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2008.07.04
向き合えない
1998年7月4日、私はもう、妊娠20週(6ヶ月)に入っていた。
つわりがなかなか治まらなかったものの、もうこの頃には食欲も出てきて、
おなかも目立ってきて、一番幸せな時期だった。
妊婦さんの象徴・・おなかが目立ってきた、というのが私はとても嬉しかった。
胎動も少し、感じられるようになってきた。
腸が変なふうに動く感じ。
おなかの中で腸を触られているような、変な感じ。
検診に行くと、先生が赤ちゃんの心臓の音を聞かせてくれる。
その病院は個人病院でひっそりと診療していたせいか、
赤ちゃんの超音波映像というのは、卵巣脳腫の手術以来、
見たことがなかった。
それか、超音波というのはお金がかかるので、患者さんに負担にならないよう・・と、
先生が思っていたのか・・分からないけれど。
少し、気になることがあった。
他の妊婦さんの赤ちゃんの心臓の音と、私の赤ちゃんの音が少し違う・・・
ような気がしていた。
でも、胎動も感じられるし、私自身は元気だし、大丈夫だろうと思っていた。
つわりも治まったし、ダンナと映画も見に行った。
この頃は、大きいおなかがすごく、誇らしかった。
親戚の集まりでダンナは、
「お前も父ちゃんになっちゃうんだな」と東京の叔父に言われて、
「ははー」と、照れていた。
================
「誕生の前に死を迎えて」というカテゴリで、週1回は書こうと思ったけれど・・・
無理だった。
なかなか、このことには向き合えない。
でも、忘れはしない。
書ける時に、書こうと思う。
つわりがなかなか治まらなかったものの、もうこの頃には食欲も出てきて、
おなかも目立ってきて、一番幸せな時期だった。
妊婦さんの象徴・・おなかが目立ってきた、というのが私はとても嬉しかった。
胎動も少し、感じられるようになってきた。
腸が変なふうに動く感じ。
おなかの中で腸を触られているような、変な感じ。
検診に行くと、先生が赤ちゃんの心臓の音を聞かせてくれる。
その病院は個人病院でひっそりと診療していたせいか、
赤ちゃんの超音波映像というのは、卵巣脳腫の手術以来、
見たことがなかった。
それか、超音波というのはお金がかかるので、患者さんに負担にならないよう・・と、
先生が思っていたのか・・分からないけれど。
少し、気になることがあった。
他の妊婦さんの赤ちゃんの心臓の音と、私の赤ちゃんの音が少し違う・・・
ような気がしていた。
でも、胎動も感じられるし、私自身は元気だし、大丈夫だろうと思っていた。
つわりも治まったし、ダンナと映画も見に行った。
この頃は、大きいおなかがすごく、誇らしかった。
親戚の集まりでダンナは、
「お前も父ちゃんになっちゃうんだな」と東京の叔父に言われて、
「ははー」と、照れていた。
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「誕生の前に死を迎えて」というカテゴリで、週1回は書こうと思ったけれど・・・
無理だった。
なかなか、このことには向き合えない。
でも、忘れはしない。
書ける時に、書こうと思う。
2008.06.05
16週目
1998年。
6月5日は妊娠16週と2日。
手術をしてお腹が少し腫れたようになってしまった・・というのもあるけれど、
赤ちゃんも育って少し見た目にも、膨らんできた。
なんか嬉しいなぁ。憧れていたお腹の膨らみ。
8日は5ヶ月目の戌の日で、その前の日の7日にダンナのお母さんが、
お赤飯を持ってきてくれたのを憶えている。
あの時一緒に来たYくんという男の子は、もう今年中学1年生になった。
そのY君の弟のH君が、あの子と同級生。今はH君は小学4年生。
3月に妊娠が分かってから、私はつわりがひどかった。
1日中、吐き気がする。車酔いか、二日酔いみたいな感じがずっと続いていた。
もう5ヶ月なんだから、治まってもいいのになぁ・・と思ったけれど、つわりは続いていた。
6月8日、病院で検診を受ける日。
卵巣の大きさも変わらず、胎児も順調に育っていた。
「赤ちゃん、元気だよ」と、先生。
・・でも、手術前に比べて、やはり動きが少ない?・・ように思えた。
赤ちゃん、手術で体力消耗しちゃったのかなぁ・・。
でも先生が、元気と言うのだから大丈夫だろう。そんな風に思っていた。
とにかく、お腹が大きくなっていくのが嬉しかった。
------------
あの頃のことは、少しぼやけはしても、割と正確に憶えている。
今言っても仕方のないことだけれど、あんなに早く別れが来てしまうのなら、
