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「いい子」を、もうやめたい。
2015年01月19日 (月) | 編集 |
こんばんは。

「頼まれたら『イヤ』と言えない性格」・・・
こんな風に自分のことを表現する人がいますが、私は子どものころ、
そんな感じでした。
特に、母親に対して。

苦い思い出があります。
苦い、というか複雑な気分、かな。

小学校4年生くらいの頃だったと思う。

祖母の知り合いか母の会社の同僚の人たちか、
その辺りはよく覚えていないのですが、その家族と一緒に、
私よりもずっと小さな子(一人)も、遊びに来ました。
一緒に遊んだ記憶はなく、ちょっと家に寄った感じです。

我が家に寄った大人たちと子どもが帰ることになりました。
その時、私の母は、多分・・その、小さな子を喜ばせたい、と思ったのか、
私が持っていて(しかも、気に入っていた)
たんすの上に置いてあった砂時計をその子に見せて、
「これ欲しい?」と聞いたのです。
私の心の中:(まさか・・)
小さな子の返事はどうたったのか、覚えていません。
母が私に、「これ、この子にあげてもいいよね?」と聞いたのは、
はっきり覚えています。
私は、「だめ、それはわたしの」とは言えませんでした。
私:「うん・・いいよ」と返事をしました。
母は私の砂時計を、その子に渡してしまいました。
そして、大人たちと小さな子は、帰っていきました。
私の心の中:(あっ・・・。あーあ・・行っちゃった…)

何となく、ショックでした。

断ればよかったのでしょうが、空気を読んで、それはできませんでした。

このことは大人になってもずっと引っかかっていました。

それから、何十年経ち。母が亡くなるちょっと前です。
ある時、夫と旅行に行った時、
日本の様々な時計メーカーの歴代時計が展示してある、
博物館に行こうということになりました。
時計そのものを見て興味深かったり楽しかったのですが、
嬉しかったのは、ミュージアムショップに、手ごろな値段のシンプルな砂時計があったこと。
あまり大きくても、壊してしまいそうだし・・
(その時、小学生の自分の、そのことを思い出していました)
似たような、高さ8センチの小さいものを買ってきました。

旅行から帰ってきて、自分へのお土産の砂時計の包みを開けました。
「これが欲しかったんだよねぇ・・」と思いながら眺めましたが、
(分かっているけれど同じではない…)満足ではありませんでした。
あの砂時計は永遠に私の元に戻らないし、母に、
「わたしのものだから、いやだ。あげない」と言うこともできない。
砂時計にこだわっていたのではなく・・・
心は埋まらないのですね。

タイトルですが、こういう気持ちになるのは、
年齢は関係ないのだ、と思います。


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「うつ病の真実」という本
2012年03月02日 (金) | 編集 |
うつ病の真実うつ病の真実
(2008/04/23)
野村総一郎

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こんにちは。

私は小学5年生くらいから、「自分とは何か」、で悩んできました。
常に、敵が自分なのです。

何年も前の自分の手帳に、妹の本(上にリンクした、「うつ病の真実」)から、
自分が気になる部分を書き写したものが見つかりました。

以下、転載。================

「うつ病の真実」

 第3章の進化生物学からみたうつ病の意味(その2)

複数遺伝子の組み合わせがうつ病を呼ぶ
・・・・・うつ病にかかりやすい人は「几帳面」「真面目」「他人に配慮する」などの正確特徴を持つと言われる。このような性格をもった人は、どう考えても「いい人」である。
どこの組織にもなくてはならない資質であり、社会にとって望ましい性格と断言できよう。
なぜこのような「いい人」がうつ病になるのか、不思議な気もするが、
几帳面性は「自分の内部的ルール」であり、他者配慮性は「外部的ルール」である。
この特徴が両方揃うと、行動に矛盾が生じることになる。
つまり、「自分のペースを重んじ」「他人のペースに合わせる」ということは、
本来無理である。

