家事専業。犬と猫が好きです。(・∀・)ノ ツイッターアカウントは、画面の下の方です。
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本音は
2014年11月22日 (土) | 編集 |
この前、生協の「放射能関係のお知らせ」のチラシを見ながら、
夫に話しかけました。

私:「最近さー、『家庭でできる放射能対策』というのが入るようになったさ」
  「『①誰でも被曝する可能性があると認識する』とかね、『②生まれもった免疫力を保つ』とかさ、・・要するに食品検査ばっかりに頼らないで体力を鍛えろ、ということかな。」

夫:「・・・。オレたちの甥っ子姪っ子たちにさ、食べ物に気をつけろ、っていうのは分かるさ・・。
  けどさ、オレはもう、あと20年も生きれればいい。」

私:「えっ・・・」

思ってもいなかった答えでした。
夫がそういうことを言うのを聞いたのは、初めてでした。

その後、
夫:「友達のお見舞いに行ってさ、そう思ったよ・・。
  いろいろ考えないで、生きたいって。」
と・・。そんなような答えでした。

夫の友人は今、闘病中です。
あまり具合が良くありません。
ほぼ同年代の人です。
私は、返す言葉がありませんでした。
夫の気持ちがよく分かりました。

十数年前に、二人で岩手、宮城を旅行したことがありました。
気仙沼で、港でとれたてのかつおを食べたり、岩手でも、美味しいものを食べたり。
その頃は食品の放射能汚染など気にもしていません。
原発事故が起きるとは思っていませんでした。

今日、ツイッターで見かけたつぶやきに、
『(主に)家族のご飯を作る(と一般にされている)お母さん達が真っ先に放射能汚染に反応したのは当然だったのかな~?なんて考えるわけです。』という、
つぶやきがありました。
それはよく分かります。
もちろん放射性物質にも気を配らなければ、なのですが、
夫の心の中から出た言葉は重かったです。
(夫は私に批判的に言ったわけではなく、
入院中の友人の姿を見て、そう思ったのだと思います)
生きているから食べることができる、わけで・・。
普段ほとんど弱音を吐かない人なので、その言葉は重かったです。


========================

11月3日に干した渋柿を、きのう、芯が軟らかくなったので手でもみました。
父が私に、
「青森に送るのか」と聞きました。
「青森?」
「おまえはよく青森に手紙を出しているから。」と父。
(あさこはうすさんへのハガキを出すのは、いつも父に頼んでいます)
私は、
「青森の人は会った事はないけど、青森でJパワーっていう会社が原発建設していて、
原発完成予定地の中にその人の家があってさ。
福島で爆発したのにね。まだ原発つくろうとしてるから。
その人は建設に反対してて。私は応援してるの」
と、父に話しました。
「そうだな。あんなになっちゃったのに、
まだ原発なんてまずいな」
・・・そんな会話をしました。

これからも、一人で考えたり、
一人でもできる原発反対表明はしていこうと思います。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。

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「テレビを信じるな」---故・野沢尚さん
2014年08月29日 (金) | 編集 |
天気の良くない日が続いています。体調を崩してしまいました。台風11号が来た時から・・多分、だから3週間くらい経っています。風邪を引いて熱が出たり、熱も咳も引いて元気になれるかと思ったら、気持ちに大きな波が来てしまい(そうでなくても、もうここ2年くらいは沈んでいる日が多いですが)、
昨日は、体が波に持っていかれるように一時的に泣いてしまったりしていました。鳩の鳴き声を聞いていると、ほっとしました。ほとんど何も出来ませんでした。
新聞-ネット-本---と「サーフィン」をしていて、何とか過ごしました。

