季節の変わり目だか何だか不明だけれど、
精神的にはあまり調子が良くない。(お盆休みで精神的に疲れたんだと思う)
(♪季〜節の変わり目でぇ〜 あなたの心を〜知るなんて〜♪という歌が昔あったような・・)

ところで、今日こそは今日こそは・・もう買い物に行かなければならない。
だめだー。精神的に上向きでない時は、出かけるのがひと苦労・・。
もう5日間くらい、延ばしている。そして、緊張する。
今日は母が東京の病院に行っているが、
さっきまで父もどこかへ出かけて、なかなか帰って来なかった。
自分の車がなければ居留守が使えるが、今日は母が電車で行っていて車があるので、
誰かが来たら私が出なくてはならない。
緊張する。家に誰もいないよ〜怖いよ〜、と緊張する37歳女。困るなあw
(足が震えてきてしまったので、デパスを飲んでしまった・・(´・ω・`)

なので私は、自分のことを密かに「緊張師匠」と呼んでいる。
緊張することに関してだけは、おそらく私の右に出る人はいない・・という意味でw

いや、冗談はともかく、今治療中の社会不安障害は、今思うと軽い症状が出ていた・・?
と思う高校1年くらいから約20年はそのままだったので、
なかなか頑固で、治るのに時間がかかるかも。
でも、病院に通う前に比べると、だいぶ良くなった。

お気に入りのブログを見ていて、「オフ会」に行くという人が2人いた。
若い女性と男性。
女性の方は「サシオフ」だそうで、”何を着て行こうか、迷っている”とあった。
男性の方は、男女合わせて何人かでオフ会が開かれて、それに行こうと思うとあった。

オフ会・・。もしもオフ会なんて参加したら、私はどうなってしまうのだろう。
ここでは、実際に顔を合わせることがないので、
男性の方とも(^ω^)や(´・ェ・`)みたいな絵文字も交えて、話すことが出来る。
素に近い自分だ。文字だけなので、自分を出せる。
でも、実際に会うとなると・・相手が女性でも男性でもどちらでも、
文字のみとは情報量が格段に違ってくるので、どうなるんだろう・・パニックになりそう。

子どもの頃からの私を知らない、という点では気が楽かもしれないけれど、
そこら辺はやはり、実際の私を知っている人・会ったことがある人・・
の方が緊張しないんだろうか。
とは思うけれど、このブログは心の内をそのまま出してしまっているので、
(・・・あまりにもバカ過ぎるので書けないこともあるけれど(^ω^;)
ある程度私のことを知っていてくれる・・という安心感があると、
もし万が一(万が一、だけど)どこかのオフ会に行ったとしても、それほど緊張しないんだろうか。

とにかく、なにしろ、今日は買い物に行かないと・・。
・・・・落ち着かない。
今年は北京オリンピック・・その前はアテネ・・
その前はシドニー(Qちゃん金メダル取ったなぁ・・)、
そしてその前はアトランタ
(「自分で自分を褒めてあげたい」って有森裕子が言ってたなぁ・・)、
そしてその前はバルセロナ(この時期はあんな事こんな事があったわ・・)、
そしてその前はソウル(確か県民文化ホールのテレビで、
100mのベン・ジョンソンがゴールするのを見た・・その後ドーピングが発覚したなぁ・・)、
という具合に、私はオリンピックになるとつい振り返る癖がある。やだなw

試合を終えた選手がインタビューで、「次のロンドンは?」などと聞かれているのを見ると、
つい「その時って私は・・42歳・・うわ〜恐ろしいわ〜((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
と、思ってしまう。

でもそれよりももっと恐ろしいのは、ロンドンオリンピックを見ている時に北京を思い出して、
「ああ、あの頃はまだ38歳で若かったわ〜」と言っていること。
そうならないように、今からキョンキョンみたいな42歳を目指すw
(「キョンキョン」という言い方で若い人は分かるかな・・小泉今日子ちゃんです)
(一応:今のところ私はまだ37です:補足)


FC2トラックバックテーマ 第537回「私の元気の素!」


私の元気の素。
それは・・・まず、うぴしかな。
うぴしは見た目と触り心地ともにモコモコしていて、いつも私に笑いかけてくれて、
可愛くてしょうがない。(親バカだな私。親というか・・まあ親と同じ)
うぴしと散歩の時間は楽しい。(散歩は3つのコースがある)

そして、チャコ(うちの白い猫)。
冬のうちはかなりお腹が太っていたけど、夏になったらやせてきた。で、また冬に太る。
妹が飼えなくなって家に来たんだけど、母にしか慣れていなかったのが、
私にも徐々に徐々に慣れてきた。
可愛いね〜チャコ〜、といって撫で撫でしてやると喜んでいるけれど、
油断していると急に怒って、鋭い爪でシャッ!!!と人の手を引っ掻くので要注意。

ダンナ。ダンナは時に、悩みの種となるけれど、
くだらないことがすごく好きだ。初めて会った時は、変な人だと思った。オヤジギャグも連発する。
私もくだらないことが好きだからか、そこのところだけは話が合う。