この無理のために、(ある種の状況で)うつ病が発生してくる可能性がある。ここでは適応的な二つの遺伝子の「食い合わせ」が悪くて、病気になるのである。

進化生物学の仮説からみるうつ病治療論
・・・・・つまり、うつ病になると下手にあがかず、ある程度なるががままに任せておく、受身の姿勢が必要とされている。
このことは進化生物学の理論から考えても理にかなっている。
(※ここからがおそらく重要なのに、メモしていない。
『(うつ病になったら)ある程度なるががままに任せておく』ことが、どのように、
「理にかなっている」のか、は読んでいない。)

 ギリシャ悲劇にみるうつ病
うつ病はどのくらい古くからあるか
・・・・・たとえば、糖尿病の遺伝子はかつて食糧を確保するのが困難であった時代には適応的であったが、飽食の時代に裏目に出ている、といった見方である。
うつ病についても、太古の時代には必要性の非常に高かった資質が、ある時代に至って適合しない面が生じてきて、「病気」として受け止められるようになった可能性がある。

=================転載ここまで。

そんなに厚みはなかった本だったですが、「なるほど~」と、私が感じた部分です。

私は「うつ病」ではないですが、例えば、自分の体調の不良、子どもができなかったこと、自分自身が対人恐怖症(社会不安障害)であること、母からの支配(と感じていた)、母の死などで、いろいろ悩みました。
悩んだ時期は、長かったです。今では「そんなに突っ込んで悩みすぎてもしょうがない」という部分が心に出てきたものの、恐怖感などのコントロールが効かない時が、まだあります。

行き着いた先は、「なぜ、自分はこういう状態なのだろうか」、です。
悲観的になるでもなく、いつも、考えます。「なぜ、自分はこうなのか」と。
この本の存在は忘れていて、この前たまたまメモを見つけました。

私がこれを見て「ははは」と笑ってしまったのは、上の太字の部分、
つまり、「自分のペースを重んじ」「他人のペースに合わせる」ということは、
本来無理である。

ということろです。
もちろん、それをしていかないと社会が成り立たないので、みんなしているわけです。
それが度を過ぎると、心の病になってしまう。
度を過ぎるのを強要している社会、そんな社会のせいで、「病気」になるのかも。
「甘ったれ」だと思った方、そういう人もいるでしょう。
(光市母子殺害の元少年への死刑判決で、最近、興味深いブログ記事がありました。
それともつながっています。またあらためて紹介します)
(「そんな社会のせいで」の社会には、私自身も入っています)

うつ病についても、太古の時代には必要性の非常に高かった資質が、ある時代に至って適合しない面が生じてきて、「病気」として受け止められるようになった可能性がある。
という部分には、私がなぜ、人と話すのに強い不安や恐怖を感じるのか、
少し解明できたような気がしました。
大昔など(せめて江戸時代くらいも)、一般市民が大勢の人と一緒に集団行動、なんて、
そういう状況はほとんどなかったのでは、と思います。
明治で文明開化してみんな学校通うようになって、企業に勤めるサラリーマンが出てきて・・
終戦以降はさらに、「モーレツ」が続きます。
(で、行き着いた先が学校という、”将来効率よく働ける人間”の製造工場みたいな。
学ばないで、新卒で就職することを目標に。封切られる新しい靴下みたいに。
封を切ってしまえば、使っていなくても新古品です。)
話が逸れました。集団行動の話でした。
政治的に重要な地位の人や侍や武士、大名行列の人とか。
太古の昔になれば、うかうかしていると、他の集落の人間から襲撃されてしまう、
ということもあり、警戒心は持たざるを得なかったと思います。
野生動物に襲われる危険や大災害もあり、いろんな音を拾う人の方が、命拾いをしていたかも。
私は音に敏感で、化学物質などのにおいにも敏感ですが、
現代に生きる私は、それが逆に「病気」(心の調子の悪さ)を招いているともいえます。

すみません、冗長な文章になってしまいました。

結論的なことを少し。
私自身について、社会不安障害(主に対人恐怖)、うつっぽい気分について、
書いてみました。
「『心の病気』は社会がつくる」・・・のかもしれない。