「つわりが辛くて嫌だ・・こんな状態早く抜け出したい・・」
などと自分のことばかり考えなければよかったのに・・と思う。
母親になる資格は、その時からなかったのか。などとつい、長い間考えていたように思う。
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6月5日は妊娠16週と2日。
手術をしてお腹が少し腫れたようになってしまった・・というのもあるけれど、
赤ちゃんも育って少し見た目にも、膨らんできた。
なんか嬉しいなぁ。憧れていたお腹の膨らみ。
8日は5ヶ月目の戌の日で、その前の日の7日にダンナのお母さんが、
お赤飯を持ってきてくれたのを憶えている。
あの時一緒に来たYくんという男の子は、もう今年中学1年生になった。
そのY君の弟のH君が、あの子と同級生。今はH君は小学4年生。
3月に妊娠が分かってから、私はつわりがひどかった。
1日中、吐き気がする。車酔いか、二日酔いみたいな感じがずっと続いていた。
もう5ヶ月なんだから、治まってもいいのになぁ・・と思ったけれど、つわりは続いていた。
6月8日、病院で検診を受ける日。
卵巣の大きさも変わらず、胎児も順調に育っていた。
「赤ちゃん、元気だよ」と、先生。
・・でも、手術前に比べて、やはり動きが少ない?・・ように思えた。
赤ちゃん、手術で体力消耗しちゃったのかなぁ・・。
でも先生が、元気と言うのだから大丈夫だろう。そんな風に思っていた。
とにかく、お腹が大きくなっていくのが嬉しかった。
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あの頃のことは、少しぼやけはしても、割と正確に憶えている。
今言っても仕方のないことだけれど、あんなに早く別れが来てしまうのなら、
「つわりが辛くて嫌だ・・こんな状態早く抜け出したい・・」
などと自分のことばかり考えなければよかったのに・・と思う。
母親になる資格は、その時からなかったのか。などとつい、長い間考えていたように思う。
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2008.05.29
15週目
1998年5月29日、腫れてしまった卵巣の手術も無事に終わり、経過も順調で、
もう少しで退院、というところ。
入院中は2人部屋で、同室の人は当時27歳だった私よりも一回りちょっと年上の、
とても話し易いOさんという女の人だった。
Oさんからは、いろいろ話を聞かせてもらった。家族の事、若かった日のこと・・。
Oさんには2人、子どもがいた。当時17歳と11歳の、両方とも男の子だった。
上の17歳の子は、重度の身体・知的障害を持っていた。
‘点頭てんかん’という病気だそうだ。
一度、Oさんの旦那さんが、(名前は忘れてしまったけど)その上の子を背負って連れてきたことがあった。とてもすーっとした、端正な顔立ちだったのを覚えている。
ただ、長く室内でじっとしているのが難しかったので、すぐに帰ってしまったけれど。
Oさんはとても明るい人だった。「点頭てんかんとか、その他障害を持っている子どもの親同士で、子どもが学校に行っている間にランチに行ったりしてね〜」、
と確か、そんなような事も話してくれた。
退院する2日前だった。私はお腹の中の状態、胎児の状態を先生に診察してもらった。
先生は「赤ちゃん元気だよ」と言ったけれど、私には、手術前よりも(直感的にだけど)、
弱っていて動きが少ないように思えた。不安を感じた。心臓の音も、少し。
でも、この時はまだまだ、希望を持っていた。
元気に生まれると、信じ切っていた。
もう少しで退院、というところ。
入院中は2人部屋で、同室の人は当時27歳だった私よりも一回りちょっと年上の、
とても話し易いOさんという女の人だった。
Oさんからは、いろいろ話を聞かせてもらった。家族の事、若かった日のこと・・。
Oさんには2人、子どもがいた。当時17歳と11歳の、両方とも男の子だった。
上の17歳の子は、重度の身体・知的障害を持っていた。
‘点頭てんかん’という病気だそうだ。
一度、Oさんの旦那さんが、(名前は忘れてしまったけど)その上の子を背負って連れてきたことがあった。とてもすーっとした、端正な顔立ちだったのを覚えている。
ただ、長く室内でじっとしているのが難しかったので、すぐに帰ってしまったけれど。
Oさんはとても明るい人だった。「点頭てんかんとか、その他障害を持っている子どもの親同士で、子どもが学校に行っている間にランチに行ったりしてね〜」、
と確か、そんなような事も話してくれた。