朝日新聞26日付の文化面かどこかに、吉本ばななさんと、ピアニストの「ヴァレリー・アファナシエフ」さんの対談が載っていました。ピアニストであるヴァレリーさんは、小説も書いていて、『妙なるテンポ』という短編集を出版したということでした。私はすぐに注文し(Amazonでは扱っていなかった)、翌日、届きました。それを読みながら・・・「コーネル・ウールリッチ」という作家の本を思い出し、NHKドラマDモードで日本を舞台にアレンジしてドラマ化されたのを思い出し、検索し、そうしたら、脚本が野沢尚さんだったのです。あれ、・・あの人は・・・そういえばかなり前、誰か有名なテレビ関係者だったか脚本家の人が自殺した・・というのを思い出し、それが野島さんだったのか・・・と思い出し、なぜ自殺したのかと思い、「野島尚 自殺」で検索したら出てきたのが、次のページです。

『ぼくは見ておこう』 松原耕二の、 ライフ・ライブラリー。
「2005-02-08-TUE」とあるのは日付だと思います。このページの著者は、「現在、TBSテレビ経営企画室担当局次長・元報道局解説委員・ニュースキャスター・作家・コラムニスト」(wikipediaより)の、松原耕二さんです。

その中から、読んでいてハッとした一言を、抜粋、転載・引用させていただきます。

=================ここから。

死について、しかも自殺について、
野沢さん自身が語っている文章があった。
フジテレビで放送したドラマ『眠れる森』(幻冬舎文庫)
の最後に掲載されている手記だ。
ドラマのテーマを番組のキャスト、スタッフに
伝えるために野沢さんが記した言葉だが、
いま読み返すと別の意味合いを帯びてくる。
「伊丹十三が自殺した。新井将敬が自殺した。
 中小企業の3人の社長は牛丼を最後の晩餐にして、
 揃って首を吊った。
 後ろ指さされた官僚たちは
 死をもって責任を取ろうとする。
  『失楽園』の2人は心中し、
 『HANA-BI』の2人も自殺する。
 みんなが死に魅せられている。
 これが世紀末の人間の姿なのか。
 こんな大人たちの有様を見て、
 子供は思うに違いない。
 『要するに死ねばいいんだ。追い詰められたら、
  死に逃げ込めばいいんだ』
 危険極まりない時代だ。
 だから言いたい。
 『どんなに悲惨な過去に苦しめられ、
  どんなに罪深い過ちを犯していようと、
  全てを引き受け、その人生を生きろと』」

==================ここまで。

私は、野沢尚さん脚本のドラマをいくつか、見ています。その中でも全部見たのは、TBS『青い鳥』と、NHKドラマDモード『喪服のランデヴー』です。小説も書いていたことは、初めて知りました。

こんな大人たちの有様を見て、
 子供は思うに違いない。
『要するに死ねばいいんだ。追い詰められたら、
  死に逃げ込めばいいんだ』


このブログにこういうことを正直に書くのはどうしようかと思いましたが、私は時々、いえ、かなりいつも、死にたくなってしまう気分になります。2年前くらいから、ですね・・。(けれども、痛いのも苦しいのもダメで、死ぬことは出来ない。もうひとつ、それが出来ない理由は、自殺は「許されない」---(生きているうちには、許されることと許されないことがあるような気がしていますが、許されないと思うのが人殺しと自殺だと思っています。ただし、「絶対に」、とは言えない。他人にこの意見を押し付けることも出来ない)---と思っているからです。でもこれを読んで、「死をもって解決する」ということになるのはダメだ、いけないというのが私がこのブログで言いたいことなのですが、野沢さんの手記のとおりだなと思ったのです。しかしまた矛盾するようだけれど、自分自身はそう(死にたいと)思ってしまっている・・・よくないな・・と。それにしてもまさか、ヒットドラマの脚本をたくさん手がけた人が言っていたのは(私の勝手なイメージだけれど、テレビ界に関わる人は「タフ」だという印象があるので)、意外なような気もしました。

(「死なせることで『解決』する」のが死刑だとしたら。否、解決になどならない。でも今日、二人の死刑囚の死刑が執行された。「死なせる」のか、「殺す」のか。殺人であることには違いない。自殺も自分を文字通り殺すこと・・・。)