元気の素。他の人のブログを見ること。自分でブログを書くこと・・かな。
今は、この2つが生活に欠かせなくなっている。
出かけることや人と接することがとても少ないので、世の中との窓口というか…。

自分と違う立場の人や、違う考えを持つ人と、
ネットの中ではあるけれど知り合うことができる。

自分の考えを、紙の、誰も見ない日記帳ではなく…公開できる。
それは楽しいし有意義なことなんだけれど・・
うまく言えないけど・・本当はやはり、ネットの中の人や友人や親戚に限らず、
実際の人と会いたいという気持ちはある。
以前誰かが言っていた・・
言葉を交わさなくても、実際にそこに人がいる・・その存在はネットを越える・・
あまり正確ではないけれど、そんなようなこと・・その気持ち、分かる。
思い出した。「半クラ」。「半クラ」とは、半分クラッチを使うこと。
そして、ミッション車だからギアがロウに入る前の、半クラの状態で動き出す。
そうだ〜。私はそれがなかなか出来なかった。
それで教官に、「半クラが出来んと、車は動かないだよ」と言われたような。
(最近の事は忘れてしまうのに、こんな昔の事はおぼえているw)

半クラ難しかった。「クラッチが滑る」という意味が分からなかった。足で必死に覚えた。
その頃は全員ミッション車で教習しなければならなかったので、選ぶ余地がなかったけれど、
今だったらオートマを選んでいると思う。(今は車もほとんどオートマだし)

第一段階の、ギアをローからセカンドにするところで、手間取ったかな。
ギアを変える時にクラッチを踏むんだけど、タイミングが分からない。
変なときに踏んで、ぐぉぉぉ〜んと車が揺れる。汗びっしょり。

そういえば思い出した。「半クラ」とは、「半分クラクションを鳴らすこと」だと勘違いした人がいて、
「プ」と鳴らして教官に「そうじゃない」と言われた、みたいな・・これは全国的な話だったか。

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すっかり忘れてたけれど、この前夏至だったんだ・・。
今日ネットでニュースを見てたら夏至の話題があった。
最近ネットにどっぷりと漬かってきていて、現実とネットの区別がつかなくなっているかも。
以前の私は、パソコンの画面を1時間も見ていると吐き気がしてきた。
でも今じゃ、3時間ぐらいは一気に見てても平気。
いいんだか悪いんだか。良くないね・・あんまり。

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東京の叔母にも、母と同じS状結腸がんが見つかったのだが、
明日は手術の前に、お見舞いに行ってこようかと思っている。母と妹、アオイと私4人で。
妹の家まで車で行ってアオイも連れて、そこから電車に乗って。

お弁当も作らないとならないし、うぴしの世話もしていかないとならないし、
家を出るのが早いと大変だなぁ・・と思ったけど、
妹が「お姉ちゃんがいれば安心だから」と母に話していたそうだ。
そうだよね、母は重くなったアオイを抱っこできない。私なら平気。(でも重い)
何だか、頼りにされて嬉しいな・・。アオイにも会えるし。
なんだか、ちょっとトーンのくらい話ばかり・・たまには変えよう。
と思ってふとしたことから思い出した、自分の教習所通い時代のことを書いてみよう。
なぜか、ジャンルは「ライフ」。そしてテーマは「This is My Life」。
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私は、車の普通運転免許を持っている。
取得したのは、1989年。ほとんど20年前だ。もう20年も経ったんだ、早いわ〜w

高校を卒業する頃くらいだったか、母が「車の免許は取っておかんとねぇ。免許があるとないじゃあ、就職するでも何でも、全然違うからね、お金は全部出してやるから」と言って、私に運転免許を取るようにと言った。
そうかー、まあそりゃそうだね。周りの人たちもみんな取るって言ってるし。

母は37歳、ちょうど今の私と同じ年齢の時に運転免許を取った。会社へ行きながら家事をこなし、その後夜通って2ヶ月で取った。すごく大変だったという。
あまり歳を取らないうちに、と、その時決断したという。母の世代では、車の免許は持っていないという人もけっこういた。そういうこともあって、私に強く勧めたんだと思う。

でも・・私は不安になった。だって運動神経あまりないし、機械類は苦手だし。果たして自分が車なんて運転できるのか。

そして高校を卒業して短大へ行き、その年の夏ぐらいから通い始めた。
その頃からもうプチ社会不安障害気味だったので、それも不安だったけど、机に座って教科をこなす方は大丈夫だった。でも、実技の方が・・車の中で教官と2人で教えてもらう・・嫌だなぁ、と不安になった。しかしそれは杞憂だった。
嫌だなぁとか何か話したほうがいいのかとか、思うヒマなど一切なく、必死だった。

その頃はまだ「オートマ限定」というのはなく、ミッション車(ギアを使う)のみ、だった。
全国的にそうなのか、教習所によって違うのか分からないけれど、そこでは「第一段階」を、最低4時間教習を受けるということになっていた。
確かギアは「ロウ」から「セカンド」(英語で書けない)までだったような。
突然停止したり、車がガックンガックンと躍ったようになってしまったり、大変だった。
4時間のところを、私は7時間かかって第一段階を終えた。

長い・・。今日はここまでにしよう。続く。