退院する2日前だった。私はお腹の中の状態、胎児の状態を先生に診察してもらった。
先生は「赤ちゃん元気だよ」と言ったけれど、私には、手術前よりも(直感的にだけど)、
弱っていて動きが少ないように思えた。不安を感じた。心臓の音も、少し。
でも、この時はまだまだ、希望を持っていた。
元気に生まれると、信じ切っていた。
2008.05.22
14週目
なかなか、このこととは向かい合えなかった。ここまでが、長かった。
うまくは書けないかもしれない。キーを打つ手がものすごく、重い。
-------------
’98年2月、結婚2年目で私は子どもをお腹に授かった。
今考えてみると、それだけで奇跡のような気がする。
妊娠が分かって5〜6週目くらいで病院に行った。
すぐに異常が判明した。子宮頸部にポリープが出来ていること、右の卵巣が腫れていることだった。
紹介状をもらい、すぐに別の病院へ。
頸部のポリープは検査で悪性ではないことが分かり、
そのままにしておいても大丈夫ということだった。
しかし、右の卵巣はこのまま大きくなる可能性があり、もしかしたら手術しなくてはならないかも、
ということだった。
4週くらいの経過観察を経て、大きくなり続けていることが分かり、手術日が決まった。
5月20日。不安だった。でも、仕方ない。胎児への影響を考慮するということか、
妊娠4ヶ月半ばほどの時期がいいという。
その手術の直前の検診で、赤ちゃんが動いているのが見えた。
何をしているのだろう・・。手を動かしている。目をこするような、しぐさ。
自分のお腹の中で、生きている・・信じられなかった。一緒に病院に来てくれた母は、「うわ、ほら動いてるよ」と、とても嬉しそうだった。
5〜6週目で、ものすごく小さな心臓が動いているのを初めて見た時も、信じられなかった。
私が、妊娠?母親に?
------------
桜の時期が苦手だ、と以前ここに書いたかどうか忘れてしまったが、それは、
子どもが授かったのにすぐ異常が見つかるという、不安定な気持ちを抱えた時と重なったから。
何でもかんでも、桜と重ねあわせなくてもいいのにね。
来年の桜の頃、私はどうしているだろうか・・・などと思い。
次の時期の桜は確か、暖かくてとても早く咲いた。
パート先の狭い窓からの桜の眺めが、なぜか一番良かった。
家族がいても、私は精神的には全く「一人ぼっち」という感じだった。
うまくは書けないかもしれない。キーを打つ手がものすごく、重い。
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’98年2月、結婚2年目で私は子どもをお腹に授かった。
今考えてみると、それだけで奇跡のような気がする。
妊娠が分かって5〜6週目くらいで病院に行った。
すぐに異常が判明した。子宮頸部にポリープが出来ていること、右の卵巣が腫れていることだった。
紹介状をもらい、すぐに別の病院へ。
頸部のポリープは検査で悪性ではないことが分かり、
そのままにしておいても大丈夫ということだった。
しかし、右の卵巣はこのまま大きくなる可能性があり、もしかしたら手術しなくてはならないかも、
ということだった。
4週くらいの経過観察を経て、大きくなり続けていることが分かり、手術日が決まった。
5月20日。不安だった。でも、仕方ない。胎児への影響を考慮するということか、
妊娠4ヶ月半ばほどの時期がいいという。
その手術の直前の検診で、赤ちゃんが動いているのが見えた。
何をしているのだろう・・。手を動かしている。目をこするような、しぐさ。
自分のお腹の中で、生きている・・信じられなかった。一緒に病院に来てくれた母は、「うわ、ほら動いてるよ」と、とても嬉しそうだった。
5〜6週目で、ものすごく小さな心臓が動いているのを初めて見た時も、信じられなかった。
私が、妊娠?母親に?
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桜の時期が苦手だ、と以前ここに書いたかどうか忘れてしまったが、それは、
子どもが授かったのにすぐ異常が見つかるという、不安定な気持ちを抱えた時と重なったから。
何でもかんでも、桜と重ねあわせなくてもいいのにね。
来年の桜の頃、私はどうしているだろうか・・・などと思い。
次の時期の桜は確か、暖かくてとても早く咲いた。
パート先の狭い窓からの桜の眺めが、なぜか一番良かった。
家族がいても、私は精神的には全く「一人ぼっち」という感じだった。
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