(※「原因の全く不明な重いうつ病」もあります。名前で誤解されやすいですが「自閉症」は心ではなく脳の病気です。統合失調症も脳の病気だとも言われています)


『ネット・バカ』という本・・・(ネット依存気味かもしれない私)
2010年09月12日 (日) | 編集 |
今日の朝日新聞の書評欄に、こんな本が紹介されていた。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていることネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
(2010/07/23)
ニコラス・G・カー

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(何という名前の人だったか忘れたが)書評を読んで、私はギクッとした。
自分は日常的に、ネットとつながっている時間が長くなっているのではないか-------
私は、正直に言いますと平均計3,4時間くらいです。
断片的であっても4時間となると、一日の6分の1にもなってしまう。
仕事で使う人は、おそらくもっと、なのかな。

(朝日にあった書評ではなくて、養老猛さんが書いた書評を見つけたので、
「続きを読む」に転載します。)

私は、「ヒマ」ではないが家にほとんどいるので、携帯電話を持つ必要がない。
必然的に、携帯はなくても不便を感じない。
ケータイでメール・・する相手がいない。する内容が無いよ~って感じで。
(PCでメールはたまに、です。)
しかし、インターネットで「外の世界」とつながることができなくなったら・・
気分が落ち着かなくなってしまうと思う。

でも、例えば何かのトラブルで「一ヶ月はネットにつながらない」という状態に置かれたとしたら、
逆に気が楽なのではないかな、もしかしたら。
ブログももちろん更新しないし、ブロガーさんのブログも訪問しない。
・・・それも寂しいな・・(-_- )・・
だけれど、段々慣れるのだろうか。

要するに私の場合、ダラダラ見続けることが問題かも。
気になるリンクをクリックして、そこからまたジャンプ・・その繰り返し・・
多分その分、脳も疲れる。

インターネットはよく使えば有用、ダラダラ使う(こともたまにはいいけど)と、
時間を無駄に食ってしまうということになるのだろうか。
(時間ができてもついネットに接続してしまい、途中まで読んでそのままの本が、
何冊かある)

しかしもちろん、ブログは続ける。やめてしまう理由がない。

養老猛さんの書評は分かりやすかった。

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今日からこの言葉を自分の座右の銘(?)にする
2010年07月01日 (木) | 編集 |
おはようございます。
というか、もう既に一つ記事を書きましたね。
そのことも忘れそうな、今日この頃……。

私は、「勝間和代さん」があまり、好きではありませんでした。
「自己啓発」っぽいのは苦手です。
しかし、この方の言葉の中で、「これは使わないと損だな」
と思わせるものがけっこうあり、「カツマー」にはなりたくないものの、
良い部分はまねをしたい、と思っています。

以下は朝日新聞beに、もう何ヶ月か前に出ていた勝間さんの言葉です。

・妬(ねた)まない
・怒らない
・愚痴らない


この三つです。

そんなんとっくにやってるわ、ってか、普通じゃね?
と思われた方、すごいです・・・。
私は出来ていません。

「妬む」というのはないかな。
私は、「人は人、自分は自分」と考える性格だからです。

問題は、「怒らない」「愚痴らない」

これが出来るか。
むずかしいね~~。
でもちょっと、クールに変身したいわ。w

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頭の中の整理整頓
2010年06月09日 (水) | 編集 |
こんにちは。激しく心の調子が悪いです。激うつ、ではないですが。
原因はあります。思いっきりありますね。
でも、自分だって悪いところがあるのだからしょうがない。
とにかく母を心配させてはいけない。
(「おい、それだったらこんなところでブログなんか書いてる場合かよ?U´゚Д゚U」)
と思われた方、まあそう言われればその通りなんですがね。(笑笑)

よく考えてみたら・・
心の調子が体に出る、ということは、
生きていく上では、かなりハンディキャップになってしまう。
そのことを今、というか今さらつくづく感じている次第です。
かなりまずい。

うーん。どうしよう。(´・д・`)ゞ
頭の中を整理。


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