松原耕二さんを含む4人との対談の話。上のリンクのページから。
『主観報道と客観報道、映像表現の危うさなどについて
2時間ほど話し合った。』そうです。
今日の私のブログのタイトル:「テレビを信じるな」---故・野沢尚さん
の「テレビを信じるな」の部分は、以下に抜粋、転載させていただきます。

===================ここから。

対談のなかで、いまでもはっきりと覚えている
野沢さんの言葉がある。
テレビを信じるな、という
本を書いたこの作家の口から出たのは、
報道はもっと客観的であれという
メッセージではなかった。
それどころか全く逆だったのだ。
「映像は切り取られた瞬間から
 どうせ事実と違うわけだから、
 だったら圧倒的な主観的事実で
 ニュースが作られていくことは、
 僕はかまわないと思う。
 むしろ魅力的なつくり手の主観を
 提示して欲しいですね」
野沢さんの内に秘める情熱を、
私が初めて感じた瞬間だった。

======================ここまで。


私自身は、辺見庸さんの言葉を借りると、「目が腐るほどテレビを見ている」。
地上波民放のバラエティーもドラマも見ませんが、民放NHK問わず報道番組やアメリカのドキュメンタリ番組、NHKのドラマなどを見ています。結局、NHKはよく見ています。



出来損ない
2014年08月18日 (月) | 編集 |
わたしはつくづく、「出来損ない」だなと、この頃、自分自身でよくそう思っている。

親戚中を同年代で集めて、自分も入れて私と妹と女性のいとこ6人、男性いとこ4人、その中で一番の出来損ないは自分だと思っていた。男性いとこ一人、失業中。心身は健康で、求職活動をしていて、見つかればいつでも働けるようだ。その人は除外する。
私は…稼ぐのに生かせるような技術や頭脳はない。他にも自分自身の問題を抱える。どうしようもない。今更、まともに働けるとは思えない。どうにもしがたい。(何かあったらあっという間に、貧困)

男性のいとこの一人。自分の家には居ない。統合失調症で、県外の病院に長い間入院している。病気は、重い方に見える。病院が住まいである。時々両親が訪れ、外出に連れ出している。

自分より下には下が、上がいる、と無意識に探す私の頭の中。
疲れた。人と比べる自分の頭を捨てたい。


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(※一旦アップして、文章をもう一度書き換えました。
8月15日の記事の続きは、もう少し待ってください)


がん哲学外来---「生きる」とは何か
2014年01月24日 (金) | 編集 |
こんばんは。また、更新が空いてしまいました。
今日は何を書こうか、とても迷ってしまったのですが、
「がん哲学外来」について新聞記事に書かれていたので、
そのことを。
~「生きる」とはなにか~ …なんて、タイトルが「ベタ」なのですが、
それしか思いつかなくて。

今朝の朝日新聞、2面の、「ひと」欄です。

がん哲学外来朝日新聞 「ひと」欄 2014年1月24日

上の記事でインタビューに答えている山田さん、「精神科医V・フランクルの思想を学び、共感。」とありますが、私はヴィクトール・フランクルさんがアウシュビッツの生存者だったということを、
今日ネットで調べて、初めて詳しく知りました。
ヴィクトール・フランクルさんは、「夜と霧」という文学作品を書いています。
私は、「夜と霧」、題名だけはどこかで何度も目にしています。

今日、この本をネットで注文しました。
1956年の最初の訳の方が良い、というレビューが多く、
霜山 徳爾(しもやま とくじ)さん訳の方にしました。


夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録
(1985/01/22)
V.E.フランクル

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もうすぐで、私の母の命日です。
もしも、母が通える範囲の病院で「がん哲学外来」があったとしたら、
母は、医師に何か話しただろうか。
4年半前、東京の病院で一通り抗がん剤治療をした後、
山梨の病院で診てもらった時に、母は医師に、
「先生、わたし死んじゃうの?」と聞きました。
医師は「うーん・・」と言いました。
その後、その時はっきりと何か言った記憶が私にはないです。良い医師でした。

