子が映し出される。
でも昨日その本を読んで、初めて知ってびっくりしたが、
3月10日の東京大空襲の死者が、火葬抜きで地域の公園や空き地に
一時的に埋められた、とある。
上野公園では8400体が埋められたらしい。

『写真版・・』によると、
当時の「東京都防衛本部」は、太平洋戦争末期に東京都が大規模な空襲に遭うことを想定し、
死体の処理の仕方、用意しておくものをマニュアル化していたようだ。
「棺は約1万個を準備し、火葬場2ヶ所と15ヶ所の埋葬場とが
ひそかに指定されていた」
とある。
でも、実際は死者10万人。間に合うわけがない。
「もはや骨つぼはおろか、ありあわせの木箱も紙袋も必要としなかった」
とある。
ここから先は、引用。

「当時警視庁の管轄下にあった都消防部の記録によれば、
橋上から運河を、路上から避難先の学校校舎、体育館までびっしりと埋めつくした死体は、
ほとんど原型をとどめていなかった。
たとえば深川区北部に位置する東川国民学校を例にとれば、
講堂いっぱいに累積されたのは焼死体の山であったという。
それは巨大な佃煮の堆積に似て、一体ずつを引き離すことができなかった。
完全に炭化した肉体の手足部分は、
あっけなくぽろぽろともぎれ落ちたからである。
 仕方ないので、死体処理班は鉄カブト、ボタン、ガマ口の口金などによって、
死者数を算定せざるをえなかった。鉄カブトを二個かぶっていた人はいないはずであるから、
一個で一体とし、そこに五個のボタンと、一つのガマ口の口金を添えた。
これで、一体という具合である。
まれにガマ口を二個持った人もいたかもしれぬが、一体に一個とみなすよりほか、
数字の割り出しようがなかったのであろう。」

・・上野公園にそのまま埋められた死体は、その後どうしたか・・
「戦後、昭和二十三年から三年間にわたり、
東京都はこれらの死体を発掘し火葬して都慰霊堂に納めたが、
もちろん地下の遺体が総ざらいされたわけではない。」

そして本の冒頭に戻るが、
昭和58年に東京・墨田区の菊川公園で中学生が犬の散歩中、
3月10日の東京大空襲の犠牲者の人骨を発見する。
大腿骨で、大柄な男性ではないかと想像される、とあるが、
どこの誰だかは分からない。


東京大空襲を忘れてしまうのは怖い。
過去を忘れるのは、次の戦争につながらないともいえない。
でも今の時代、焼夷弾などではなく、ひとたび戦争ともなれば、
あっけなく核か何かで死んでしまうのか。
忘れてしまう気分が、怖いんだ。

日本人が中国でしたこと・・「重慶大爆撃」も忘れてはいけない・・。
重慶大爆撃の犠牲者を写した写真がある。
こんなひどい遺体って・・。東京大空襲と同じだ。

現在の戦争・・「テロ」とか「インティファーダ」とか「テロとの闘い」とか言い換えてるけど、
暴力には暴力だ。そのことも、忘れないでいたい・・・。
特に、善玉を装って侵略するアメリカのような国。