それよりも今は、そういう風に医師に尋ねた時の母の気持ちはどうだったのか、
とか、私は思い起こしてもしょうがないことを、まだ思い起こし。
ねじれた思いは、私自身の幼少時代と母とのことも苦く思い出され。

すみません、暗くなってしまって。
読んでくださってありがとうございます。


「女子力アップ」に「写ガール」とか
2012年06月02日 (土) | 編集 |



こんにちは。
今日は本当は「放射能離婚」で記事を書こうかどうしようか、迷っていたのですが、
寮美千子さんという、私がツイッターでフォローしている詩人の方がこんなことをつぶやいていて、
「これって、意外と根が深いような・・」と思ってしまった私です。

最近このブログはいつものことになってしまいましたが、
あまり文章をまとまってちゃんと書けているような気がしないので、
すみません適当ですが流し読みしてくださいね。


私が最近、苦手とする言葉。
■「ゆるふわ」・・・
20歳前後~40代くらいまでの女性の服装などの表現に使われている気がする。
■「大人可愛い」・・・
40代以降の女性の、やはり、服装?主に女性誌やテレビなどで見かける。
私は自分の事を棚に上げて言うが、「大人」って、日本じゃ23,4歳くらいから大人ではないのか?「可愛い」というのは他人から何となく思われているもので、自分から外見だけ可愛くなろうとするのって、ただの「オバロリ」なんじゃない?
「オバロリ」というのは、多分、40代くらい過ぎても少女っぽさを失わない雰囲気を持とたいというか、「美魔女」ともいう、イノセント(無垢というか無知というかそういうような意味だと思う)な雰囲気を保ちたいと頑張っている女性のことじゃないだろうか。
■「女子力」・・・
そりゃ、外見も大事です。「人は見た目が9割」という本も出ているほどです。
けど、「男子力」とは言わないでしょう?
なにか、押し付けがましさを感じる。「女はきれいでいなきゃ」みたいな。
「過剰な身だしなみ」を要求されているような、社会の所有物(すごいな)になることを要求されているような。
■「○○ガール」・・・
ようするに、カメラで写真を撮り、それをブログや簡易サイトにアップする女性のことを、「カメラ女子」または、「写ガール」と言うそうです。
(「シャガール」と「写」をかけているのかどうかは知らないが)
なんでも「ガール」をつけりゃいいってもんじゃないでしょうが、というのと、
何歳まで「ガール」なの?という、突っ込みをしたくなるのです。


ツイッターで、ちょっとした行き違いで(いえ、あれは私が悪かったのだと思う)
繋がりが切れてしまった(いえ・・私が切ってしまった)人がいるけれど、
ツイートは定期的に見ている。
その人は、自分で美容院を経営していたようだが、先日、店を閉めた、
と言ってた。
その人の、ツイートがよかったです。
コピペしてメールに下書きしてとっておいたので、
紹介します。

===============================
@le_zanak
さんの、6月1日(金)0時30分頃のツイート。

■ okihasam zanak @le_zanak
1人で美容室を経営していました。かっこ悪いところを隠そうと必死になる人が増えて来ていました。が、それはよりかっこ悪くなるよ?って自分なりに伝えて来たつもりです。美を追求する仕事が自分に知らしめたのは、内面の美がより大切で 中身の伴わない美など 長くは続かない と言う事でした。

■okihasam zanak @le_zanak
人が嫌がる事を したなら謝る。人に喜ばせて貰ったなら お礼を言う。たったそれだけの事すら、出来ない人も増えていると感じます。そしてそんな当たり前の事を伝えるだけで「厳しい人、気難しい人」と直接で無い批判を受ける。3回連続遅刻して叱られたなら悪いのは君だろう?。

■okihasam zanak @le_zanak
ヘアスタイルを磨いて、自分に自信を付けるのも良い。けれど、自分に自信を持ち過ぎて、人に感謝する事を忘れて、それはかっこ悪いただのナルシストだよ?。本人にも直接伝えて来たけど、解らない人はずっと解らないのだなぁと感心してる。